11月、もうすぐスナフキンが旅に出る。
ムーミン一家も針葉樹の葉を食べて冬眠に入る季節だ。
今更ながら、記憶というものは曖昧なものだ。
ムーミンの物語も、そう度々読み返すわけではない。
そのうちに、何だか話がこんがらがってしまっている。
私はずっと、スナフキンはおさびし山を越えて旅するのだと思っていて、おさびし山はムーミン谷の南にある気がしていた。
でも改めて地図を見ると、山は北東にあり、海もニョロニョロの島も北にある。
考えてみれば、ムーミン谷は冬は極夜になるほど北にあるのだから、北の海に面しているのは当然のことだ。
なぜか私の頭の中では、地図の南北が逆さになっていたようだ(方向音痴はこういうところにも表れるのか....)。
これも今更ながらだけれど、最近になって「スナフキンの歌」というものがあるのを知った。
日本版アニメの最初のシリーズに出てくるらしく、スナフキンがおさびし山のことを歌っている。
私はこのシリーズは観ていない。
でもどこかでそれと知らずに聴いたことがあったのだろうか。
どうもスナフキンとおさびし山がイメージの中で結びついている。
いや待て!
今『ムーミン谷の冬』を開いたら、こんな記述がある。
・・・谷の向こうにはおさびし山がそびえていました。遠く南のほうまで波うちつづいて、このうえもなくさびしく見える山です。
そしてムーミンは、
「あの山の向こうのどこかに、きっとスナフキンはいるんだ。」
とつぶやいている。
おさびし山は北東から南まで続く連山なのか?また方向感覚がおかしくなってきた....
2021年11月09日
おさびし山の向こう
posted by Sachiko at 22:30
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| ムーミン谷
2021年11月05日
日食
グリーン・ノウ物語第5巻「グリーン・ノウの魔女」より
その日は日食が起こる日だった。
少年たちはメラニーをやっつける計画を練っていた。
階下ではオールドノウ夫人が、トーリーの父からの電報を持って待っていた。ビルマから飛行機で帰ってくるという。
『トモダチヲツレテ』
その友だちがゆくえ知れずのお父さんだったらどんなにいいかと、ピンは思っていた。
電報を渡す前に、郵便配達人は奇妙なものを指し示した。
手のかたちをしたものに「破滅がなんじに来たるべし」と書かれて、ドアに張り付けてあったのだ。
夫人はそれをはがして、子どもたちの目に触れないように本のあいだに隠した。
やがて太陽が欠けてあたりが暗くなりはじめた。
トーリーは“なにか”を感じた。
屋根の端に手のようなものが動いていて、トーリーとピンが夫人を家の中に引き込んだとたん、大きな石が落ちてきた。
太陽がすっかり隠れてしまった時間だった。
そのとき、ポープ氏がテープに吹き込みをしている声が響いた。
それは「力の呪文」のすばらしい朗読だった。
ハレルー ヤー
最後の部分とともに、絶望の声が響いて何かが庭を横切って出ていった。
良きにつけ悪しきにつけ、日食というものは特別な時間のようだ。
魔法書の解読に夢中で日食には関心がなかったポープ氏が、はからずも不穏な者を追い出してしまったのだ。
朗読は、偉大なものたちの名前だった。
ことば、名まえ、声の響き....それらにはやはり特別な力がある。
そのことは太古から知られ、祈りや呪文のかたちで、これまた良くも悪くも使われてきた。
言葉を単なる情報伝達手段とだけ考える人が多くなった現代では、言葉のほんとうの力はどこかに埋もれたままだ。
「世界を鳴り響かせることば」や「事物のまことの名」は、今まさに発見されるのを待っているのかも知れなかった。
ポープ氏の力強い朗読は、家を揺らすほどだった。
世界を揺り動かし刷新するのは、古臭い議論やややこしいシステムではなく、ほんとうの「ことば」の力ではないのだろうか。
その日は日食が起こる日だった。
少年たちはメラニーをやっつける計画を練っていた。
階下ではオールドノウ夫人が、トーリーの父からの電報を持って待っていた。ビルマから飛行機で帰ってくるという。
『トモダチヲツレテ』
その友だちがゆくえ知れずのお父さんだったらどんなにいいかと、ピンは思っていた。
電報を渡す前に、郵便配達人は奇妙なものを指し示した。
手のかたちをしたものに「破滅がなんじに来たるべし」と書かれて、ドアに張り付けてあったのだ。
夫人はそれをはがして、子どもたちの目に触れないように本のあいだに隠した。
やがて太陽が欠けてあたりが暗くなりはじめた。
トーリーは“なにか”を感じた。
屋根の端に手のようなものが動いていて、トーリーとピンが夫人を家の中に引き込んだとたん、大きな石が落ちてきた。
太陽がすっかり隠れてしまった時間だった。
そのとき、ポープ氏がテープに吹き込みをしている声が響いた。
それは「力の呪文」のすばらしい朗読だった。
ハレルー ヤー
最後の部分とともに、絶望の声が響いて何かが庭を横切って出ていった。
良きにつけ悪しきにつけ、日食というものは特別な時間のようだ。
魔法書の解読に夢中で日食には関心がなかったポープ氏が、はからずも不穏な者を追い出してしまったのだ。
朗読は、偉大なものたちの名前だった。
ことば、名まえ、声の響き....それらにはやはり特別な力がある。
そのことは太古から知られ、祈りや呪文のかたちで、これまた良くも悪くも使われてきた。
言葉を単なる情報伝達手段とだけ考える人が多くなった現代では、言葉のほんとうの力はどこかに埋もれたままだ。
「世界を鳴り響かせることば」や「事物のまことの名」は、今まさに発見されるのを待っているのかも知れなかった。
ポープ氏の力強い朗読は、家を揺らすほどだった。
世界を揺り動かし刷新するのは、古臭い議論やややこしいシステムではなく、ほんとうの「ことば」の力ではないのだろうか。
posted by Sachiko at 22:19
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| ルーシー・M・ボストン
2021年11月01日
残照、残響
それらがあるとき、元になった本体はすでにない。
太陽は沈み、楽器は鳴りやんでいる。
しばし残る余韻も、ほどなく消え去る。
それらはどこへいったのか。
ほんのかすかなもの、意識を向けていなければ気がつかないほどの、短いあいだに消え去るもの。
なのに、時に本体以上の何かをもたらす。
あまりに慌ただしく出来事の真っ只中にいる時には、気づかずに通り過ぎてしまう。
思い出は、できごとが過ぎ去ったあとの余韻の中で静かに醸される。
いちばん暗い季節だという11月は、消えかかる残照、残響のように、どこか心もとない。

太陽は沈み、楽器は鳴りやんでいる。
しばし残る余韻も、ほどなく消え去る。
それらはどこへいったのか。
ほんのかすかなもの、意識を向けていなければ気がつかないほどの、短いあいだに消え去るもの。
なのに、時に本体以上の何かをもたらす。
あまりに慌ただしく出来事の真っ只中にいる時には、気づかずに通り過ぎてしまう。
思い出は、できごとが過ぎ去ったあとの余韻の中で静かに醸される。
いちばん暗い季節だという11月は、消えかかる残照、残響のように、どこか心もとない。

posted by Sachiko at 22:28
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