2019年12月23日

「聖なる夜に ― A Small Miracle ― 」

「聖なる夜に ― A Small Miracle ― 」(ピーター・コリントン)

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雪野原に置かれた古いトレーラーハウスに、おばあさんが住んでいました。食べ物も薪もなくなっているのに、もうお金がありません。

おばあさんはアコーディオンを抱えて、町まで歩いて行きました。
途中、教会の開いたドアの中をのぞくと、クリスマスのクリッペ(※)が飾られるところでした。

おばあさんは町に着くと、にぎやかな通りでアコーディオンを弾きはじめました。けれど人々は、おばあさんに注意をはらわず通り過ぎるだけ。
やがておばあさんは疲れて、空っぽの小箱を前にすわりこんでしまいました。

おばあさんはだいじな楽器を質屋に持っていき、お金に替えましたが、店を出たところでバイクに乗ったひったくりに遭い、お金の入った小箱を奪われてしまいました。

おばあさんが教会のほうへ逃げた男を追いかけると、男は、困っている人を助けるための拠金バケツを持って出てきたところでした。

おばあさんはバケツを奪い返し、男がバイクごと倒れたときに教会の中に入ってドアを閉めました。
中では、クリッペ人形たちが倒されていました。おばあさんは人形たちを元に戻し、バケツをその傍に置いて教会を出ました。

外は雪が降っていて、おばあさんは途中で雪の中に倒れてしまいました。
そこへ、遠くからやってくる人たちがいました。クリスマスのクリッペ人形たちです。
人形たちはおばあさんを家に運びベッドに寝かせました。

人形たちは町へ行き、それぞれ持っている飾りものを差し出して、楽器を買い戻しました。
そして食べ物と薪も買って戻ると、クリスマスの支度を整えました。

おばあさんが目を覚ますと、家にはツリーが飾られ、すばらしいごちそうが並び、楽器も戻ってきていました。

おばあさんは窓の外を見ましたが、もう誰もいませんでした。ただ、雪の上には.....

(※クリッペ 聖誕の場面を現した飾り。聖家族と、三博士、羊飼いなどで構成されている)

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あらすじを書いてみたけれど、実はこの絵本に文字はひとつも書かれていない。
絵だけで物語が進行するサイレント絵本なのだ。

静かな聖夜にふさわしく、静けさがすべてを語っている。
どこか、日本の「かさじぞう」に似ている気もするお話。

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posted by Sachiko at 22:46 | Comment(0) | 絵本
2019年12月21日

寒冷地仕様

12月の上旬は暖かすぎて、気温が10度近くまで上がった日が何日かあった。ふと見ると、ライラックの芽が幾つかはじけてふくらみかけていた。
オイオイ...早まるな!冬はこれからだ。

でもこれと似たようなことが体にも起きていることに気がついた。
体調不良というのではないけれど、なんだか体の感覚がおかしい。

一瞬、今の季節って....春....じゃないよね?という感じで、どうも空気感が真冬のものではないのだ。
体はこの生ぬるさを、3月初旬くらいと認識しているらしい。長い真冬日を脱し、最高気温がプラスになり始める頃だ。

私は心身ともに寒冷地仕様にできている。
根雪にも氷点下にもならない温暖な地方には住めそうもなく、一冬雪を見ないでいたら死ぬかも...と思っていたが、これも冗談ではない気がしてきた。

冬至の頃、外側の自然界は活動を止めたように見え、太陽の光が最も弱くなるとき、魂は深みに降り、内側に光を見出す。それがこの季節の役割なのだという。
魂が深奥に赴くために、本ものの冬が必要だ。

明日はその冬至だというのに、今日も最高気温がプラスだった。こんな気候が続けば、本気でもっと北への移住を考えなければならないかもしれない....
幸い、イブを過ぎたらしばらくは真冬日になるようだ。
  
posted by Sachiko at 21:24 | Comment(2) | 季節・行事
2019年12月19日

「マッティ、旅に出る」

「マッティ、旅に出る」(カロリーナ・コルホネン)
シャイで人見知りの典型的フィンランド人、マッティが旅に出た。
そしてやっぱり・・・
「マッティは今日も憂鬱」の続編。

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・空港ロビーで
座って待とうと思ったら満席。
(正確には、ひとつ置きに席は空いているが...それでは隣の人に近すぎるのだ)

・聞き間違い
「ARE YOU FINISHED?(お済みですか?)」
「YES I'M FINNISH(はい、フィンランド人です)」
食べ終わっていないお皿を下げられる....

・値切り方がわからない
言い値で買ってしまい、相手が(いいの?)と不審そうな顔...

(ちなみに私も、値切り文化のある南国へは行きたくない。
昔イタリアで、値切るのが面倒で少し高めのものを値札通りに買ってしまったことがある。
でも最近、ヤマダ電機での値切り方を覚えた...)


今回はマッティの家族も登場。マッティ妻は....やっぱりフィンランド人。
 知 人 :「その帽子、いいね」
マッティ妻:「これはもう古くて...ごく普通のもので....」
必要以上に謙遜。

・社交辞令が通じない
知  人:「マッティ、今度遊ぼうよ」
マッティ:「では来週の木曜はいかがでしょうか」
知  人:「あ...いや.....」

(ちなみにうちの夫は、京都で知り合った人に「家に寄ってお茶でも飲んでいきなさい」と言われ、ついて行ってお茶飲んできたというツワモノである。)

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・訳者あとがきから
目立つことが苦手、馴れ馴れしいのが苦手、人を押しのけるのが苦手....なマッティは、「憂鬱」の反対側に、日々の暮らしの中の「好き」もたくさん持っている。
アイスクリームが好き、コーヒーが好き、夏の休暇が好き....

「マッティは、憂鬱を感じ取るのと同じ繊細さで、『好き』という気持ちもまた、大切にしながら生きています。」

「“フィンランド・スマイル”には嘘がありません。ほんとうに笑いたいときだけ笑うマッティは、自分がうれしいのはどんなときなのかを、ちゃんと知っているのでしょう。」
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賑やかなのが好きでも、静けさが好きでも、どちらでもいいのだ。それが自分の「ほんとう」なら。
自分の「好き」を、自分の「ほんとう」を、大切にしている.....それが幸福の鍵なのかもしれないと思う。
  
posted by Sachiko at 21:47 | Comment(2) | 絵本
2019年12月18日

「小人のすむところ」

「小人のすむところ」(H・C・アンデルセン作/イブ・スパング・オルセン画)

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裕福な食料品屋の建物の屋根裏に、貧しい学生が住んでいた。
食料品屋には小人もいた。ここにいればクリスマス・イブが来るたびに、バターがのったおかゆがもらえるのだ。

ある夜、学生がろうそくとチーズを買いに来た。チーズを包んでいた紙は、古い詩の本のページだった。
学生はチーズの代わりにその本をまるごと買うことにした。本がばらばらにされるなんて、とんでもないことだ。

「ご主人、あなたは立派なかたですが、詩についてはここにある樽ほどもご存じない」

みんなが眠った夜中に、小人は奥さんのおしゃべり口を取って、古新聞が詰まった樽にくっつけてみた。樽は言った。

「詩というやつは、新聞の下の欄に出ているものだ。おれの腹にはたくさん詰まっているさ」

小人は学生に教えてやろうと屋根裏へ上っていった。
鍵穴からのぞいて見ると、本から強い光がさして大きな木になって学生の上にそびえていた。

葉はみずみずしく、花はすべて美しい少女の顔で、実はきらめく星、そして美しい音楽が流れていた。

小人は驚いた。
「これはすごい、学生さんのところに住みつこうかな・・・でも学生さんちにはおかゆがないな」

それからというもの小人は、屋根裏からあかりが射してくると、鍵穴からのぞきこまずにいられなかった。
そして、大きな力に包み込まれたような気分になり、心を洗われたように涙を流すのだった。

ある真夜中、通りで火事が起きた。
ご主人は債券を、奥さんは金の耳飾りを、使用人の娘は絹のショールをと、誰もが一番大切なものを持ち出そうとした。

小人は学生の部屋にとびこんだ。学生は落ちついて窓から火を見ている。燃えているのは向かいの家だった。
小人はあのすばらしい本をつかんだ。家いちばんの宝が助かったぞ!

こうしていると、小人は自分の心がどこにあるかがわかった。けれど火が消えて我に返ると・・・
小人は自分をふたつに分けることにした。食料品屋をおさらばするわけにもいかない。おかゆのためにも。

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昔、アンデルセン童話の挿絵の原画展があり、そこでイブ・スパング・オルセンのこの絵も見たことがある。

この小人は北欧ではおなじみの家や農場にいる小人で、スウェーデンではトムテ、フィンランドではトントゥ、デンマークではニッセと呼ばれる。
クリスマスには、家や農場を守ってくれるはたらきに感謝しておかゆを出しておく習慣があるそうだ。
この童話の原題は「食料品屋のニッセ」だ。

最後のページは、これもアンデルセンらしさなのかこのように結ばれている。
「・・それこそ人間らしいってものだ。なぜって、わたしたちだってやっぱり食料品屋のほうにいくからね。----ほら、おかゆのためにさ。」

小人へのおかゆの習慣のような、古い民間伝承が生き生きと生きていた時代のことを思う。
超自然的な次元とのつながりをまだ失っていなかった人々の、素朴な暮らしの深みの中で、時間は今よりもはるかにゆっくりと流れていたことだろう。

わが家でも、イブには家の妖精のために、バターをのせたおかゆを玄関に置いておく。
予報では何とか雪のある真冬日のイブになりそうだ。

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posted by Sachiko at 22:34 | Comment(0) | 絵本
2019年12月17日

白という色

外は雨。クリスマスに雪がないかもしれない....(>_<)

地球の気温が上がり続けることで起きる物理的なダメージについては、多くの場で語られているのでここでは触れない。

温暖化の結果について私が危惧することは、「寒い国」がなくなってしまうことだ。
つまり「寒い国の人々」もいなくなってしまう。

ゲーテはその色彩論の中で、純粋な白は光の代わりであり、厳密には色彩とはいえないと言っている。
一面真っ白な雪と氷の世界・・・白は光の色であり、霊性の色だ。
真っ白い雪原を見るときの気分は、単に物質としての雪を見ているのではない。

自然霊たちが内界に退いて、小動物や植物も眠りに入る冬は、深い内側から宇宙の霊性が立ち現れる。

生命が外に向かって横溢する熱帯が、呼吸の一方の極ならば、必ずもう一方も必要なのだ。
鳥や昆虫、植物は、熱帯地方へ行くほど大型で色鮮やかになる。

北方では、野花は小さく楚々としている。昆虫も、ウスバシロチョウの仲間などは翅が薄く透きとおって、最小限の物質性だけを残して霊化していく途上のように見える。

地球には、雪に覆われた凍てつく冬が十分な長さで存在する地がどうしても必要だ。
...なのに、今年はまだ根雪にさえなっていない。

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「FIRST SNOW」 https://fairyhillart.net

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posted by Sachiko at 22:58 | Comment(0) | 自然