2022年01月03日

10月に向けて---第十夜

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シュタイナーが伝えた12夜の話から

私たちは、自分の中の “私”の呼び声を聞いているだろうか?
自分の存在、自分の魂の中で、この“私”を経験しようと努めているだろうか?

転生する前に“私”と交わした約束を忘れないようにしているだろうか?
もしそうなら、成功も失敗も、善も悪も、喜びも苦しみにも煩わされなくなる。
それは、私たちが成長するために必要な大切な経験であると知るからだ。

内なる“私”は、カルマを解消し、人生で関わるすべての人々との調和を図るように取り計らっている。
もちろん、私たちは、ある人たちとは距離を置きたいと思うし、その方が人生が楽になると思っている。

しかし、この方法では困難を取り除くことはできず、困難は他の人を通して再び私たちの前に現れる。
自分に正直になれば、自分の人生を難しくしている人を愛するよりも、憎む方が簡単だということを認めるだろう。

憎しみは強い言葉だと思われるが、愛の対極は憎しみであることを認めなければならない。
この言葉の真実を直視することは、それを覆い隠したり、もっと聞こえのよい名前を付けたりするよりも良いことだ。

内なる“私”について少しでも知っていれば、私たちは自分の人生に関わるすべての人に奉仕するように求められていること、そしてどの一人も偶然に自分の人生に現れているのではないことに気づくだろう。

自分の周りに集まっているすべての人に奉仕する方法は、彼らを愛すること、本当に愛することだ。

すべての人間は神聖な存在であり、すべての人間は神になる可能性を持っている。
私たちは、神聖な存在と仲間になることを望むだろうか?
神になろうとしている何ものかと共にあることを?

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「人間は神の種であり、そこからはやがて神が育つ。という名言がどこかにあった。
現状からは到底信じられないように見えても、それは、知らない人が見れば毛虫が蝶になるとは信じられないようなものだろう。

できれば距離を置きたい人々を愛するということ、これもまた誤解を招きやすい。我慢して相手の要求に従い続けるようなことではけっしてない(そんなことをしてはいけない)。

「すべての人間は神聖な存在である」ということを、まず自分自身に適用しなければ、日常の意識で面倒な人々をも愛そうとするのは無理がある。
内なる尊い存在、それが真の“私”であり、そこを通った先に、他のすべての人の本質が聖性であると知れる神聖な空間が拡がっている。

繰り返し語られている“私”、原文では大文字で書かれている“I AM”は、神の名だ。

現代の多くの状況の中で、人間を内なる“I AM”に気づかせないように仕向ける力が巧みにはたらいているけれど、種が育つということは本来自然なことだ。

12夜には特別な力がはたらいているので、日常の“I am”が“I AM”に出会うことも、いつもより難しくないかもしれない。
    
posted by Sachiko at 09:25 | Comment(0) | クリスマス