2019年02月09日

すきとおったほんとうのたべもの

昨日から記録的な低温になっている。
−10度以下になると、空気も凍りついたように透きとおる気がする。
透きとおったものは魂を浄化するようだ。氷も水晶も、透きとおった言葉も。


宮澤賢治の『注文の多い料理店』序文から。

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。

わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。

ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。

ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。

けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。


人間は、この「すきとおったほんとうのたべもの」だけで生きていけないものか...などと思ってしまうのだが、いつかもっと進化した未来にはそうなれるだろうか。

「意識的に魂をメルヒェンのイメージで満たすことは、魂の飢えに栄養を与えることになる」(R・シュタイナー)

魂の飢えを満たす栄養、まさにそれのことだ。
現代人は魂の栄養不良に陥っている気がするのだが、この短い序文の中にすら、桃いろの朝日、虹や月明かり、青い夕方の上を、すきとおったたべものの香気が漂っているのを感じる。

この序文が書かれたのは大正12年12月、やはり冬のさなかだ。
 
posted by Sachiko at 21:59 | Comment(2) | 宮澤賢治
この記事へのコメント
すきとおったことば。
すきとおったほんとうのたべもの。

こういったものには
いのちのちからが
みちていて
ひとはほんとうは
それだけでいきて
いけるのでしょうね。

いまや
にごったものばかりで
ひとのたましいは
えいようしっちょう
でしょうね。

あといっしゅかんほど
すきとおったひが
つづくようですから
ほしぞらや
がらすまどのこおりのはな
こおったくうき
をたのしんで
たましいをまんぷくに
したいです。

「春と修羅」
の序文も素敵
ですよね!
Posted by しゅてるん at 2019年02月10日 07:49
ほんとうのいのちを養う、ほんとうのたべもの。
やがてそれだけで生きられる時代が来てほしいと願います。
「銀河鉄道の夜」に出てくる天上のりんごは、サムが賛嘆した
エルフのりんごを思い出します。
「春と修羅」のことは、いずれ記事のほうに。
Posted by Sachiko at 2019年02月10日 22:00
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