『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。
-----------
2004年に破壊的な津波が起こるずっと前に、アニー・ゲルディングの本で自然霊たちについて次のように書かれているのを読んだとき、大きな衝撃を受けた。
『今後、多くの水関連の災害が発生するでしょう。
地震によって引き起こされる津波や、洪水もさらに多く起こるでしょう。』
-----------
この、自然霊たちによる予言めいたものの中には、2011年の津波も入っていたのだろう。
だがこのような話は慎重に受け止めなければならない。
その点についても、Bastiaan Baanは語っている。
-----------
自然霊たちのそのような声明にどうアプローチするかについては注意深くある必要がある。そこには二つの危険がある。
ひとつは、受け入れずにその可能性をあらかじめ排除してしまうこと、もうひとつは無批判にすべてを鵜呑みにしてしまうことだ。
適切な判断を下すにはその中間の位置をとる必要がある。
ルドルフ・シュタイナーは『自由の哲学』の中でこう説明している。
「意識的に、その考えから一歩引いて見ることができる。そうでなければ、その考えに隷従してしまう可能性がある」
20世紀には、人がそこから一歩引いて見ることなく、特定の考えに取り憑かれてしまうことがよくある。
この距離を持つことによって、考えや事象をそれ自体としてそこに留まらせる。そうすればのめり込んで自分を見失うことはなくなり、内的な自由を保つことができる。
-----------
自然霊という、現代科学の対象からは外れ、まだ一般的な認知もされていない存在については、やはり微妙な領域のようだ。
自然霊たちが物理的時空によって制限されないのなら、超えた位置から大きな全体としての地球を見て、その状態を予測することも可能なのかもしれない。
年々大きくなる自然災害という警告を前にして、生きた地球に謙虚に耳を傾けることができるように、まずは人間が正気に戻ることが火急の課題と思う。
2019年09月30日
自然災害と元素霊・3
posted by Sachiko at 22:25
| Comment(0)
| 妖精
2019年09月28日
エゾシマリス
都心から地下鉄で5分、気が向けばふらりと彼らの住む場所へ行けるのは、思えば贅沢な立地だ。
エゾシマリスが可愛い姿を見せてくれた。

以前はなかった気がするのだが、数年前から「野生動物にエサを与えないでください」というプレートがあちこちに設置されている。
そういえば以前、「いつも来てるのよ〜」と言ってリスにエサを与えている人を見かけたことがある。
「かわいいから」というペット感覚なのだろうが、野生動物が野生ではなくなってしまい、いろいろな点で動物にも人間にもいいことはない。あまりに身近にいると、このようなことも起こる。
知床でヒグマに餌付けしようとする観光客には、内心(一度食われろ...)などと思ってしまうのだが....(-_-)
9月末だというのに昼間はまだ夏に近い気温だけれど、これもあと少しのあいだだろうと思う。
オオウバユリの実はまだ緑色をしている。
茶色く枯れてはじけたものはなかなか趣きのある姿で、ドライフラワーとして使われる。


エゾシマリスが可愛い姿を見せてくれた。

以前はなかった気がするのだが、数年前から「野生動物にエサを与えないでください」というプレートがあちこちに設置されている。
そういえば以前、「いつも来てるのよ〜」と言ってリスにエサを与えている人を見かけたことがある。
「かわいいから」というペット感覚なのだろうが、野生動物が野生ではなくなってしまい、いろいろな点で動物にも人間にもいいことはない。あまりに身近にいると、このようなことも起こる。
知床でヒグマに餌付けしようとする観光客には、内心(一度食われろ...)などと思ってしまうのだが....(-_-)
9月末だというのに昼間はまだ夏に近い気温だけれど、これもあと少しのあいだだろうと思う。
オオウバユリの実はまだ緑色をしている。
茶色く枯れてはじけたものはなかなか趣きのある姿で、ドライフラワーとして使われる。


posted by Sachiko at 22:00
| Comment(2)
| 自然
2019年09月26日
自然災害と元素霊・2
『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。
子供の頃から自然に霊視力があり、自然界の元素霊たちを認識していたオランダ人女性、アニー・ゲルディングによって、このようなことが書かれている。
彼女はかつて、自然霊の世界における大きな混乱を知覚したことがある。そのときコーボルト(オランダ語の地の精)のグループは彼女の庭の薪小屋を出て、道路を渡ろうとするかのように門を抜けた。
--------------
突然彼らはいなくなり、どこにも見あたりませんでした。
これは彼らが誰かを混乱させたいときのお気に入りのトリックの一つです。
今見えるかと思えば、また見えなくなります。人は自分の目を疑い始めますが、彼らはまさにそれを望んでいます。
しばらく待ってみましたが、彼らが戻らないので、私は歩きだしました。
驚いたことに、少し経って私は彼らを再び見つけました...しかし、彼らは門を通り抜けずに再び消えました。そのトリックは少なくとも3回繰り返されました。
その振舞いから、私は彼らが何かを伝えようとしたのだと確信しました。
それは何だったのでしょう?私はそのコーボルトたちと実際には接触していなかったので、推測することができるだけです。
家に帰って私は、5人のコーボルトが薪小屋のことで私の注意を引こうと試みたと、同居している友人たちに話しました。
いつもながらのことですが、誰も私のいうことを信じませんでした。
そしてコーボルトのグループは彼らが住んでいた場所から逃げだしました。自然霊たちは一般に、一つの場所に落ち着いて留まるのが好きなのですが。
近くの村では、何本かの木がなぎ倒されました。
翌朝とても早い時間に大きな旋風が襲い、私たちの薪小屋を破壊しました。屋根の大部分が吹き飛ばされ、側壁も破損しました。まさにコーボルトたちがいた場所です。コーボルトたちは私に警告したかったのです。
-----------
自然界で実際に物理的事象が起きる前に、エーテル界で何らかの混乱がすでに起きている。
来るべき出来事は、先んじてその影を投げかける。
自然霊を知覚する人々の話にはいつも共通点があり、彼らが同じものを見ているのだということを裏付けるようだ。
地方によってノームやコーボルトなどの名前で呼ばれる地の精は、賢くて人間をからかうのが好きだ。そして人間と友だちになりたがっている。
このことはウルスラ・ブルクハルトの「Karlik」にも書かれていたが、ここでは来たるべき災害を警告しようとしている。
災害が目に見える形で起こる前に動物たちが逃げることができるのは、自然霊に導かれているからではないかと考えるのは、むしろ自然に感じる。
この話のように、人間にも警告は与えられているのだろう。
自然霊たちの繊細な声は、内的な微かな声としてやってくるのかもしれないけれど、現代社会に生きる人間は内側に耳を傾けなくなって久しい。
子供の頃から自然に霊視力があり、自然界の元素霊たちを認識していたオランダ人女性、アニー・ゲルディングによって、このようなことが書かれている。
彼女はかつて、自然霊の世界における大きな混乱を知覚したことがある。そのときコーボルト(オランダ語の地の精)のグループは彼女の庭の薪小屋を出て、道路を渡ろうとするかのように門を抜けた。
--------------
突然彼らはいなくなり、どこにも見あたりませんでした。
これは彼らが誰かを混乱させたいときのお気に入りのトリックの一つです。
今見えるかと思えば、また見えなくなります。人は自分の目を疑い始めますが、彼らはまさにそれを望んでいます。
しばらく待ってみましたが、彼らが戻らないので、私は歩きだしました。
驚いたことに、少し経って私は彼らを再び見つけました...しかし、彼らは門を通り抜けずに再び消えました。そのトリックは少なくとも3回繰り返されました。
その振舞いから、私は彼らが何かを伝えようとしたのだと確信しました。
それは何だったのでしょう?私はそのコーボルトたちと実際には接触していなかったので、推測することができるだけです。
家に帰って私は、5人のコーボルトが薪小屋のことで私の注意を引こうと試みたと、同居している友人たちに話しました。
いつもながらのことですが、誰も私のいうことを信じませんでした。
そしてコーボルトのグループは彼らが住んでいた場所から逃げだしました。自然霊たちは一般に、一つの場所に落ち着いて留まるのが好きなのですが。
近くの村では、何本かの木がなぎ倒されました。
翌朝とても早い時間に大きな旋風が襲い、私たちの薪小屋を破壊しました。屋根の大部分が吹き飛ばされ、側壁も破損しました。まさにコーボルトたちがいた場所です。コーボルトたちは私に警告したかったのです。
-----------
自然界で実際に物理的事象が起きる前に、エーテル界で何らかの混乱がすでに起きている。
来るべき出来事は、先んじてその影を投げかける。
自然霊を知覚する人々の話にはいつも共通点があり、彼らが同じものを見ているのだということを裏付けるようだ。
地方によってノームやコーボルトなどの名前で呼ばれる地の精は、賢くて人間をからかうのが好きだ。そして人間と友だちになりたがっている。
このことはウルスラ・ブルクハルトの「Karlik」にも書かれていたが、ここでは来たるべき災害を警告しようとしている。
災害が目に見える形で起こる前に動物たちが逃げることができるのは、自然霊に導かれているからではないかと考えるのは、むしろ自然に感じる。
この話のように、人間にも警告は与えられているのだろう。
自然霊たちの繊細な声は、内的な微かな声としてやってくるのかもしれないけれど、現代社会に生きる人間は内側に耳を傾けなくなって久しい。
posted by Sachiko at 21:41
| Comment(0)
| 妖精
2019年09月25日
自然災害と元素霊
『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。
このところ世界的にも自然災害の規模が大きくなっていると感じる人は多いと思う。
本の中では、2004年のインドネシアでの地震と津波を例に、自然災害について一章が割かれている。
-----------
元素霊を研究することで、自然災害が地球全体を揺るがすときに何が起こるかが自然に明かされる。
巨大地震と津波のような混乱のとき、地球には何が起きているのだろう。
科学者はその後、地球の自転に不規則性を発見した。地球が動揺し、生物全体が揺さぶられたかのようだ。
生物学者は、クジラやイルカなどの海の哺乳類、また陸上の多くの哺乳類がどうやって生き延びたのかを考えた。
スリランカの自然保護区では数百人の死者が出たが、保護区の動物たちは免れていた。どのようにしてか、彼らは自分自身を救う能力を持っていた。
多くの動物が自分自身を助けることができたことについて、生物学者は懐疑的だったが、それはほんの偶然というものではなかった。
かつてルーマニアでこのような事件があった。
町のまん中にある大きな池で、無数の魚が水面から跳び上がっていた。数分後、大きな地震に見舞われ、町は壊滅した。
このような時、動物たちは何を知覚するのだろう?
シュタイナーは、動物には特定の事柄を知覚する身体的能力だけでなく、本能的な霊視力もあると言っている。
自然災害の直前に、エーテル界では何が起こっているのだろう?
-----------
動物が地震などを予知する話は、日本でも古くからある。科学者は、人間には感じられないかすかな振動を知覚するのだろうと言う。でも単に物理的な振動なら、車の往来が多い場所でも起きる。
「エーテル界では何が起こっているのだろう?」
現代自然科学はまだ、物質界しか研究対象にしていない。それ以外の世界については“非科学的”と排除されてしまう。
人間が傲りを捨て、科学の限界を超えて動物たちのあとをついて行ってみたら、何が起きるのだろう。
人間界で災害と呼ばれる現象において、自然霊たちはどのように関わっているのだろうか。
科学が触れようとしないそれらの領域に分け入らないかぎり、人間の古い頭脳ではもう限界にきている気がするのだが.....
この本が出たのは2006年で、2011年の地震と津波はまだ起きていない時だ。
このところ世界的にも自然災害の規模が大きくなっていると感じる人は多いと思う。
本の中では、2004年のインドネシアでの地震と津波を例に、自然災害について一章が割かれている。
-----------
元素霊を研究することで、自然災害が地球全体を揺るがすときに何が起こるかが自然に明かされる。
巨大地震と津波のような混乱のとき、地球には何が起きているのだろう。
科学者はその後、地球の自転に不規則性を発見した。地球が動揺し、生物全体が揺さぶられたかのようだ。
生物学者は、クジラやイルカなどの海の哺乳類、また陸上の多くの哺乳類がどうやって生き延びたのかを考えた。
スリランカの自然保護区では数百人の死者が出たが、保護区の動物たちは免れていた。どのようにしてか、彼らは自分自身を救う能力を持っていた。
多くの動物が自分自身を助けることができたことについて、生物学者は懐疑的だったが、それはほんの偶然というものではなかった。
かつてルーマニアでこのような事件があった。
町のまん中にある大きな池で、無数の魚が水面から跳び上がっていた。数分後、大きな地震に見舞われ、町は壊滅した。
このような時、動物たちは何を知覚するのだろう?
シュタイナーは、動物には特定の事柄を知覚する身体的能力だけでなく、本能的な霊視力もあると言っている。
自然災害の直前に、エーテル界では何が起こっているのだろう?
-----------
動物が地震などを予知する話は、日本でも古くからある。科学者は、人間には感じられないかすかな振動を知覚するのだろうと言う。でも単に物理的な振動なら、車の往来が多い場所でも起きる。
「エーテル界では何が起こっているのだろう?」
現代自然科学はまだ、物質界しか研究対象にしていない。それ以外の世界については“非科学的”と排除されてしまう。
人間が傲りを捨て、科学の限界を超えて動物たちのあとをついて行ってみたら、何が起きるのだろう。
人間界で災害と呼ばれる現象において、自然霊たちはどのように関わっているのだろうか。
科学が触れようとしないそれらの領域に分け入らないかぎり、人間の古い頭脳ではもう限界にきている気がするのだが.....
この本が出たのは2006年で、2011年の地震と津波はまだ起きていない時だ。
posted by Sachiko at 22:16
| Comment(2)
| 妖精
2019年09月23日
オセロ
ある時、オセロ(ゲーム)のコマは一種類しかないということにふと気づいて、あらためてすごい発見をしたような気がした。
チェスや囲碁は、駒(石)が最初から白黒二種類に分かれている。
…が、オセロは白黒が表裏一体、同じものなのだ。
つまり、同じもの同士が互いに自分が隠した裏側と戦っている。
オセロで遊んでいる時にそんなことは考えないだろうが、まるでこの二元世界の仕組みのようで、なんだかとても深くないか...?と思ったのだ。
今日は秋分の日、昼と夜がちょうど半分ずつ。
昼と夜も、分かれた別物ではない。宇宙空間から地球を見れば、昼と夜は表裏一体、同じ地球の上を交代しながら回っている。
そして太陽は天秤座に入る。これもバランスの星座だ。
-----------------
〈水辺の9月〉 https://fairyhillart.net

チェスや囲碁は、駒(石)が最初から白黒二種類に分かれている。
…が、オセロは白黒が表裏一体、同じものなのだ。
つまり、同じもの同士が互いに自分が隠した裏側と戦っている。
オセロで遊んでいる時にそんなことは考えないだろうが、まるでこの二元世界の仕組みのようで、なんだかとても深くないか...?と思ったのだ。
今日は秋分の日、昼と夜がちょうど半分ずつ。
昼と夜も、分かれた別物ではない。宇宙空間から地球を見れば、昼と夜は表裏一体、同じ地球の上を交代しながら回っている。
そして太陽は天秤座に入る。これもバランスの星座だ。
-----------------
〈水辺の9月〉 https://fairyhillart.net

posted by Sachiko at 22:03
| Comment(2)
| 未分類