2019年09月11日

詩人の役割

「文学は何の役に立つのか?」という質問に対して、ミヒャエル・エンデがこう答えている。

「飢えている子がベートーヴェンのコンサートに興味を持つとは思えません。食べ物の方がいいと言うでしょう。
しかし食事を取った後、つまりその基本的な身体的欲求が満たされた時には、人間には内面もあるということを思い出すべきだと思います。」

ものごとを“役に立つかどうか”で見る価値基準はいかにも今日的で、それ以外の基準を思い起こすのが難しいくらい蔓延している。

そうした中で、「飢えた子どもを前にしたとき、詩が何の役に立つのか」という命題は古くからあった。
かつてある日本の詩人が、飢えた子どもたちの上に文学全集を落としてやったところで何になるだろう、と悩んだのちに、こんな答えを見出した。

「詩人がいなければ、飢えた子どもはただの統計数字になってしまう」

無機質な統計数字の中から、詩人は生きた人間を救い出し、いのちをよみがえらせ、存在を立ち上がらせる。
それはまるで、無彩色の世界から固有の色彩が鮮やかに立ち現れるようだ。

数字信仰は、現代の悪と呼ばれるものの中のひとつだ。
何でも、本来数値化できないはずのものさえも、それが真実であるかのように「こういう数字が出ています」と突きつける側は、まるで印籠を出すような態度をとる。

ちなみにその日本の詩人は、故・辻邦生氏だ。

「役に立つかどうか」という目で見たとたん、見えなくなるものがある。
むしろ見えなくなるもののほうが多く、何よりも存在の本質そのものが見えなくなってしまうだろう.....と、この世的にはあまり役に立っていない私は思う。
  
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | 言の葉