2020年06月30日

「ルピナスさん」

「ルピナスさん」(バーバラ・クーニー作・絵)

lupinus1.jpg

---------------

ルピナスさんは、小さいアリスの大おばさんで、丘の上に住んでいます。
ルピナスさんも同じアリスという名前で、アリスのおじいさんは大きな船でアメリカに渡ってきたのです。

アリスは、自分も大きくなったら遠い国に行って、それから海辺の町に住むと言いました。
おじいさんはアリスに言いました。

「もうひとつしなくてはならないことがあるぞ。
世の中を、もっと美しくするために、なにかしてもらいたいのだよ。」

アリスはそうすると約束しました。

大きくなってミス・ランフィアスと呼ばれるようになったアリスは、遠い国々を旅しましたが、あるとき背中を傷めてしまい、旅をおしまいにして海辺の家に落ちつきました。

「世の中をもっと美しくしなくてはならないわね」

あるとき、丘のむこうにルピナスの花が咲き乱れているのを見ました。庭から、風で種が運ばれていったのです。

それからミス・ランフィアスは、たくさんのルピナスの種を村のあちこちにまいて歩きました。
次の春、村じゅうがルピナスの花であふれました。

すっかり歳をとったミス・ランフィアスは、ルピナスさんと呼ばれるようになりました。
ルピナスさんは、小さいアリスに言いました。

「世の中をもっと美しくするために、なにかしなくては」

「いいわ」小さなアリスは約束しました。

---------------

美しい絵本にとって余計なことを先に言ってしまうと、ルピナスはマメ科でとても繫殖力が強い。野原や道端で野生化しているのをよく見かける。
実は危険外来種なので、そこらに種を蒔いてはいけない。

本題はそこではなく、「世の中をもっと美しくするために」という話だった。
人生における望みや課題は人それぞれだけれど、このひとつの約束は、実はすべての人が生まれるときに持ってきているものではないのだろうか。

自分が何をしにこの世にやってきたのか....現代社会のシステムは、そのようなことを考えさせないようにできているらしい。

でも時代は変わる。
子どもたちが早い時期に、それぞれの方法で世界をもっと美しくするという使命を持っていることを教わったなら、彼らは自分自身を誇らしく感じられることだろう。
そして、目に見えるかたちや見えないかたちで、世界を美しくすることができるだろう。

lupinus2.jpg
   
posted by Sachiko at 22:26 | Comment(4) | 絵本
2020年06月28日

「オメラスから歩み去る人々」

アーシュラ・K・ル=グウィンの短編「オメラスから歩み去る人々」。
SFに分類されているこれらの作品を、ル=グウィンは、サイコミス(心の神話)と呼んでいる。

-----------------

豊かで美しく誰もが幸せなオメラスの都には、ひとつの秘密があった.....

ある建物の地下室の暗闇に、性別不明のひとりの子どもが座っている。生まれつきか、あるいは境遇のせいで知能が退化したのかはわからない。
一日にわずかな食べ物と水が与えられ、裸でやせ細っている。

オメラスの人々の幸福、健康、豊かさ、都の美しさ....すべてがこの子どもの不幸に負っていることは、みんなが知っている。

子どもたちは8歳から12歳のあいだに、このことを大人たちから説明される。彼らはそこで見たものに衝撃を受け、怒りと無力さを感じる。
できるなら助けてやりたいと思うが、もしそうしたら、その瞬間、オメラスの繁栄と美と喜びは滅び去ってしまうのだ。

子どもたちは怒りと悲しみに長いあいだ思い悩むが、やがてこの掟を受け入れ始める。
だが時に、地下室の子どもを見に行った少年少女の中に、家に帰ってこない者がいる。時には大人の中にも、ふいに家を出る者がいる。

彼らは都の外へ出て、ひとりで旅する。そして二度と戻ってこない....

-----------------

オメラスの都は....どこかの世界に似ている。
そのからくりを皆知っているが、沈黙し受け入れる(ただ、子どもたちは知らされていないかもしれない)。

簡単便利で快適に見える都市の暮らしはどのように成り立っているのか。何でも豊かに手に入ると錯覚することのできる安価な品々は、どこでどのように作られているのか....
でもアンフェアな搾取のシステムを解体すれば、繁栄の都は滅び去るとしたら...?

この物語が発表されたのは1973年、もう半世紀近く前だが、今この時、とても今日的なものに見える。
物語の締めくくりはこうだ。

-----------------

彼らがおもむく土地は、私たちの大半にとって、幸福の都よりもなお想像に難い土地だ。それが存在しないことさえありうる。
しかし、彼らはみずからの行先を心得ているらしいのだ。
彼ら――オメラスから歩み去る人々は。

-----------------

持続不可能で不当なシステムが崩れ去ろうとするとき、力強く歩みだし、行先を心得ている人々がいるのはいいことだ。
それならば、新しい地はたしかに存在するだろうから。
  
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | SF
2020年06月26日

カンパニュラ・パーシフォリア

かなり前に近所の人から一株もらったカンパニュラ・パーシフォリアがこぼれ種で殖えている。

campanula.jpg

妖精は釣鐘型の花が好きだと言われている。
文字通り“釣鐘”の名を持つカンパニュラはその代表格で、妖精にはカンパニュラのかたちの帽子をかぶせたくなるのだ。

300種類ほどもあり、さらに毎年新しい園芸種が作りだされているカンパニュラの中でも、カンパニュラ・パーシフォリアは目にすることが多い。

日本のキキョウは楚々とした秋のイメージだが、カンパニュラの多くは初夏に咲く。
宮澤賢治はカンパニュラの花が好きだったという話がある。
思えば『銀河鉄道の夜』のカムパネルラの名はカンパニュラそのものだ。

宮澤賢治の童話にはリンドウの花もよく出てくる。
キキョウと同じく秋に咲く紫系の花で、花が開いた姿はキキョウに似ているけれど、こちらはリンドウ科だ。

どちらも中に小さなものが棲んでいそうな姿をしていて、秋の花に棲む日本の妖精は、小さくはかなげに透きとおっている気がする。

今年の6月も梅雨のようで花の時期が揃わず、バラとラベンダーが少し遅れて、デルフィニウムが先に咲いてしまった。
繁殖力旺盛なカンパニュラ・パーシフォリアは元気で、種があちこちに飛んで今年も思いがけないところに咲いている。
  
posted by Sachiko at 22:45 | Comment(3) |
2020年06月23日

夏の夜の夢

シェイクスピアの「夏の夜の夢」、夏の夜がいつなのかについては諸説あるが、私はやはりヨハネ祭のイブだと思いたい。

地方にいるとシェイクスピア作品を舞台で観る機会はめったにない。
「夏の夜の夢」はかなり昔、バレエ版を二つ観たことがある。

ひとつは英国ロイヤルバレエ団によるもので、もうひとつはリンゼイ・ケンプバレエ団の作品を映画化したものだった。

何となくイギリスの夏を連想してしまうけれど、作品の舞台はギリシャで、アテネ近郊の森だ。

ハーミアとライサンダー、ヘレナとディミトリアス、妖精王オーベロンと女王ティターニア、ロバ頭の織工ボトム、そしていたずら好きな妖精パック。

パックが持ち込んだ惚れ薬のおかげで、人間たちと妖精たちがおかしな行き違いを起こして大騒ぎ。

舞台劇でもバレエでも挿絵本でも、「夏の夜の夢」は、これぞ妖精の世界のイメージそのもののように、ほんとうに美しく楽しい、

メンデルスゾーンの〈夏の夜の夢〉の中の『妖精の歌』は、夏至前後のこの季節には必ず聴きたくなる。


  
posted by Sachiko at 22:14 | Comment(0) | 妖精
2020年06月21日

夏至の日食

今日は夏至で新月、しかも日本各地で部分日食が見られた。
沖縄など南へ行くほど欠けが大きく、台湾では金環食だ。
札幌はうっすら曇っていたが、見えたとしても欠け方はこのくらいだった↓

bubun2.gif

今年の天の様子はかなり特別らしい。
この前の満月(6月6日)は半影月食で、次の満月(7月5日)も、日本では見られないが半影月食だ。

7月5日の満月は、木星と土星が月の近くにあり、これは一晩中見ることができる。

夏至だというのに、今年の6月も曇り空が多く、以前のようなすっきりした快晴にならない。
ようやくバラが咲き始め、ラベンダーもつぼみがふくらんできた。

夏至の妖精たちは星の動きをどう見ているのか、変わらずに花の周りで踊ってくれているのか、人間界は騒がしいまま半年が過ぎようとしている。
  
posted by Sachiko at 22:30 | Comment(2) | 宇宙