ウルスラ・ブルクハルト「Elementarwesen - Bild und Wirklichkeit(元素霊 ― イメージと現実)」より。
各章のあいだの短い詩から、今日は妖精たちの詩をひとつ。
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芽吹くいのち
芽吹くいのち
花々や木々の中で
秘められた夢のように
妖精たちが織る
不思議な響き
囁き ざわめき
すべて混ざりあって
妖精たちが歌う
植物の上に
象られる雨
ヴェールをなびかせ
妖精たちが踊る
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最高気温が0度近くまで上がったので、今日の吹雪は湿り雪だった。
大地は雪に覆われて、妖精たちは地上の活動から退いている。
昆虫たちも眠っている。
雪にすっかり覆われた場所は、0度以下にはならない。
雪の下の落ち葉の中や、木の隙間に潜り込んで越冬するのだ。
知ってはいても、春一番に飛び立つ蝶を見ると、どうやって冬を越したのかと毎年思う。
あんなに小さな生きものが、−10度以下や吹雪にも耐えて春を迎えられるのは、妖精たちがそばにいて守っているからだ。
花のエルフたちにとって、昆虫は大切な存在だから。
気がつけばもうすぐ立春。
今年の立春は2月3日で、例年より1日早い。
2021年01月30日
芽吹くいのち
posted by Sachiko at 21:44
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| ウルスラ・ブルクハルト
2021年01月27日
町のくらし・2
マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。
ローエラは児童ホームでも孤独だった。
ローエラに関心を寄せる子は多かったが、ローエラはテストしないうちは誰も友だちとして受け入れるつもりがない。
みんなは集会室でラジオを聴いたりゲームをしたりするが、ローエラは興味が湧かない。
ローエラには、娯楽を楽しんでいるつもりのみんなが惨めな生活をしているように思えた。
ある日アディナおばさんから手紙が来た。
ローエラのことをあれこれ案じ、励ましの言葉が添えられ、10クローナ札も入っていた。
ローエラは返信の中で、不平不満はこぼさなかったが、都会の人々の奇妙な暮らしぶりのことは書かずにいられなかった。
--------------------
《わたしはこのあいだ、台所へいってみましたが、火のたける、ちゃんとした暖炉なんてないのです。
いつもちょっとスイッチをひねるだけで、火をおこさずに、ぜんぶ食事のしたくをしてしまいます。暖房もそうです。
これはつまり、ものぐさな気分がそうさせるのです。町の人は世界一のなまけ者です。
外へごみをすてにいくのもめんどうがって、建物のまんなかにあるダストシュートというもののなかへほうりこみます。だから、建物はたちまちごみだらけになりそうです。
そのせいで、町の人々は、つぎつぎに高い家を建てていくのでしょう。そのうち町の人たちはみんな、天までとどくごみの山の上に住むことになるでしょうよ。》
--------------------
ローエラはまだ町の暮らしに慣れない(幸いなことに)。
興味の湧かないゲームに無理に参加しようともしない。
みんなでゲームをすれば楽しいだろう、という大人たちの発想...
私も既成の娯楽というものはどうにも苦手だった。
余談だが、高校生の時、展覧会を観る予定で男の子たちと街に出た。
途中彼らがゲームをしたいと言うので、私は手持無沙汰でゲームセンターの隅っこで待っていたら補導委員につかまった。
平日だったが、私たちは開校記念日で休みだったのだ。学校名を言って釈放してもらった。ゲームセンターに入ったのはその時だけで、こんなしょうもない思い出しかない。
今の暮らしは1970年代どころではないから、ローエラが我が家を見たら、惨めな暮らしに見えることだろう。
火が見えないのに空気だけ温まる暖房、確かに奇妙だ。
簡単便利、手間が省ける、時間がかからない、清潔・抗菌....
そうやって省いたものは、実は生命の充溢そのものだったりするのだ。
とはいえ、今は都会では、庭で焚火をすることすらできない。
都市生活をするなら、そういうことも受け入れるしかない。
そしてローエラも、町での友だちづきあいを体験し始めることになる。
ひとり部屋だったローエラの部屋に、新しい女の子が入ってきたのだ....
ローエラは児童ホームでも孤独だった。
ローエラに関心を寄せる子は多かったが、ローエラはテストしないうちは誰も友だちとして受け入れるつもりがない。
みんなは集会室でラジオを聴いたりゲームをしたりするが、ローエラは興味が湧かない。
ローエラには、娯楽を楽しんでいるつもりのみんなが惨めな生活をしているように思えた。
ある日アディナおばさんから手紙が来た。
ローエラのことをあれこれ案じ、励ましの言葉が添えられ、10クローナ札も入っていた。
ローエラは返信の中で、不平不満はこぼさなかったが、都会の人々の奇妙な暮らしぶりのことは書かずにいられなかった。
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《わたしはこのあいだ、台所へいってみましたが、火のたける、ちゃんとした暖炉なんてないのです。
いつもちょっとスイッチをひねるだけで、火をおこさずに、ぜんぶ食事のしたくをしてしまいます。暖房もそうです。
これはつまり、ものぐさな気分がそうさせるのです。町の人は世界一のなまけ者です。
外へごみをすてにいくのもめんどうがって、建物のまんなかにあるダストシュートというもののなかへほうりこみます。だから、建物はたちまちごみだらけになりそうです。
そのせいで、町の人々は、つぎつぎに高い家を建てていくのでしょう。そのうち町の人たちはみんな、天までとどくごみの山の上に住むことになるでしょうよ。》
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ローエラはまだ町の暮らしに慣れない(幸いなことに)。
興味の湧かないゲームに無理に参加しようともしない。
みんなでゲームをすれば楽しいだろう、という大人たちの発想...
私も既成の娯楽というものはどうにも苦手だった。
余談だが、高校生の時、展覧会を観る予定で男の子たちと街に出た。
途中彼らがゲームをしたいと言うので、私は手持無沙汰でゲームセンターの隅っこで待っていたら補導委員につかまった。
平日だったが、私たちは開校記念日で休みだったのだ。学校名を言って釈放してもらった。ゲームセンターに入ったのはその時だけで、こんなしょうもない思い出しかない。
今の暮らしは1970年代どころではないから、ローエラが我が家を見たら、惨めな暮らしに見えることだろう。
火が見えないのに空気だけ温まる暖房、確かに奇妙だ。
簡単便利、手間が省ける、時間がかからない、清潔・抗菌....
そうやって省いたものは、実は生命の充溢そのものだったりするのだ。
とはいえ、今は都会では、庭で焚火をすることすらできない。
都市生活をするなら、そういうことも受け入れるしかない。
そしてローエラも、町での友だちづきあいを体験し始めることになる。
ひとり部屋だったローエラの部屋に、新しい女の子が入ってきたのだ....
posted by Sachiko at 22:06
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| マリア・グリーペの作品
2021年01月24日
ひとつの意味
マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。
ローエラは学校に通うことになった。
村にいた頃は、試験の時にだけ学校に呼び出されたが、教科書はもらっていたので、試験はいつも上出来だった。
ローエラはクラスに編入され、苦もなく授業についていった。
図画の時間、父の日の絵を描くことになった。だが別の絵でもかまわない。ローエラは父の日の絵を描いても、あげる人がいない。
ローエラは、パパがローエラを引き取ることができなくてがっかりしていたという、アグダ・ブルムクヴィストの言葉を思い出した。
ローエラは思う。あたしにはパパがいる。あたしはパパに似ているそうだ。それならパパは必ず帰ってくる、まちがいない....
アディナおばさんがよく、この世のできごとは、みんな何かしら意味がある、と言っていた。
ローエラは町に来た意味を見出した。きっとこの町で、パパに会えるのだ。
パパが迎えに来てくれるなら、父の日の絵だって描ける。
ローエラは、草原の道の手前に男の人を描き、道の向こうから歩いてくる少女を描いた。パパとローエラだ。
「じょうずねえ」というつぶやきがあがる。
先生はその絵を壁に飾ろうとしたが、ローエラは嫌がった。
他人の目にさらしたくない。
見つけだしたひとつの意味を、消えてなくならないように、大事に守らなければならない。
-----------------
こうして学校生活が始まったが、村で学校に通っていなかったことについての面白い箇所がある。
“ローエラみたいに、だいじなことをいろいろ考えなければならない立場にあると、学校などかまっていられなくなるというだけだった。”
「ヒューゴとジョセフィーン」シリーズの中に、ヒューゴの似たような言葉があった。
「何よりも大事なことってのが、すごくいっぱいあるんだ。それで、まずいんだよなあ」
「おれはいろんなことが勉強したい。いろんなことが知りたい。けど、いつも学校にじゃまされるんだよなあ。」
学校という枠にはまりきらない、自由で生き生きとした、マリア・グリーペが得意とする子どもたち。
ローエラも、先生が教えるようなことはとっくに知っているはずだ。
校長先生は気さくな人でいつもにこにこしていたが、ローエラはその微笑に応じることができなかった。
町の人たちは互いにあいさつさえしないのに、誰かと知り合った時にはやたら微笑する。
“町の人の微笑は、スイッチをおしただけでつくあかりのようだが、そんな単純なものではないはずだ。
ほのおのないあかりと、理由のないほほえみ --- この二つは、むしょうにローエラの不安感をかきたてた。”
ローエラを不安にするのは二つに共通する“空疎さ”だ。
深い必然性もなく、簡単に現れる。あかりもほほえみも、ほんとうの力を持たなくなっている。
町ではたいくつしないとみんなは言うが、娯楽で時間をつぶすようなことは、ほんものの森の生気を知っているローエラの目にはみじめな生活に映る。
けれど町に来た意味は、ここでパパに会えることだ。
この望みはローエラの中でしだいに大きくなっていく。
ローエラは学校に通うことになった。
村にいた頃は、試験の時にだけ学校に呼び出されたが、教科書はもらっていたので、試験はいつも上出来だった。
ローエラはクラスに編入され、苦もなく授業についていった。
図画の時間、父の日の絵を描くことになった。だが別の絵でもかまわない。ローエラは父の日の絵を描いても、あげる人がいない。
ローエラは、パパがローエラを引き取ることができなくてがっかりしていたという、アグダ・ブルムクヴィストの言葉を思い出した。
ローエラは思う。あたしにはパパがいる。あたしはパパに似ているそうだ。それならパパは必ず帰ってくる、まちがいない....
アディナおばさんがよく、この世のできごとは、みんな何かしら意味がある、と言っていた。
ローエラは町に来た意味を見出した。きっとこの町で、パパに会えるのだ。
パパが迎えに来てくれるなら、父の日の絵だって描ける。
ローエラは、草原の道の手前に男の人を描き、道の向こうから歩いてくる少女を描いた。パパとローエラだ。
「じょうずねえ」というつぶやきがあがる。
先生はその絵を壁に飾ろうとしたが、ローエラは嫌がった。
他人の目にさらしたくない。
見つけだしたひとつの意味を、消えてなくならないように、大事に守らなければならない。
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こうして学校生活が始まったが、村で学校に通っていなかったことについての面白い箇所がある。
“ローエラみたいに、だいじなことをいろいろ考えなければならない立場にあると、学校などかまっていられなくなるというだけだった。”
「ヒューゴとジョセフィーン」シリーズの中に、ヒューゴの似たような言葉があった。
「何よりも大事なことってのが、すごくいっぱいあるんだ。それで、まずいんだよなあ」
「おれはいろんなことが勉強したい。いろんなことが知りたい。けど、いつも学校にじゃまされるんだよなあ。」
学校という枠にはまりきらない、自由で生き生きとした、マリア・グリーペが得意とする子どもたち。
ローエラも、先生が教えるようなことはとっくに知っているはずだ。
校長先生は気さくな人でいつもにこにこしていたが、ローエラはその微笑に応じることができなかった。
町の人たちは互いにあいさつさえしないのに、誰かと知り合った時にはやたら微笑する。
“町の人の微笑は、スイッチをおしただけでつくあかりのようだが、そんな単純なものではないはずだ。
ほのおのないあかりと、理由のないほほえみ --- この二つは、むしょうにローエラの不安感をかきたてた。”
ローエラを不安にするのは二つに共通する“空疎さ”だ。
深い必然性もなく、簡単に現れる。あかりもほほえみも、ほんとうの力を持たなくなっている。
町ではたいくつしないとみんなは言うが、娯楽で時間をつぶすようなことは、ほんものの森の生気を知っているローエラの目にはみじめな生活に映る。
けれど町に来た意味は、ここでパパに会えることだ。
この望みはローエラの中でしだいに大きくなっていく。
posted by Sachiko at 22:07
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| マリア・グリーペの作品
2021年01月21日
「月夜のみみずく」
「月夜のみみずく」(Jane Yolen / John Schoenherr)

冬の夜ふけ、とうさんと“わたし”は、みみずくを探しに森へ出かけた。
みみずくに会いにいくときは、しずかにしなくちゃいけない。
森につくと、とうさんは、わしみみずくの声で呼びかけた。
“ほうーほう ほ・ほ・ほ ほーう”
それからもずんずん歩いて、森の中にはいりこむ。
森のあき地を、真上から月がてらして、雪はミルクより白い、まっ白。
もの音を聞きつけて、とうさんは呼びかけた。
“ほうーほう ほ・ほ・ほ ほーう”
へんじが、かえってきた。
“ほうーほう ほ・ほ・ほ ほーう”
とうさんとみみずくは、おしゃべりしているみたい。
みみずくの声は近くなり、とつぜん、わたしたちの真上をとんだ。
木のえだにとまったみみずくと、わたしたち、じっと見つめあった。
やがてみみずくは、おおきなつばさ動かして、森のおくへと帰っていった。
-----------------
みみずくに あうときは
おしゃべりは いらないの
あいたいな あえるかなって
わくわくするのが すてきなの
それが とうさんに おそわったこと
-----------------
これまでも何冊か紹介した、ジェーン・ヨーレンの作。
冬の森は、静かで、美しく、厳かだ。
そこに息づくものたちも、威厳に満ちている。
森の生きものたちに会いたければ、その威厳に敬意をはらい、ふさわしい態度で近づかなくてはならない。
凍てつく冬の夜、少女は初めてみみずくに会いにいく。
針葉樹の暗い影と、真っ白に輝く雪。
木の祠から顔をのぞかせる小動物....
そして、大きく翼を拡げたみみずく....
けれど冬の森に、多くの言葉はいらない。
それ自身が語る沈黙で十分だ。
北海道にのみ生息するシマフクロウは、昔ずっと「縞フクロウ」だと思っていたが、後日「島フクロウ」だと知った。
これも絶滅危惧種だ。営巣できる場所が少なくなってしまったのだ。
野生の生きものたちが生き延びるためには、人間も自分のほんとうの姿を思い出さなくてはいけないだろう。

冬の夜ふけ、とうさんと“わたし”は、みみずくを探しに森へ出かけた。
みみずくに会いにいくときは、しずかにしなくちゃいけない。
森につくと、とうさんは、わしみみずくの声で呼びかけた。
“ほうーほう ほ・ほ・ほ ほーう”
それからもずんずん歩いて、森の中にはいりこむ。
森のあき地を、真上から月がてらして、雪はミルクより白い、まっ白。
もの音を聞きつけて、とうさんは呼びかけた。
“ほうーほう ほ・ほ・ほ ほーう”
へんじが、かえってきた。
“ほうーほう ほ・ほ・ほ ほーう”
とうさんとみみずくは、おしゃべりしているみたい。
みみずくの声は近くなり、とつぜん、わたしたちの真上をとんだ。
木のえだにとまったみみずくと、わたしたち、じっと見つめあった。
やがてみみずくは、おおきなつばさ動かして、森のおくへと帰っていった。
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みみずくに あうときは
おしゃべりは いらないの
あいたいな あえるかなって
わくわくするのが すてきなの
それが とうさんに おそわったこと
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これまでも何冊か紹介した、ジェーン・ヨーレンの作。
冬の森は、静かで、美しく、厳かだ。
そこに息づくものたちも、威厳に満ちている。
森の生きものたちに会いたければ、その威厳に敬意をはらい、ふさわしい態度で近づかなくてはならない。
凍てつく冬の夜、少女は初めてみみずくに会いにいく。
針葉樹の暗い影と、真っ白に輝く雪。
木の祠から顔をのぞかせる小動物....
そして、大きく翼を拡げたみみずく....
けれど冬の森に、多くの言葉はいらない。
それ自身が語る沈黙で十分だ。
北海道にのみ生息するシマフクロウは、昔ずっと「縞フクロウ」だと思っていたが、後日「島フクロウ」だと知った。
これも絶滅危惧種だ。営巣できる場所が少なくなってしまったのだ。
野生の生きものたちが生き延びるためには、人間も自分のほんとうの姿を思い出さなくてはいけないだろう。
posted by Sachiko at 21:59
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| 絵本
2021年01月19日
吹雪、地吹雪
昨冬はついに吹雪を見ないまま終わり、何とも不完全燃焼のまま春を迎えたけれど、今日は久々の吹雪になった。
今日の最高気温はマイナス6度、地吹雪を伴う理想的(?)な吹雪だった。
雪が降っていなくても、地面に積もっているパウダースノーが風で舞い上がるのを地吹雪という。
ほとんど視界が遮られ、ホワイトアウト状態になることもある。
窓から眺めている分には美しいけれど、こんな日は遠出しないほうがいい。
かつては市内でも、外れの地域では猛吹雪になる度に車が遭難し、死者が出ることも珍しくなかった。
昔は吹雪が多く、小学校の頃、ひどい吹雪の日は早めに授業が打ち切りになって集団下校、ということもあった。
温暖化が進んでからはそんな話は聞かない。
空や海など、一面の青があるところには神の力がはたらいていると言われる。
では一面の白はどうなのだろう。
一面真っ白な雪、雪、雪....
この世とは別の次元に移されるような、これほど美しい景色はないと思う。
雪(パウダースノー)のない世界は考えられないし、私は住めない。
今日の最高気温はマイナス6度、地吹雪を伴う理想的(?)な吹雪だった。
雪が降っていなくても、地面に積もっているパウダースノーが風で舞い上がるのを地吹雪という。
ほとんど視界が遮られ、ホワイトアウト状態になることもある。
窓から眺めている分には美しいけれど、こんな日は遠出しないほうがいい。
かつては市内でも、外れの地域では猛吹雪になる度に車が遭難し、死者が出ることも珍しくなかった。
昔は吹雪が多く、小学校の頃、ひどい吹雪の日は早めに授業が打ち切りになって集団下校、ということもあった。
温暖化が進んでからはそんな話は聞かない。
空や海など、一面の青があるところには神の力がはたらいていると言われる。
では一面の白はどうなのだろう。
一面真っ白な雪、雪、雪....
この世とは別の次元に移されるような、これほど美しい景色はないと思う。
雪(パウダースノー)のない世界は考えられないし、私は住めない。
posted by Sachiko at 22:30
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| 北海道