2018年07月30日

原風景

あるとき、こんな話をしたことがある。

田んぼの中の藁ぶき屋根の家と庭先の柿の木など、日本人の原風景と言われている景色は、むしろ異国的に感じる...と。

そう言った人は日高の馬牧場で育ち、私も、米も獲れない酪農地帯の生まれだ(育ったのは別の所)。

真っ平らな牧草地と赤い屋根のサイロ、白樺林、真っ白な雪原....こういうのが原風景だよね、という話だった。

日本人の心のふるさとと言われる京都や奈良は、北海道人にとっては外国に感じると言った人もいた。
たしかに....感覚としてそうなのだ。富士山などもそうだ。

先祖(といってもそう遠い先祖ではないのだが)が津軽海峡を渡ったときから、向こう側の文化とはどこか切り離されてしまったような、もう自分のものとは言えないような、そんな感覚がある。これが移民というものか.....

アイヌ文化を自分のもののように思いたかったりするのも、この文化的な寄るべなさから来ているのだろうか。
きっと「響き」というものも関係しているのだろう。幼いころ耳にした、チャランケチャシとか、ペンケトー、パンケトー(母はまとめてペンケパンケと言っていた)など、土地の名の中に残照のように響く音。

そんな個人的思いはともかく、アイヌ文化は絶やしてはいけない。アイヌ文化がなければ、北海道はただの辺境の地だった。
すべていのちあるものとつながる豊かな知恵の土壌は、まさに今必要とされているものだ。
  
posted by Sachiko at 22:16 | Comment(2) | 北海道
この記事へのコメント
同感でしゅ。
竹林にはしゃいでしまう
自分はいったい何人?

ドイツにいると
お里帰りの気分。
言葉はつうじませぬが・・。
(ああ、帰りたいのぅ)

辺境の地
だいすき!
たまごやきも
食パンも
はじっこがね。

原風景は
やはり雪景色。
広々とした空。
遠くに山。

ネイティブ・アメリカン
アボリジニ
アイヌ
人が人であることを
忘れずにいる
人たち。
Posted by しゅてるん at 2018年07月31日 06:15
私は竹林を遠くから見て、
珍しい木があるなぁ...と近づいてみたら竹だった、
ということがありました^^;

人が人であることを 忘れずにいる人たち…
人が人であることを阻む力が働く時代にこそ、
還る知恵が必要。
Posted by Sachiko at 2018年07月31日 21:01
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