2021年01月10日

村への遠征

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。

ローエラたちのめんどうを見てくれるアディナおばさんは、足を折って入院してしまった。

夫のダビードおじさんが代わりに食べものを持ってやって来て、何かいるものはないかと尋ねた。
おじさんは迷惑がっている、ここへも、お義理で来ただけだ....ローエラはさとった。

おじさんが帰って一週間、食料もお金も底をついた。
ローエラを児童ホームに入れようとするアグダ・ブルムクヴィストが留守中に来ないか心配で、家を空けることができない。
でも、とうとう村まで行かなければならなくなった。

村での用事は、犯罪ではないけれど、だれにも目撃されたくない種類の仕事だった。

村の肉屋とパン屋の物置には、傷みかけたものを入れる樽が置いてある。豚の餌にするのだ。
中にはたいして傷んでいないものも放り込んである。

こんなによい品物を捨てるなんてもったいない、村の人はぜいたくだ、とローエラは思う。
パン屋を出たとき、あいにく村の女の子に見つかった。

「あっ、ノミのローエラだ!ジプシー娘!どろぼうネコ!」

女の子が金切声を上げ、通りの家々の窓が開いたときには、ローエラはとっくに姿を消していた。

こうしてローエラと弟たちは細々といのちをつないでいた。
パパ・ペッレリンのポケットにはときどき食べものが入っていたし、腕には一日おきに牛乳ビンがかかっている。

-----------------

・・・がんこで自尊心のつよいローエラだが、この援助だけはよろこんでうけいれていた。
なぜだろうか。おなさけではなくてあたりまえのこととしてあたえられたものだからであり、また、もし立場がぎゃくならきっとローエラもそうしてくれるはずだと、フレドリク=オルソンが考えているのを知っていたからである。

-----------------


だいぶ時間が空いてしまったけれど、「森の少女ローエラ」の続き...
あまり目撃されたくない種類の、ローエラの村での仕事は、村の人々から見れば、あまり目撃したくない光景でもあるだろう。

どこから見るかによって、人も物事も、まるで違った姿で映るものだ。
物語では、自分の力で幼い弟たちに食べさせようとする誇り高いローエラに光が当たっている。

村人たち、アディナおばさん、ダビードおじさん、帰ってこないママ...
ローエラから見たその人たちと、その人たちから見たローエラ。
関係性も、それぞれ違っている。

「おなさけではなくてあたりまえのこととしてあたえられたもの」
この言葉がキラリと光る。

「あの子は、ひとにめぐんでもらうくらいならぬすみをはたらくほうがましだと思う子だ」と、村の人たちはうわさしている。

子どものローエラと、老人のフレドリク=オルソンの関係は、対等なのだ。だから、たとえ立場が逆になったとしても同じように対等だ。

パパ・ペッレリンのポケットで贈りものを交換しあう以外、直接の関わりあいがほとんどないにも関わらず、ふたりには不思議な内的なつながりが感じられる。
たぶん、どこか似た種類の人間なのだ。

そして、冬になったある日、ついにアグダ・ブルムクヴィストがやって来た.....
  
posted by Sachiko at 21:56 | Comment(0) | マリア・グリーペの作品