マリア・グリーペ「鳴りひびく鐘の時代に」より。
夏至祭には一日だけ、誰かがこっけいな道化王の役を演じるのが、昔からのしきたりだった。これまでその役は道化のアトラスが務めてきたが、なんとアルヴィドは、その役をヘルゲに務めさせることにしたのだ。
パレードの山車の上に、けばけばしい道化の衣裳を着て、鈴のついた冠を頭に乗せた道化王が座っていた。
人々は、本当の王には言えない日頃の不平不満を、道化王に向かってはきだし、思いきりからかってよいのだ。
これまで道化王を務めてきたアトラスは、何といっても庶民の側の者で、下品な冗談を浴びせてもよかった。だが今年の道化王は....
道化の衣裳を着ていても、この道化王の態度は気高く誇らかで、少しもこっけいなところがなかった。人々が戸惑う中、ひとりの農夫が、みんなが感じていたことを言ってのけた。
「あそこで冠をかぶっとるやつは、まあ....わしらの王さまより、ずうっと王さまらしいわい。」
ヘルゲにこの役を演じさせたアルヴィドの意図は何だったのか....
少し前、アルヴィドはふたたび変装して城を抜け出していた。ヘルゲと話したときにひらめいた奇妙な直感から、首切り役人ミカエルに会わなければという思いに促されたのだ。
ミカエルは、漁をするための小舟にアルヴィドを誘った。それが王であることはすぐにわかった。ふたりは長いあいだ話し込んだ。
事のしだいが、ようやく明らかになった....
王、道化、死刑執行人....タロットの絵のようだ。
マリア・グリーペは、ホイジンガの「中世の秋」に触発されてこの物語を書いたという。
私が特に心惹かれる時代や場所は多くはなく、中世のドイツと、古代のケルト・スカンジナビア文化圏くらいだ。
中世の街並みと称される場所の、オフシーズンのどんよりと暗い小路などでは、古い時間の層が実際の重さを持って降りかかってくるような感じに襲われたことがある。頭上で鐘が鳴ったりするとなおさらのこと。
現代の量子物理学は、中世の神秘主義的世界観との類似性を認めつつあるらしい。別の側面から眺めれば、宇宙も別の顔で顕れるのだろう。
昔のしきたりでは、道化王は仕事がすむと実際に首をくくられたが、今はまねごとだけだった。
絞首台から落ちて横たわっているヘルゲのそばにエリシフが現われ、額にくちづけをした。
やがて歌や音楽とともに、“死の舞踏”の波が進んでいった....
2019年01月27日
道化王
posted by Sachiko at 22:04
| Comment(2)
| マリア・グリーペの作品
歩いていると
やはり
古い時代の息吹
というか
当時の人の
情念の風化した
かけら
というか
そのようなものを
感じました。
時間の堆積。
時間の層。
そうですね。まさに人々の情念の、地上での残滓、
それが独特の雰囲気を作っているのですね。