昨日の「役に立つかどうか」という話で思い出すのは、もはや古典の映画、フェリーニの「道」だ。
ざっくりした話は、旅芸人のザンパノが、仕事の道連れの女性が死んだので、その妹で少し頭の弱いジェルソミーナを代わりに連れていく。
二人はいっしょに旅をするが、ザンパノの素行の荒さにジェルソミーナは不満だ。あるところで知り合ったサーカス団の青年に、彼女はこう言う。
「私は彼の役に立っているのかしら...」
青年は小石を拾い上げ、答える。
「どんなものも、何かの役に立ってる。ほら、この石ころだって。だから君も、きっと役に立ってる」
「石ころはどんな役に立ってるの?」
「ぼくは知らない。神さまだけが知ってる」
この短い会話は、映画のハイライトのひとつだと思う。
どんなものも存在する限り、神にみとめられた意味がある、その静かな安堵感。
古い時代のイタリア映画は、なんともいえない人間臭さに溢れている。現代物にはない土の匂いや血の温かさのようなものだろうか。粗野なザンパノも、けっして冷酷な男ではない。
ラストシーンを好きな人が多いが、私は、眠っているジェルソミーナを置き去りにするときのザンパノの表情がとても印象に残っている。
悲しい物語なのに、暗く湿った暖かい場所にすべてが包まれているようで、イタリアは“母”の国なのだと感じる。
2019年09月12日
「道」
posted by Sachiko at 22:03
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