2020年04月19日

明るい日曜日

今日は快晴で、最高気温が17℃を超えた。
こうしてまた窓を開けて風を入れる季節になった。

最初のタンポポが咲き、ライラックの枝先にはもう小さなつぼみがついている。

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とても青い、シラー・シビリカ。

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大地は変わらずに花たちを光の中へ送り出す。
花の周りには不思議な輝きがあり、エルフたちの気配が感じられる。

彼らとともに暮らす道へ、帰ろう。
地球はもう次の文明に向かって舵を切っていることが、目に見えるかたちになってきたと思う。

明日からはしばらく雨が続くようだ。雨があがった頃には早咲きのチューリップが咲いているだろう。
   
posted by Sachiko at 22:14 | Comment(0) |
2020年04月18日

「百年の家」

「百年の家」(パトリック・ルイス作 ロベルト・インノチェンティ絵)
古い家が自らを語る物語。

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「この家の扉の上の横板に、1656と記されているのが読めるだろう。それがこの家、つまり、この私がつくられた年だ・・」


このように、家は語りはじめる。

さまざまな家族の変遷を見たあと、家には誰も住まなくなり、やがて廃屋となった。

1900年、子どもたちがその古い家を見つけた。
家は修理され、5年後には、新しい住人が植えた果樹が育っていた。

1915年、家では結婚祝いが行われ、翌年、子どもが生まれた。

1918年、妻は夫を失った。第一次世界大戦終結。

1936年、小麦の刈り入れ。収穫量が少なかったら、戦いは負けだ。

1942年、家は、戦火で何もかもなくした人たちの、最後の避難所になった。
1944年、だれの戦争なのだろう?

1958年、街へ移り住む息子が家を去った。

1967年、母親の葬式。
心をなくした家は、露のない花のようなものだ。

1973年、いままでの暮らし方を継がない。それが新しい世代だ。
わたしはもう誰の家でもない。

1993年、わたしは独りのまま、うごけないのだ。

1999年、このうえないものは、どこヘ消えたのか?
なくなったもののほんとうの護り手は、日の光と、そして雨だ。


家と同じように、この物語も重厚だ。
古い時代には、そこで誕生と結婚と葬式が行われて、はじめて家はほんとうの家になる、と言われていた。

それなら現代人はもう、ほんものの家に住むことはできない。
あまりに複雑な社会の中で忙しくなりすぎた人々の代わりに、人生の節目のあらゆることは“業者”に任せなくてはならない。

家はそこに住んだ人々の思いを記憶に留めるという。
家や部屋を借りるときには、前の住人が幸せだったかどうかを確かめる必要がある、という話を聞いたことがある。
どちらにしても、今幸せに暮らしてあげることが、家にとっても喜びになるだろう。

他のあらゆる存在と同じように、家は生きていて、“誰か”なのだ。
古い家は自分の物語を語ることができる。
  
posted by Sachiko at 22:31 | Comment(0) | 絵本
2020年04月16日

姿を変える地の精

『ZWERGE, GNOME UND FANTOME』(アニー・ヘルディング著)より。

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これらのコーボルトたちの奇妙な点は、ヒキガエルを激しく嫌い恐れて、できるだけ避けようとすることです。
その生き物は、まるで催眠術にかけるかのように彼らを見つめて釘付けにします。
それは、コーボルトたち自身がヒキガエルのように見えはじめるほどです。

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地の小人(この本ではコーボルトと書かれている)がカエルになってしまうという話は、どこかで聞いたことがある気がした。
探してみると、シュタイナーの「天使たち 妖精たち」の中に、似た話があった。

『・・・土は、グノーム(Gnomeのドイツ語読み)たちに、絶えざる危険をもたらします。
大地は絶えず、グノームたちに両棲類、特に蛙の姿を取らせる恐れがあるのです。
・・・
彼らはいつも、蛙の姿にならないように、あまりに強く土と密着するのを避けようとしています。
・・・
土、湿気元素のなかに、彼らは滞在します。そこでは、彼らは絶えず、両棲類の姿に変化する恐れにさらされています。』

こうしたグノームたちの土への反感が、植物を発芽させ、土から離れて上に生長させる力になっているという。

シュタイナーによれば、このように地の精グノームは蛙(両棲類)に、水の精ウンディーネは魚に、空気の精シルフは鳥に、火の精サラマンダーは昆虫に、それぞれ深く結びついている。

自然界の生きものたち、そして植物のいとなみの背後にある自然霊たちのはたらきは、唯物論科学の目から見ればおとぎ話としか思えないだろう。

けれど生命(エーテル)界すら認めない唯物論科学は、植物が発芽して上に伸びる力のことを、いまだ正確には説明できずにいるのではないかと思う。

アニー・ヘルディングの記述のように、自然霊たちを知覚することのできる人々は、やはり同じようなものを見ているのだ。
  
posted by Sachiko at 22:35 | Comment(0) | 妖精
2020年04月14日

庭の小人

『ZWERGE, GNOME UND FANTOME』(アニー・ヘルディング著)より。

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庭の小人は人間たちといっしょにいるのが好きですが、家に入ることはありません。
彼は、庭のために、また庭師の助手として、自分がなくてはならない存在だと感じています。

庭の小人はめったに髭を持たず、夏には明るい色の身体に沿う服を着ています。大きな頭と丸い腹、細長い手足で、帽子の下に隠れた耳は、大きくて尖ったエルフ耳です。

典型的なコーボルトは、人のいない繁みや池のほとり、ヒースの野や森にいることを好みます。
孤独になれて人のいない場所、つまり自由でいられるところならどこでもです。

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自然霊たちは、自然界に降りた天使の分霊と言われる。
大きな自然霊の下には、たくさんの小人たちが働いている。

人間世界の小さな枠を超えた目で見るとき、世界は美しく豊かだ。
もういちど彼らとともに暮らせるように、帰ってくるようにと、自然界は繰り返しさまざまな方法で呼びかけている気がする。

自然災害もその他の出来事も、そうした呼び声として耳を傾けるなら、思いのほか優しいかもしれない。

ところで一定時間太陽の光を浴びることは免疫力を上げるのに役立つが、同じように、星空のもとで過ごすこともとても有益なようだ。
都会の空がこんなに明るくなければ.....
   
posted by Sachiko at 22:46 | Comment(0) | 妖精
2020年04月12日

イースターの花たち

イースターサンデーなのに、きっと世界各地ではイースターのミサも中止になっているのだろう。

イースターの定番の花、黄色い水仙も、ここではまだつぼみが付きかけたばかりだ。

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鮮やかな花が咲き誇る前の、
小さな黄色い花、小さな青い花。

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今年もバラの木の下に、妖精たちへの贈りもののキャンディやチョコレートを置いておいた。
春の歓びが帰ってくるように。

でも今年は、イースターのパン、ホット・クロス・バンズを焼くのをすっかり忘れていた....
  
posted by Sachiko at 22:30 | Comment(0) | 季節・行事