2022年08月25日

コエゾゼミ

家の前の道路で拾ったコエゾゼミ。(写真がピンボケ(>_<))

koezo.jpg


この前蝉を見たのはいつだったっけ?と思ったら、なんと子どもの頃以来だ。
いつの間にか住宅地では蝉の声が聞かれなくなった。

どこもアスファルトですっかり覆われてしまったので、蝉が地中で育つことができないのだ。
当然、木の幹や家の壁に蝉の抜け殻を見つけることもなくなった。

夏休みには近くの木で朝からうるさいほど鳴いていたアブラゼミも、市内では大きな公園以外、もういないらしい。


拾ったセミは、木の枝に置いたらいつの間にかいなくなっていた。
コエゾゼミの発生時期は7月〜8月下旬ということなので、そろそろ命が終わる頃で少し弱っていたのだろう。

トンボが飛び始め、庭は花の季節から実の季節へと移っている。
ほおずきが赤くなり、朝晩の空気が冷んやりしてきた。

『大地の四季』(ヴァルター・クロース)によれば、古くからの言い伝えで、秋の始まりは使徒バルトロメオの日、8月25日だそうだ。
  
posted by Sachiko at 21:52 | Comment(2) | 自然
2022年08月16日

「この本をかくして」

「この本をかくして」
(マーガレット・ワイルド文/フレヤ・ブラックウッド絵)

以前紹介した「図書館にいたユニコーン」という物語と少し似ている。
戦争で図書館に爆弾が落ちて・・・

konohon.jpg

図書館の本はみんな木端微塵になり、ピーターのお父さんが借りていた一冊だけが残った。
敵軍がやってきてみんなに町から出て行くよう命令したとき、お父さんは鉄の箱に本を入れた。

「ぼくらにつながる、むかしの人たちの話が、ここにかいてある。
おばあさんのおばあさんのこと、おじいさんのおじいさんのまえのことまでわかるんだ。
ぼくらがどこからきたか、それは金や銀より、もちろん宝石よりもだいじだ。」

人々は町から追い出され、みんなの家には火が放たれた。みんなは何週間も歩き続けた。ある夜、お父さんはピーターに宝物を託し、夜が明けるころに息が止まった。

みんなはお墓を掘り、ピーターには鉄の箱を持って行くのをあきらめるように言った。まだ長い旅が続くのだ。

ピーターは山を越える手前の村で、大きな木の下に宝物を埋めた。ここに爆弾が落とされることはないだろう。

ピーターは山を越えて、港から船に乗って海も超えた。
新しい国で、ピーターは青年になった。

戦争が終わって、ピーターは再び海を越え、あの村まで行き、大きな木の下にいた女の子に話しかけた。

「ここに宝物がうまってるはずだよ」

女の子は地面を掘るのを手伝った。そうして鉄の箱の中から本が取り出された。

「ぼくらにつながるむかしの人たちのことが、ここにかいてある。
ぼくらがどこからきたか、それは金や銀よりもだいじ」

ふるさとの町の図書館は新しく建て替わっていた。
ピーターは本を図書館に持っていった.....

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連綿と続く人々の暮らしの中で、大切なものが継承され、文化を作る。
それまでの暮らしを奪った戦争は、少年が青年になるほどの時間続いた。

今も爆弾が落ちてくる国があり、落ちてこないまでも、大人も子供もスマホばかりいじっているうちに「目に見えない大切なもの」が破壊され続けている国もある。

本は、考えたり想像したり、共感し魂を揺さぶられたりする人間らしい力を呼び起こす。そうした人間らしいいとなみが文化であり、破壊者たちにとっては都合の悪いものなのだ。
爆弾とは別の方法で、人間らしい力は今も巧妙に奪い取られている。

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戦争がほんとうに破壊するものは何か、ということについて、ここでリンクを貼っている「森へ行こう」というブログに書かれているので、その記事を紹介しておきます。
https://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/diary/202208160000/
  
posted by Sachiko at 22:11 | Comment(2) | 絵本
2022年08月04日

クロコスミア

子供の頃、裏庭に濃いオレンジ色の花が咲いていた。
グラジオラスを小さくしたような花だと思っていたけれど名まえはわからなかった。

そして数年前、隣の畑の片隅にある木の陰で、この花がひっそり咲いているのを見つけた。見たのは子供の時以来で、今年の夏も咲いている。

crocosmia.jpg

今は検索という手段がある。とりあえず“小さいグラジオラスのような花”で検索してみたら画像が出てきて、クロコスミアという名前だとわかった。


花にも流行があり、昔はどこの庭にもあったグラジオラスやダリアなどは、最近ではまったく見かけない。
調べてみると、どちらも球根を売っているところも少ないようだ。

グラジオラスもダリアもクロコスミアも、夏休みの頃に咲いていた記憶がある。

大型の夏の花といえば、子どもたちがコケコッコー花と呼んでいたホリホックは、今も道端に咲いているのを見かける。
こぼれ種でよく殖える花で、なぜか昔から電柱のそばに咲いていることが多い。

季節ごとの花は古い思い出をまとっている。環境の中に花があってよかった。
今度クロコスミアの球根を見つけたら買ってみよう。
   
posted by Sachiko at 21:54 | Comment(2) |