2020年03月12日

「マーヤの植物だより」

「マーヤの植物だより」(レーナ・アンデルソン)

「マーヤ」シリーズの絵本は三冊あり、訳者によって、作者の名前がアンダーソンだったりアンデションだったりアンデルソンだったりする。
ここではスウェーデン名としてなじみのあるアンデルソンを採用。

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たくさんの木や草や花やハーブとともに、マーヤはすばらしい時を過ごす。
トネリコの枝につるしたブランコに乗ったり、弟のペッレの誕生日にイチゴのケーキを作ったり、カシの木のてっぺんを別荘にして、ひみつの友だち(ドングリの妖精)と過ごしたり...

仲良しの友だちといっしょにラベンダーのサシェを作ったり、シダの葉の下で雨宿りしているトガリネズミに出会ったり、チャイブを刻んでオムレツに入れたり。

一日の終わりに、歯をみがいたあと、お気に入りの椅子でのんびりとスイカズラの香りを吸う時間、外はまだ明るい。

ひとつひとつの植物に、短い詩のような言葉が添えられている。

子どもが育つのに最もよい環境は田園だという。
自然が大好きな少女マーヤの、豊かでしあわせな植物ライフのお話。

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posted by Sachiko at 21:29 | Comment(0) | 絵本
2020年03月10日

小人たちの旅

『ZWERGE, GNOME UND FANTOME』(アニー・ヘルディング著)より。

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オランダのフェルウェ地方の人々に、小人たち(ドワーフ)について尋ねると、彼らはイエスともノーとも言わずにゆっくりと頷きます。
けれどそうした話は、見知らぬ人に安易に明かされるべきではありません。

小人たちはあらゆる方向から集まり、来ては去っていきます。
彼らが特定の地域に留まっているかぎり、そう悪いことはありません。
でもデンマークやスウェーデン、ノルウェーに去っていく場合は、よくないことになります...

北フェルウェのこの地域で、少数の人々は小人たちの移動について知っていました。
小人たちが北へ大移動することは、農民たちによって目撃されていて、ほとんどの場合、知られた同じルートを通っていたことは、古い記録にも残されています。

少し後に私はそれを自分で経験することになります。
ここベルヴェデーレの森を通る小人たちの行列は、三日三晩続きました。
彼らは私たちの土地を横切り、果てしなく続くような列を作って、南西から北東に移動しました。

北フェルウェの人々は、超自然的な事柄について、通常よその人には話しません。
けれどフェルウェでも他の場所においても、そうした事柄について話すことへのためらいは変わってきているようです。

例えば、自分では小人を信じていなくても、子どもたちにはおとぎ話を読んであげた大人たちのように、合理的な頭の人々が肩をすくめたとしても、それらは再びそれ自身を確立してきています。

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まるで民族大移動のような、小人たちの大移動!
おとぎ話の中に追いやられたはずの小人たちは、それを知る人々によって、安易には語られることなくそっと守られてきたのだろうか。

同じ自然界を共有しながら、人間とは別の次元に生きる存在たち。近年は次元を隔てる壁が薄くなり、彼らを知覚する人々が増えているという。
そして実際、自然霊たちを扱った自然哲学が、ひとつのジャンルとして確立しているようだ。(この分野の本は日本にはあまりなく、翻訳本もほとんど出ていない。)

この本にはアニー・ヘルディングによるスケッチや水彩画が多く掲載されている。
これはそのひとつ。
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posted by Sachiko at 22:44 | Comment(0) | 妖精
2020年03月08日

アニー・ヘルディング

以前、「ヨドカス」(2019.10.7)や「ミツバチの思い出」(2019.10.13)などの記事で紹介したアニー・ヘルディングの本、『ZWERGE, GNOME UND FANTOME』

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この本はアマゾンでも取り扱いがなく、手に入れるのは無理だと思っていたけれど、大抵の古書は見つかるというAbebooksのマーケットプレイスで見つけて、ドイツの古書店から送ってもらった。

アニー・ヘルディング(1903―1988)についての紹介文によれば、彼女は子供の頃から自然界に関する霊視力があり、やがて知覚したものを言葉や絵で表現するようになった。

この本の初版は1979年で、当時はメディアにも多く取り上げられ、広く知られるようになったという。
没後20年を経て、彼女の作品は再び注目されて出版に至った(この本は2009年版)。

アニー・ヘルディングは、彼女の作品は見えない世界を見える色と形で表わすための不完全な試みだと言っていた。

彼女の作品の自然霊が、衣服や帽子など、物理的なかたちで詳細に描かれていることについては、地の精(ドワーフやノーム)の仲間は色や形や動きによって物質界を模倣することが多く、瞬間ごとに様々な変化に富んだ色や形で現れるため、描かれた像はそうした一瞬をとらえたものにすぎない、と言っている。

自然霊を描いた人では、以前紹介したスラミス・ヴュルフィンクも同年代(1901―1976)で、ウルスラ・ブルクハルトは1930年生まれと、20世紀前半の西欧において、生まれつきの霊視力とそれを描写する力を持った女性たちがいたことは興味深い。

この本の中では、様々な場所での自然霊との出会いが、多くの絵とともに書かれている。
手元にこの種の本が増えすぎてしまったが、これもまた少しずつ紹介していこうと思う。
  
posted by Sachiko at 22:44 | Comment(0) | 妖精
2020年03月06日

「トランキラ・トランペルトロイ」

「トランキラ・トランペルトロイ」(ミヒャエル・エンデ)

この物語は「魔法の学校」という短編集に収録されていて、単独で何度か絵本にもなっている。


・・・かめのトランキラ・トランペルトロイは、動物たちの王さま、レオ二十八世の結婚式に、動物たちはみんな招待されているという話を聞きました。

「わたしも行くわ」
トランキラは一歩一歩、ゆっくりと歩きはじめました。

途中、クモやカタツムリが、披露宴までもう日にちがないのだから、行けるはずがない、あきらめなさい、と言いました。
でもトランキラはやさしく言いました。
「わたしの気持ちは、かわらないわ」
そしてまた何日も歩き続けました。

トカゲが言いました。
「まにあうはずがない!結婚式は取りやめになった。レオ二十八世は、戦争におでましになった」
「わたしの気持ちは、かわらないんですもの」
そう言ってかめはまた何日も何日も歩き続けました。

カラスが言いました。
「レオ二十八世はなくなられた。葬儀が終わったばかりなのだ。それでも行こうっていうのか!」

トランキラはそれからも歩き続け、やっと森に着きました。
たくさんの動物が集まって、なにかを楽しみに待っているようでした。

トランキラはたずねました。
「これから、レオ二十八世の結婚式が開かれるんじゃありませんか?」
子猿が言いました。
「きみはよっぽど遠くから来たんだね。きょうは新しいレオ二十九世の結婚式なんだよ」

すばらしい披露宴の中で、トランキラは幸せそうにすわっていました。
「ほらね、ちゃんとまにあうっていったでしょう」

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トランキラは、我を張り通したというわけではない。
「わたしの気持ちはかわらないわ」と、いつもやさしく言い、ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつ歩いた。

これはけっして、「一度決めたことは最後までやれ」とか「一歩一歩着実に」という、昭和のお説教みたいな次元の話ではないのだ。それとは全く別のこと.....

ところでエンデの作品には、亀が何度か出てくる。
「はてしない物語」の、太古の媼モーラや、「モモ」で、モモを時間の国に導いたカシオペイア。
カシオペイアの、「オソイホド、ハヤイ」という言葉を思いだす。

エンデは、「亀は人間の頭蓋が独立して歩いているもののように見える」と言っていた。
古代の宇宙像には、世界が巨大な亀の背中の上に成り立っている、というものがある。これは、現代人にはわからなくなった神話的ビジョンにおいて、真実の一端を表わしているのかもしれないと思う。

モーラやカシオペイアの名前が出てきたので、これはファンタジーのカテゴリに入れておこう...
  
posted by Sachiko at 21:51 | Comment(0) | ファンタジー
2020年03月04日

「あなただけの ちいさないえ」

「あなただけの ちいさないえ」
(文/ベアトリス・シェンク・ド・レーニエ 絵/アイリーン・ハース)

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― ひとには だれでも、
  そのひとだけの ちいさないえが ひつようです ―

それは、子どもたちがお父さんやお母さんといっしょに住んでいる家のことではなく・・・秘密の家になるところは、いくつもある。

クロスの掛かったテーブルの下、誰にも見つからない木の上、大きな傘、藪の後ろのくぼみ.....


― なかまといっしょに すごすのは、
  たのしいものです。

  おとなのひとと いっしょに すごすのも、
  たのしいものです。

  それでも、ときどき あなたは、
  みんなとはなれて ひとりになりたいと、
  おもうときがありますね ―


そんな時に、自分だけの小さな家があったら....
椅子の後ろのすみっこ、大きな帽子、お面をかぶること...

お父さんのひざにすわることは、たのもしい、小さな家
お母さんの腕に抱きしめられることは、やすらぎの、小さな家...

そして、大切なことは、人が、その人だけの小さな家にいるときは、むやみに話しかけたりしないこと、ひとりにしてあげること。
話しかける必要があるときは、そっとノックし、静かに話しかけること、礼儀正しく....


― ひとには だれでも そのひとだけの
  ちいさないえが ひつようです ―


とても大切なことが書かれている、小さな絵本。
テーブルの下だったり、傘の中だったり、小さな家は、外側から見るととても小さいけれど、ほんとうはとても大きい。

きっと、聖堂と呼ばれる建物よりも、もっと厳かで、もっと大きい。むしろ、聖堂はこの場所を外側で目に見えるかたちにしたものなのだ。

さまざまな小さな家を持っていた子どもたち、大人になっても、どうかその場所のことを忘れずに。
  
posted by Sachiko at 21:54 | Comment(2) | 絵本