2020年04月11日

迷路を歩く・2

昨日の記事の迷路は、原文ではlabyrinthになっている。
これは迷宮ではないかと言われればそうかも知れないが、私はさほどそこが重要とは思っていなかった。

迷路(maze)は、元々は庭園などで植物を刈り込んで道を作ったものを指すらしい。
イメージとしては、建物の中ならlabyrinthで、外ならmazeだろうか。辞書を引いてみたけれど英語でも双方の区別はあいまいなようだ。

混迷した世界の中で道を探りながら、新しい世界価値という出口に向かう旅なら、建物の中に限定されないほうがイメージに近いかと思う。

建物の中か外かという言葉の問題で迷うと、かえって本質である出口から遠ざかる気がするのでこのへんにしておく。

「迷路を歩くことは、世界をその正しい道に戻すことに役立つ」
世界はもう、タイムリミット付きで正しい道に戻りたがっているのだ。
宇宙時間でどのくらいかかるかわからないけれど、先導するのは古い時代にリーダーと呼ばれた人たちではない。

テーセウスの糸玉を持った人々の、出口に向かう静かな列がある。
糸玉の元は、どこから来たのか...
以前紹介した「お姫さまとゴブリンの物語」では、天上世界のような場所から糸が渡された。

「糸がとんでもないところを通っているように見えても、糸をうたがわずについて行くのですよ」

行くも留まるも、それぞれの「ほんとう」だけが道を示す、そんな時が来ている。
それが心もとないクモの糸に見えたとしても、源につながっている糸を離さず行けば、きっと出口にたどり着くだろう。

オマケ:
北海道雨竜町のヒマワリ畑♪ 内部は迷路になっている。

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posted by Sachiko at 22:02 | Comment(0) | 未分類
2020年04月09日

迷路を歩く

今朝、あるところで見つけた言葉...

「迷路を歩くことは、世界をその正しい道に戻すことに役立つ」(Walking a labyrinth, helps to set the world back on its rightful path.)

フィンドホーンのある場所のことを思いだした。
正式名を忘れてしまったが、日本人のあいだでは、通称「ぐるぐる山」と呼ばれていた。

クルーニー館の裏手の道をしばらく行ったところに、小さな丘がある。
そこには螺旋状に小道がつけられていて、頂上までぐるぐると歩きながら登るのだ。

私はもっと大きな丘を想像していたので、最初は小道を横切ってまっすぐ登ってしまい、ぐるぐる山はどこにあるんだろう?と思っていたら、立っていた場所が頂上だった。
確かに、そこには石を並べて作ったそれらしき印が幾つかあった。

フィンドホーンで冬に行われるスパイラルウォークも、針葉樹の枝で螺旋形に作った道を歩き、キャンドルに火をともして瞑想するお祭りだ。

普段、人は道をまっすぐ歩き、ぐるぐる回ることはない。
ぐるぐると歩くことで、意識されない深みに触れるような、通常とは違う次元に移される。

河合隼雄の本だったか、こんな話を読んだことがある。
ある精神疾患を患った男性が、迷路のような町で迷子になって一晩中歩き回り、朝になって出てきたときには治っていた、という話だ。

世界に時々降りかかる災難は、人間を迷路の中に放り込み、そこを抜け出たときにそれまでとは違った価値にたどり着く可能性として現れるのではないか、という気もする。
  
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posted by Sachiko at 22:34 | Comment(2) | フィンドホーン
2020年04月07日

家の小人

『ZWERGE, GNOME UND FANTOME』(アニー・ヘルディング著)より。

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小人はふつう30〜40センチくらいの背丈で、グループを作っています。
一人暮らしの小人はそれより大きく、1メートル以上になることもあり、エルフ耳と大きな鼻を持っています。

森の小人はグループで暮らし、とんがり帽子を被って、髭を生やした老人の顔をしています。

家の小人はほとんどが一人暮らしで、家や炉を守り、農場の牛の世話をするのを仕事としています。

北欧の小人たちは、その地方の子どもたちと同じような赤い帽子を被っていて、家の周り、納屋、家畜小屋などを見回ります。

めったに外に出ない家の小人もいます。
彼らは燃える火のそばで過ごすのが好きで、家の中に自分の場所を持ち、家族に奉仕することを喜びとしています。
彼らは主に田舎家や城館などの古い建物に住みついています。

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まるでおとぎ話そのもののような、小人たちの姿...
伝承の中の小人たちは、ただ想像の産物ではなく、かつて確かに彼らを知覚した人々によってその姿を伝えられたのだ。

家と農場を見回る小人は、北欧でトムテ、ニッセ、トントゥなどと呼ばれる。
クリスマスに彼らのためにバターをのせたおかゆを出しておくという習慣も、かつては人間と小人たちとのリアルな関係性から生まれたものだったと思う。

私は、家は生きものだと信じている。
小人たちが古い家に住んでいるのは、それらが生きた本物の家だからだ。

本物の家は少なくなった。
小人が大都市のタワーマンションに住みたがるとは思えない。そこは地面から遠く、風が通らず、生きた火もない。
人々が炉端に集い、物語が語られた時代には、小人たちも心地よくそこに座っていたことだろう。
   
posted by Sachiko at 22:19 | Comment(0) | 妖精
2020年04月05日

サリー・ガーデン

このブログに音楽カテゴリがないように、私はふだんは音楽より静寂のほうが好ましいと思っている。
何となく音楽を流しっぱなしにすることはない。

でもごくたまに、この曲を聴きたい!と思うことがある。
今日は久々に、日本ではサリー・ガーデンとして知られるアイルランドの歌「Down By The Sally Gardens」を聴きたくなった。




この曲は、私はライアー演奏によるCDを持っているのだけれど、今日は歌で聴きたかった。
澄んだ美しい歌声が空気を浄化する。

アイルランドの歌姫といえば、昔エンヤが好きで当時はよく聴いていた。こちらも久しぶりに聴いてみようか....

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〈スプリング エフェメラル〉 https://fairyhillart.net

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posted by Sachiko at 22:07 | Comment(0) | 未分類
2020年04月03日

グローリー・オブ・ザ・スノー

チオノドクサ、またの名をグローリー・オブ・ザ・スノー“雪の栄光”。

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庭の雪は数日前に消えてしまったけれど、輝くような青い花の最初の一輪が咲いた。

和名はユキゲユリというそうで、どんな字を書くのかと思ったら「雪解百合」だった。

もうすぐイースターだというのに、イースターを本格的に祝うはずの地域は大変なことになっている。

でも、慣習としての、あるいは商業色を帯びすぎたお祭りは、もう終わるのかもしれない。

地球と人類の「ほんとうの祝祭」が必要とされているのかもしれない。

春、雪が解けて土の中から一輪の花が咲き出ることは、何という祝祭だろう!
この祝祭のために、どれほどの宇宙的な力がはたらいているのか....
その環のなかに、還りたいと思う。
  
posted by Sachiko at 22:04 | Comment(0) | 季節・行事