2021年02月21日

聴く器官

耳は完全に受容的な器官だと言われている。

目や口のように、自ら外に向かって働きかけることができない。
また、目や口のように、自ら閉ざすこともできない。

では鼻はどうだろう。
鼻で笑うとか鼻であしらうという言葉があるので、これも外側への働きかけができるが、あまりいいイメージではない。

耳はそれ自体は沈黙している。
日本語の妙で、香道では香りを嗅ぐのではなく“香りを聴く”という。
ここに聴覚の言葉が使われている。

表層ではなく、その深い本質を体験するとき、やはり“聴く”という言葉がふさわしい。

人間の感覚の中で、聴覚は最後まで残るという。
肉体が死を告げられたあとも、しばらくのあいだ聴覚は残っているらしい。
これは実際、父が亡くなった時に病院の先生からこう言われた。
「耳は、最後まで聴こえていますからね。」

聴くという感覚が、この世を超えたところまで拡がっているとしたら、事物の内的な深みに降りるときには“聴くこと”が確かな道案内になるのだろう。


そういうことについて書かれた本があった。
『世界は音---ナーダ・ブラフマー』(J・E・ベーレント)

私はこの本をずっと昔に持っていて、手放してしまったのだが、長い時を経て戻ってきた。
もちろん手放したその同じ本が戻って来たわけではなく、古本で買い直したのだ。

ほとんど傷も汚れもなく、手放したものより状態のいい本が来た。
今見ると、なぜこれを手放したのだろう、と思う。
たぶん、当時は早すぎたのだ。

人間の感覚を鈍らせる力が、ますます騒がしく世の中に渦巻いているこの時代。
耳を澄ませて何かを“聴くこと”は、それ自らが渦に巻き込まれない静かな“場”を創り出し、道を切り開くように思う。
  
posted by Sachiko at 22:20 | Comment(3) | 言の葉