グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。
子どもたちがグリーン・ノウに戻ると、発掘委員会は大騒ぎになっていた。
怒鳴り声、テーブルを叩く音、書類の束を投げつける人....
「抗議します!」
「けしからん!」
「権威を傷つけるものだ!」
「なまいきなつくりごとだ!」
誰かが「モード・ビギン博士はぺてん師だ!」とどなり、モード・ビギンも、「あなたこそばかなおいぼれじじいよ!」と答えて腰を下ろした。
窓から見ていた子どもたちは拍手喝采し、委員会の人たちは子どもたちに気づいて、ようやく騒ぎは静まった。
委員会の人たちにとって博士の『巨人の歯』は、現実にあってはならない、認めがたいものだったのだ。
「これが証拠よ!これは巨人の歯です!わたしたちがいましなければならないのは、これが出てきたじゃりの土地をみつけ、時代をはっきりさせることだけです」
ビギン博士はそう言ったが、相手にされなかった。
お客たちはミス・シビラにおいしい料理のお礼をのべながら帰っていった。
静かな池での、子どもたちのすばらしい時間とは対照的に、大人たちの滑稽な大騒ぎは、まるで次元が急降下したように見える。
波立つ水面は何も映さない。誰もかれもが自分の姿すら見えなくなっているようだった。
グリーン・ノウではよく変わった出来事が起こるが、委員会の騒ぎはそれとは違って、この屋敷にそぐわなかった。
もっともこの大騒ぎの原因は、子どもたちがテラックからもらった歯だったのだが....
そしてビギン博士が委員たちに対して言った、見ようとしない者ほど見えない者はいない、という言葉は、後に博士自身に返ってくることになる。
2020年08月31日
委員会は大騒ぎ
posted by Sachiko at 22:16
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| ルーシー・M・ボストン
2020年08月29日
水の幽霊
グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。
カヌーを修理のために船大工に預け、代わりに平底舟を借りた子どもたちは、騒がしい夏の遊び客から逃れて、支流の奥まったところにある静かな池にたどり着いた。
葦の繁みに囲まれた、鏡のように静かな水面は、すべてのものをさかさまに映し出していた。
オスカーとピンの水に映った姿を見て、アイダは言った。
「どっちがほんとうのあんたたちか、わからないわ」
オスカーが言った。
「ふたりになってるのは、こっちが水の上にいるときだけなんだ。もし水にもぐれば、ぼくはむこうの中にそっくりすべりこんで、ひとりになってしまう。となると、下にいるのがほんもので、ぼくはただの水の幽霊かなんかだってことになるのかな?やってみよう。」
みんなで水の幽霊になるために、アイダとピンも飛び込んだ。
水に映った景色はほんとうに美しく神秘的だ。
そっくりのものがさかさまになっているだけなのに、まるで別の世界のような不思議さをまとう。
この静かな水の情景は、以前少しだけ紹介したことがある。
「グリーン・ノウの川」の中で、私は〈水の幽霊〉と題されたこの章がいちばん好きだ。
-------------
こんなにすてきな日はなかった。音といえばただ、三人のとびこむ音、舟にすわったとき髪やひじから落ちるしずくの音、そしてとりとめのないおしゃべりの声だけだった。池は、心の中のいちばんないしょの考えと同じくらいに、かれらだけのものだった。
そしてずっとあとまで、アイダの見るいちばんすてきな夢は、いつも、ゆらゆらとゆれるあしでとりかこまれていたのである。
-------------
ここでは大きな出来事も起こらず不思議な生きものも登場しない。静かな池と、それを取りまく植物、空と太陽、満足しきってしあわせな三人の子どもたち...
ほんとうの楽しさは、騒がしさとは違う次元にある。
波立つ水面では見えないものを、鏡のように静かな水は映し出す。
このあと、あたりを探検に行ったオスカーが、イグサの繁みの中から緑色のガラスびんを見つけてきた。中には何かが入っている。
このガラスびんが、次の不思議な出来事につながっていく....
カヌーを修理のために船大工に預け、代わりに平底舟を借りた子どもたちは、騒がしい夏の遊び客から逃れて、支流の奥まったところにある静かな池にたどり着いた。
葦の繁みに囲まれた、鏡のように静かな水面は、すべてのものをさかさまに映し出していた。
オスカーとピンの水に映った姿を見て、アイダは言った。
「どっちがほんとうのあんたたちか、わからないわ」
オスカーが言った。
「ふたりになってるのは、こっちが水の上にいるときだけなんだ。もし水にもぐれば、ぼくはむこうの中にそっくりすべりこんで、ひとりになってしまう。となると、下にいるのがほんもので、ぼくはただの水の幽霊かなんかだってことになるのかな?やってみよう。」
みんなで水の幽霊になるために、アイダとピンも飛び込んだ。
水に映った景色はほんとうに美しく神秘的だ。
そっくりのものがさかさまになっているだけなのに、まるで別の世界のような不思議さをまとう。
この静かな水の情景は、以前少しだけ紹介したことがある。
「グリーン・ノウの川」の中で、私は〈水の幽霊〉と題されたこの章がいちばん好きだ。
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こんなにすてきな日はなかった。音といえばただ、三人のとびこむ音、舟にすわったとき髪やひじから落ちるしずくの音、そしてとりとめのないおしゃべりの声だけだった。池は、心の中のいちばんないしょの考えと同じくらいに、かれらだけのものだった。
そしてずっとあとまで、アイダの見るいちばんすてきな夢は、いつも、ゆらゆらとゆれるあしでとりかこまれていたのである。
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ここでは大きな出来事も起こらず不思議な生きものも登場しない。静かな池と、それを取りまく植物、空と太陽、満足しきってしあわせな三人の子どもたち...
ほんとうの楽しさは、騒がしさとは違う次元にある。
波立つ水面では見えないものを、鏡のように静かな水は映し出す。
このあと、あたりを探検に行ったオスカーが、イグサの繁みの中から緑色のガラスびんを見つけてきた。中には何かが入っている。
このガラスびんが、次の不思議な出来事につながっていく....
posted by Sachiko at 22:07
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| ルーシー・M・ボストン
2020年08月27日
フタスジチョウ
今年の新顔、フタスジチョウ。

日本には幾つかの亜種があり、これは正確に言えばフタスジチョウ北海道亜種だ。
フタスジチョウは北海道全域と、本州では高地でしか見られないそうで、いくつかの県ではすでに絶滅危惧種になっているという。
美しいものが次々と絶滅の危機....いったい人間は何をやっているのだろう。
発生の最盛期は6〜7月らしいが、すでに8月下旬。
夏の終わりのフタスジチョウ、小さな庭にようこそ♪
------------------------
〈月と樹のしらべ〉 https://fairyhillart.net


日本には幾つかの亜種があり、これは正確に言えばフタスジチョウ北海道亜種だ。
フタスジチョウは北海道全域と、本州では高地でしか見られないそうで、いくつかの県ではすでに絶滅危惧種になっているという。
美しいものが次々と絶滅の危機....いったい人間は何をやっているのだろう。
発生の最盛期は6〜7月らしいが、すでに8月下旬。
夏の終わりのフタスジチョウ、小さな庭にようこそ♪
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〈月と樹のしらべ〉 https://fairyhillart.net

posted by Sachiko at 21:12
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| 自然
2020年08月25日
ビギン博士の発見
グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。
子どもたちは船に乗せられて家に帰った。
モード・ビギン博士は救助隊にお礼を言い、救助費用の請求にもこころよく応じた。
「あらゆる経験にはお金がかかるものですからね。それに三つも葬式を出した日には、もっともっとお金がかかるでしょうから。」
そう言ってミス・シビラをあきれさせたが、こんなことがあっても、「危ないからもうカヌー遊びは禁止!」などとは言わなかった。
「あんたたちは第一級の冒険をした、とわたしは考えてるんだよ。だれもかも、それでいいじゃないの。」
アイダは、巨人のことは話さないで、歯だけを見せてあげられないだろうかと言った。そしてモードおばさんが自分でそれを発見したらもっと喜ぶことだろう。
子どもたちは、ビギン博士がいつも散歩する砂利道(ちょうど新しい砂利を敷いたばかりなのだ)の上に、テラックの歯を置くことにした。
そして博士はそれを見つけた。
「えっ!あらっ!そんなはずが!・・・まさか!」
博士の驚くようすを見て、子どもたちは心から喜んだ。
翌日、つまりグリーン・ノウ屋敷で発掘委員会が開かれる日の朝、子どもたちは朝食が済んだらじゃまにならない場所に行っているように言われた.....
子どもたちだけの第一級の冒険など、もう今日では望めない。
夏休みの自由研究キットが売られているような時代、火や刃物をきちんと使える子どもはどれくらいいいるだろう。
やはり冒険は自然の存在たちといっしょでなければ。
余談だが、最近高層マンションの上階からの子どもの転落事故が多い。ベランダのフェンスを乗り越えると危険なことくらい、4、5歳にもなっていればわかりそうなものを、と思うのだけれど...
高層マンション育ちの子どもは感覚が鈍っているという話も聞く。自然から離れすぎているのだ。
子どもが育つのに最も適した環境は田園だという。
ルーシー・M・ボストンの別の短編には、こんな記述がある。
「・・ほんものの田園では、どんな不思議なことだって、自由に想像できるわ。それが田園のすばらしさよ。」
グリーン・ノウの周辺はほんものの田園らしい。
子どもたちが増水した川でカヌーで遭難(本人たちはそう思っていないが)しても無事に帰ってこられたのは、ほんものの田園には、子どもたちを守る存在もちゃんといるからだ。
子どもたちは船に乗せられて家に帰った。
モード・ビギン博士は救助隊にお礼を言い、救助費用の請求にもこころよく応じた。
「あらゆる経験にはお金がかかるものですからね。それに三つも葬式を出した日には、もっともっとお金がかかるでしょうから。」
そう言ってミス・シビラをあきれさせたが、こんなことがあっても、「危ないからもうカヌー遊びは禁止!」などとは言わなかった。
「あんたたちは第一級の冒険をした、とわたしは考えてるんだよ。だれもかも、それでいいじゃないの。」
アイダは、巨人のことは話さないで、歯だけを見せてあげられないだろうかと言った。そしてモードおばさんが自分でそれを発見したらもっと喜ぶことだろう。
子どもたちは、ビギン博士がいつも散歩する砂利道(ちょうど新しい砂利を敷いたばかりなのだ)の上に、テラックの歯を置くことにした。
そして博士はそれを見つけた。
「えっ!あらっ!そんなはずが!・・・まさか!」
博士の驚くようすを見て、子どもたちは心から喜んだ。
翌日、つまりグリーン・ノウ屋敷で発掘委員会が開かれる日の朝、子どもたちは朝食が済んだらじゃまにならない場所に行っているように言われた.....
子どもたちだけの第一級の冒険など、もう今日では望めない。
夏休みの自由研究キットが売られているような時代、火や刃物をきちんと使える子どもはどれくらいいいるだろう。
やはり冒険は自然の存在たちといっしょでなければ。
余談だが、最近高層マンションの上階からの子どもの転落事故が多い。ベランダのフェンスを乗り越えると危険なことくらい、4、5歳にもなっていればわかりそうなものを、と思うのだけれど...
高層マンション育ちの子どもは感覚が鈍っているという話も聞く。自然から離れすぎているのだ。
子どもが育つのに最も適した環境は田園だという。
ルーシー・M・ボストンの別の短編には、こんな記述がある。
「・・ほんものの田園では、どんな不思議なことだって、自由に想像できるわ。それが田園のすばらしさよ。」
グリーン・ノウの周辺はほんものの田園らしい。
子どもたちが増水した川でカヌーで遭難(本人たちはそう思っていないが)しても無事に帰ってこられたのは、ほんものの田園には、子どもたちを守る存在もちゃんといるからだ。
posted by Sachiko at 22:04
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| ルーシー・M・ボストン
2020年08月23日
ゆっくりと、秋...
朝の真っ青な空も、少し冷んやりと乾いた空気も、秋の気配になっている。
昼間はまだ気温が高い日がありそうだけれど、秋の虫はとっくに鳴いているし、ほおずきも色づいている。

ブドウの実もふくらんできた

赤トンボ

色づいてきたブラックベリー

夕空には月齢4の月。
今年の十五夜は10月にずれ込む。
その頃まだ、穂が開ききらないススキが見つかるだろうか。
こうして今年も秋が廻ってくる。
宇宙的ないとなみのもとでは、地上の喧噪など何ほどのことでもないかのようだ。
昼間はまだ気温が高い日がありそうだけれど、秋の虫はとっくに鳴いているし、ほおずきも色づいている。

ブドウの実もふくらんできた

赤トンボ

色づいてきたブラックベリー

夕空には月齢4の月。
今年の十五夜は10月にずれ込む。
その頃まだ、穂が開ききらないススキが見つかるだろうか。
こうして今年も秋が廻ってくる。
宇宙的ないとなみのもとでは、地上の喧噪など何ほどのことでもないかのようだ。
posted by Sachiko at 22:04
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| 季節・行事