2019年12月15日

自然霊と友だちになるために・5

「NATURE BEINGS」(Margot Ruis著)から。

-------------------------

あなたが瞑想によっていくらか水に似たものになることができたなら、水の精たちはあなたに近づこうとするでしょう。

自然の中でのワークショップにおいて、多くの人が何らかの方法で水の精の存在を知覚することができました。人々は思っているよりも敏感です。
誰もが、エルフの領域にアクセスする独自の方法を見つけることができます。

シャーマン的な技術に精通している人々にとっては、自然霊たちとの直接の接触に加えて、さらに多くの可能性があります。
見えない世界と意識的につながり、個人やコミュニティに益する情報やメッセージを伝える、それがシャーマンの仕事です。

しかしそのようなことを知らなくても、木と話すことはできます。あなたがほんとうに願うなら、あなたにとって適切なかたちで自然霊たちと接触する方法を見つけることができるでしょう。

-------------------------

たとえば木のそばにいるときと、小川や滝のそばにいるときの気分の違いを、多くの人は感じとることができる。

そのように、内側でかすかに“感じとる”ものが、きっと自然霊たちと出会う小道の入り口なのだ。

いかにも妖精らしい妖精の姿をしたものを外的に見ることを期待すると、かすかな“感じ”を見逃してしまうかもしれない。

ひたすら内側の感覚に注意深く耳をすますことで、いつか“私”の境界を超えた何ものかがそこに立ち現れるのを待つ。
信頼、敬意、共感...といった、出会いの小道へ持っていくのにふさわしい感情を携えて。

葉擦れの音、小さなつむじ風、揺れる木漏れ日、開きかけたつぼみ....
それらに同調し、内面に作用させるときには、それが単なる物理的現象だけではないことを確信できるはずだ。

現代の都市生活とは真逆に見える小道だけれど、そこを行こうとする試みは、やがてこの文明を覆すくらいの力を持ち得るのではないかと密かに思っているが、どうだろう.....
 
posted by Sachiko at 22:24 | Comment(4) | 妖精
2019年12月13日

「マッティは今日も憂鬱」

フィンランド人気質を描いた「マッティは今日も憂鬱」(カロリーナ・コルホネン)
北国人は苦笑(^_^;

matti.jpg

典型的なフィンランド人マッティは、平穏と静けさと個人的領域(パーソナルスペース)をとても大事にしている。
シャイなマッティの日常の、気まずい「あるある」....

・出かけたいのに、アパートの廊下に他の住人がいる...
・見知らぬ人と、エレベーターで二人きり...
・バス待ちの列で、パーソナルスペースに侵入される...
・ほんとうは「いいえ」でも、「はい」という流れにハマる...
・店員の愛想がわるいと、自分の何がいけなかったんだろう、と思う...
・ケーキの最後の一切れを手に取る勇気があったら....
・長い質問に対しても、返答がミニマム....
・怠け者だと思われたくないので具合が悪くても出社....
etc...

マッティが苦手なこと
・お店で店員に話しかけられること
・混んでいる場所
・話す時の距離が近すぎる人が、さらにポンポン触ってくること
・雑談
・自己アピール
・スピーチ
・褒められること
etc...


ちなみに話しながらポンポン触ってくる人は私も苦手だ。
まして、「ちょっとオォォ〜!ガハハハ〜」などと笑いながら腕や背中をバンバン叩いてくる人は。(>_<;

本の帯には、“なぜか日本人にそっくり!?”と書かれているが、そうだろうか....

若い女性が首相になり、人々の多くが幸福感を感じているらしいフィンランド。
重要なポストには爺さんがのさばり、人々の多くがうっすらと不幸感を感じているらしい日本....

何がその違いを生んでいるのか...?いろいろと深い要因があるだろうが、私が思うひとつはこれだ。

マッティが典型的なフィンランド人気質でも、幸福であり得るのだ。
「これでいいのだ♪」ならば。

「これではいけない!もっと明るくてみんなとうまく付きあえて気が利いてあーでこーで.....そうできるようにもっと頑張って....く、苦しい....バタン...」


ひとりが好きで、空いている乗りものが好きで、しんとした静けさが好きで、それでいいマッティの、最後のページがすてきだ。

「笑うのは、ほんとうのときだけ。」
  
posted by Sachiko at 22:13 | Comment(2) | 絵本
2019年12月11日

贈り物・3

「誰かに対して、なにか特別な好意を示してあげたいと思うときにはいつも、わたくしは、ピアノに向かってその人のためにモーツァルトの作品を一曲演奏するのがつねである。」
(エドウィン・フィッシャー『音楽を愛する友へ』より)

そのような個人的な演奏は、録音されることもなく、まさに一期一会で現れ、消えていく。
贈りものというのは、その物ではなく好意を受けとるものだ、という言葉をどこかで目にして、この話を思い出したのだ。

「われわれの芸術においては、すでに地上に束縛されてはいない、およそ考えうるかぎりもっとも物質的要素を離脱した素材が用いられる----すなわち魂の躍動が。」(エドウィン・フィッシャー)

このように音楽はそれ自体物質体を持たないので、もっとも軽やかに好意を乗せることができるのかもしれないな、と思う。
私はピアノなどほとんど触ったことさえないのでこんな軽やかな贈り物はできないが...

ずっと昔、ある人の誕生日に花を贈り、そのときは「ありがとう」と言ってくれたのに、後日他のところで「花なんかもらっても嬉しくねーや」と言っているのを聞いてしまい悲しかったことがある。
花ではなく別のものならよかったのか、という話ではないだろう。受けとってもらえなかったのは好意のほうなのだ。

「こんなもの貰ってもねぇ...」と言うとき、その目は物だけを見ている。誰もきらいな人に贈り物をしないだろうから、そこには好意があったはずなのに、それはどこかにこぼれ落ちてしまう。

霊視者の目でみると、好意は開いた花のかたちをしているという。花が咲いているのを見ると嬉しいのは、それが自然界からの好意いっぱいの贈りものだからだろうか。

エドウィン・フィッシャーの演奏は、私はとても古い録音で幾つか聴いたことがある。
透き通るような珠玉の言葉で書かれた『音楽を愛する友へ』は、新潮文庫から出ていたが今は絶版になってしまった。
  
posted by Sachiko at 21:57 | Comment(0) | 言の葉
2019年12月10日

12月と雪

「フランドルの四季暦」(マリ・ゲヴェルス著)より。

フランドルの冬はかなり暖かいらしく、「12月と雪」という章で書かれている雪の様子は、今にも溶けて水になってしまいそうだ。

-------------------------

「12月に、雪をめぐって地表と、雲と風が一致協力するのは稀なことだと言わなければなりません。
強くて暖かいメキシコ湾流が、遠く西のほうにどっしりと構え、雪の邪魔をするからです。」

-------------------------

このような描写が他人事ではない今年の12月。
道路の雪はとけてしまい、明日からも最高気温がプラスの日がしばらく続くらしい。
凛々と凍てつく真冬日はどこへ行った?

この時期の暖かさは、何度も不自然に眠りを中断されるような気分になる。こんな生ぬるい冬はいやだ。身体がNOooo!!と言っている。

かつてはいったん根雪になると、春に最初の雨が降るまでは、冬のさなかに雨が降るなどということは考えられなかったのだ。今年はまだ根雪にさえならない。

-------------------------

「最初に舞う雪のひとひらを捕まえるのは、池の水面が氷に覆われるのに立ち会うのと同じくらい難しいらしく....つい先ほどまであたり一面に雪の匂いが満ちていたのに、雪は降りませんでしたし、皓々と照る月が雪雲をかきまぜていたのに、それでも雪は降りませんでした。
顔を仰向けて寒さのゆるんだ空に問いかけても、優しく触れてくる綿毛のひとひらもなかったのです。」

-------------------------

雪の匂いというものは確かにある。雪のひとひらを捕まえるのは、子どもの頃の遊びだった。
毛糸の手袋の上で、雪の結晶がはっきりと見える。

しばらく前に買って積んであったこの本は、私には言葉がすこし装飾過多に見えて、なかなか読み進められないでいた。

帯には、豪奢に織りなされたフランドルの四季、とある。
確かに、雪ひとつにしても、たくさんの色糸を使った織物のような印象だ。

多彩な織物にはその美しさがあり、「あ、雪だ...」というひとことが語る景色もあるだろう。
あとは好みの問題だろうが、それよりも、アドベントだというのにこの暖かさ。

12月らしく、冴えた寒気が頬を刺すのを感じながら、靴の下でキュッと雪がきしむ音を聴きたいと思う。

flandre.jpg
  
posted by Sachiko at 22:19 | Comment(0) | 季節・行事
2019年12月08日

「ぴちぴちカイサとクリスマスのひみつ」

「ぴちぴちカイサとクリスマスのひみつ」(アストリッド・リンドグレーン作 イロン・ヴィークランド絵)

kaisa.jpg

-------------------------

小さいカイサは、トムテが暮らしていそうな可愛い家におばあさんと二人で住んでいます。
カイサは赤ちゃんのとき、かごに入っておばあさんの家に置かれていたのです。

おばあさんは、赤と白の縞もようのキャンディを作って市場で売ります。
でもある年のクリスマスの前に、おばあさんがころんでケガをしてしまいました。
市場でキャンディを売ったり、クリスマスのしたくは誰がするのでしょう。

「あたしが、やるわ」とカイサが言いました。
キャンディも、カイサが売ります。暗い朝、カイサはしっかり身支度をして市場へ出かけました。
みんながこの小さな売り子のいる店で買いたがり、キャンディは全部売れたのです。

カイサはおばあさんがないしょでお店に頼んでおいたプレゼントの箱を受けとり、おばあさんへのプレゼントも買いました。

こうしてカイサとおばあさんは、すばらしいクリスマスを祝いました。
外は雪、庭には天使がいっぱいです....

-------------------------

アストリッド・リンドグレーンとイロン・ヴィークランドのおなじみのコンビによるクリスマスの絵本で、リンドグレーンらしい、暖かで可愛らしいお話。

おばあさんが作っていたのはこんなキャンディで、これよりもっと大きいものだと思う。(これはミニサイズ)
こちらのクリスマス市場でも売っていた。

candycane.jpg

部屋がひとつと台所がひとつ、それに小さな裏庭(桜の木が一本とグスベリのしげみ)があるだけの小さな家だけれど、しあわせなカイサはすばらしい家だと思っている。
カイサは毎晩寝る前にお祈りをとなえていた。

 うちの まわりを てんしが あるく
 二本の きんの ろうそくと
 本を 一さつ 手に もって
 イエスさまの みなの もとに
 おやすみなさい

今日から第二アドベント、雪が降る真冬日だった。
アドベントの期間は、家の周りを見回る天使の気配を静かに感じてみたいと思うけれど....
  
posted by Sachiko at 22:35 | Comment(0) | 絵本