先日あるところで、妖精が人間の子どもをさらう物語は、自然界が人間の力を求めていることの表現だという話を聞いた。
チェンジリング(取り替え子)の話はケルト文化圏に多い。
典型的な話は、妖精が人間の赤ん坊をさらい、代わりにしわくちゃで醜い妖精の子どもを置いていき、その子は間もなく萎びて死んでしまう...というパターンだ。
置いて行かれたのは妖精の子どもではなく、年老いた妖精だという説もある。チェンジリングをうまく追い払うことができると、ゆりかごにはほんとうの子どもが戻ってきている。
妖精は自分たちの血統を良くするために、美しく健康な人間の子どもを欲しがるのだそうだ。
シュタイナーの妖精論では、人間が世界の事物をただ見るだけではなく、理念・概念・美の感情などによって精神化するとき、精霊たちを救済し解放することになる、と語られている。
それは物語の世界とは異なるが、その背景にあったものだ。
自然界の背後の霊的存在を知覚する霊眼が、しだいに朦朧とした残照のようになった時代が中世だという。その残照が、伝承物語のかたちを取っていったのだろう。
人間は自然界に属していて、そこでの役割を持っている。
人間が介入しない、いわゆる“手つかずの自然”のままにしておくのよい考える人もいるが、やはり自然界は人間の手と意識、何より霊性を必要としている。
自然界を、自分自身と切り離された単なる物質資源としてしか見なくなった人間は、救われない妖精たちによって魔法をかけられてしまったチェンジリングのように見える。
地球にやさしいという名目のあれこれの技術開発よりも、魔法を解いて本来の人間を取り戻せば、自然と人間とのほんとうの関係が見えてくるだろう。妖精は人間が必要なのだ。
2021年04月01日
チェンジリング
posted by Sachiko at 22:40
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