2019年01月15日

子どもの本の話

昨日紹介した、リリアン・スミスの「児童文学論」は、1953年に出版されたものだ(日本語訳は1963年)。

これほど古いにもかかわらず、そこで述べられている子どもの本への姿勢はまったく古くなっていないどころか、まさに今この時代にこそ必要とされているように思えることが多くある。

古い本なので、取り上げられている作品は「不思議の国のアリス」「宝島」「トム・ソーヤ」などの古典がほとんどだ。
古典の寿命がどのくらいかについてはまた別の話として、子どもの本の書き手による言葉を挙げてみる。

「私は、何事にも最良のりっぱなものだけが、子どもにふさわしいものだということを知っている。」(ウォルター・デ・ラ・メア)

「十歳のときに読む価値のある本は、五十歳になって読み返しても同じように(しばしば小さいときよりはるかに多く)価値があるというものでなければならない。」(C・S・ルイス)

ルーシー・M・ボストンが子どもの時にほんものの文学に触れて衝撃を受けた話、自伝本が手元にないので、その本物がシェイクスピアだったかテニスンだったか忘れてしまったけれど、そういう衝撃の一瞬はあるものだ。


これは私の体験で、7歳のとき、当時美術系の大学をめざしていた従姉に、デパートの中にあった小さなギャラリーに連れて行かれた。何の展覧会なのかはわからなかった。

ただ、初めて見たほんものらしき絵に衝撃を受けたのだ。
静物画の小品で、有名な作者だったのかどうかもわからないけれど。
あとでその構図を思い出しながらこっそりまねてみようとしたが、もちろん手に負えるはずもなかった。
あのとき衝撃を受けたということは、はっきり覚えている。

もうひとつ、子どもというには少し大きくなった中学1年のとき、同級生が本に載っていた短い詩を見て「何これ〜〜、これ詩?アハハ〜」と笑い転げていた。

一瞬私も引きずられそうになったが、何かが止めた。
いや....これ、なんだかすごい詩じゃないか?と感じたのだ。
八木重吉のちいさな詩だった。

 ほそい がらすが ぴいん と われました

たった1行の詩。これは...やっぱりとんでもなくすごい....
でも笑い転げている子には黙っていた。

こういうことにはもちろん相性(というよりその子どもが誰か、ということか)があり、仮に私が当時「ほんもの」の野球の試合を見に行ったとしても、退屈して帰ってくるだけだっただろうが、別の子どもはそこで衝撃を受けたかもしれない。それぞれの世界があるのだ。

幼い日に何がその子どもの内奥の扉を叩くのか、この喧噪の時代にあっても、子ども自身がその小さな音をかき消されず聴けるようにと願う。
 
posted by Sachiko at 22:41 | Comment(2) | 児童文学
この記事へのコメント
8歳くらいのころ
だったか、
春に裏山へ行ったら
いちめんカタクリの花が
咲いていて
その美しさに圧倒されて
しばし身動きできなかった
くらい感動したことを
思い出しました。

以来
早春に咲く
小さな花々には
特別な想いがあり、
愛しさと尊敬を抱いています。
Posted by しゅてるん at 2019年01月16日 08:25
あの頃はまだ市内でカタクリの群生が見られたのですね。
忘れてしまった幼い頃の感動は、たくさんあるような気がします。
今年の春はカタクリやエゾエンゴサクを見に行きたいと思っています。
Posted by Sachiko at 2019年01月16日 20:18
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]