2019年02月16日

ドイツの伝説

メルヒェンで知られるグリム兄弟は、数多くの伝説も蒐集していた。
童話(メルヒェン)と伝説の違いはどこにあるのか、伝説集の序文ではこのように語られている。

童話は「心を満たす食べ物、この世の重力を脱した糧である」それに対し伝説は「ずしりとした料理である」、と。

童話はこの世の重力を脱した糧....まさに、宮沢賢治言うところの「すきとおったほんとうのたべもの」だ。

メルヒェンはこの世よりも上の世界に根を持っているので、一民族を超えて軽やかに世界に広がっていけたのだ。

伝説はより深くその土地に根差していて、容易には広がりを見せない。いわば郷土料理のようなものだろうか。

グリム兄弟は伝説においては、メルヒェンのように編集を加えずほとんどそのままの形を残している。
そのため、起承転結のきちんとした物語のかたちをとっていないものが多く、ほんの2、3行の断片のようなものもある。

まさに、ずしりとした土の匂いがする。
「…岩や湖や廃墟や樹木や草花と親しく交わって暮らすうちに、これらのものと人間との間に、対象の特徴に基づいた結びつきが生まれる。この結びつきの中から人間はある瞬間、これらの対象の語る不思議を聞きとる権限を手に入れるのである。」(序文より)

現代において、伝説はどうなっただろうか。
「自然」との親しい交わりや強い結びつきを失った時代には。

少し前に紹介したアイルランドの妖精話で、電気が普及して以降それらの話が急速に消えていったと言われていた。
たぶん、どこでも同様なのだ。伝説を聞き味わう暮らしは機械文明の発達とともに失われていったのだろう。

伝説集の中から、ごく短いものをひとつ。

〈細耳小僧〉
メルリヒシュタットのはずれでシュトロイという小さな河を渡る者は、細耳小僧と呼ばれる水の精によって河の中へ引きこまれる。そのまま溺れ死にすることもよくある。

これなどは、「あの川に入ると河童に足を掴まれて引きずりこまれるよ。」という、よくある日本の伝説にも似ている。

自然とその背後にある力との強い結びつきは、その土地や民族によってさまざまな違った伝説を生み出すが、「伝説」というかたちそのものは、やはり人類共通の糧なのだと思う。

ドイツ伝説集の翻訳本は今は絶版になっている。こういう本がなかなか生き永らえないのは残念だ。
 
posted by Sachiko at 20:53 | Comment(2) | 神話・伝説
この記事へのコメント
”彼ら”が
どこか別の世界に
去ってしまったのか

それとも
彼らや
不思議な現象に
気づく感性を
私たちが失って
しまったのか。

不思議な現象
といえば、
わが家にいる
小さな多肉植物さんは
すぐとなりに置いてある
緑色の石がたいへんに好きらしく
(両者は驚くほど同質の緑色)
太陽光の方向ではなく
石の方に向かって伸びています。
楽しそうにおしゃべりして
いるように見えるのです♪

それにつけても
細耳小僧!
会いたし。
Posted by しゅてるん at 2019年02月17日 07:51
感性よりも理性が上だとか、何でも知性や科学で切り刻むのが
賢いことだとか、そんな世界が住みにくくなって、
不思議なものたちはどこかへ隠れてしまったのかもしれません。

多肉植物は、種類によっては石そっくりに見えるものもありますね。
色やかたちが似ているのは、どこか親和性があるからでしょうか...
Posted by Sachiko at 2019年02月17日 21:05
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