「トランキラ・トランペルトロイ」(ミヒャエル・エンデ)
この物語は「魔法の学校」という短編集に収録されていて、単独で何度か絵本にもなっている。
・・・かめのトランキラ・トランペルトロイは、動物たちの王さま、レオ二十八世の結婚式に、動物たちはみんな招待されているという話を聞きました。
「わたしも行くわ」
トランキラは一歩一歩、ゆっくりと歩きはじめました。
途中、クモやカタツムリが、披露宴までもう日にちがないのだから、行けるはずがない、あきらめなさい、と言いました。
でもトランキラはやさしく言いました。
「わたしの気持ちは、かわらないわ」
そしてまた何日も歩き続けました。
トカゲが言いました。
「まにあうはずがない!結婚式は取りやめになった。レオ二十八世は、戦争におでましになった」
「わたしの気持ちは、かわらないんですもの」
そう言ってかめはまた何日も何日も歩き続けました。
カラスが言いました。
「レオ二十八世はなくなられた。葬儀が終わったばかりなのだ。それでも行こうっていうのか!」
トランキラはそれからも歩き続け、やっと森に着きました。
たくさんの動物が集まって、なにかを楽しみに待っているようでした。
トランキラはたずねました。
「これから、レオ二十八世の結婚式が開かれるんじゃありませんか?」
子猿が言いました。
「きみはよっぽど遠くから来たんだね。きょうは新しいレオ二十九世の結婚式なんだよ」
すばらしい披露宴の中で、トランキラは幸せそうにすわっていました。
「ほらね、ちゃんとまにあうっていったでしょう」
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トランキラは、我を張り通したというわけではない。
「わたしの気持ちはかわらないわ」と、いつもやさしく言い、ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつ歩いた。
これはけっして、「一度決めたことは最後までやれ」とか「一歩一歩着実に」という、昭和のお説教みたいな次元の話ではないのだ。それとは全く別のこと.....
ところでエンデの作品には、亀が何度か出てくる。
「はてしない物語」の、太古の媼モーラや、「モモ」で、モモを時間の国に導いたカシオペイア。
カシオペイアの、「オソイホド、ハヤイ」という言葉を思いだす。
エンデは、「亀は人間の頭蓋が独立して歩いているもののように見える」と言っていた。
古代の宇宙像には、世界が巨大な亀の背中の上に成り立っている、というものがある。これは、現代人にはわからなくなった神話的ビジョンにおいて、真実の一端を表わしているのかもしれないと思う。
モーラやカシオペイアの名前が出てきたので、これはファンタジーのカテゴリに入れておこう...
posted by Sachiko at 21:51
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