2019年07月02日

木のディーバとジェンダー

「NATURE BEINGS」(Margot Ruis著)から。

木のディーバたちは人間に優しく、彼らに愛と感謝をもって近づく人間がいるとき、彼らは善良になり、幸せを感じる。
彼らに送る愛はまた私たちに返ってきて、互いに豊かなサイクルを築く。

木のディーバたちは男性または女性の姿であらわれ、若く、あるいは老成し、優しく、あるいは力強い。堂々と大きく、あるいは小さく繊細な姿をしている。

オーラに関していえば、男性と女性の木のディーバの違いはしばしば曖昧だ。大きく力強い女性のディーバがいるし、とても優しい男性のディーバもいる。

木のディーバが男性か女性かということが、人間世界においてほど重要とは言えない。分離し、分断し、判断したがる人間のマインドはここでは機能しない。

男性と女性は、両極に完全に分離しているのではなく、互いに浸透し、補完しあっている。
それは人間にもあてはまるが、残念ながらそれに気づいているのはごくわずかな人たちだ。

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人間の肉体は、(例外を除けば)男性か女性かの両極にはっきりと分かれているが、心魂的には、両極のあいだのどこかにいる。
100%女性の極、または100%男性の極ということはまずないだろうし、完全に真ん中ということもめったにないと思う。

たいていの場合は、自分の肉体の側の極から真ん中までのあいだのどこかにいるのだろうが、真ん中を超えて反対の極に近いこともあるだろう。

木のディーバの男性性と女性性が互いに浸透し、補完しあっているという表現は真実で美しい。
書かれているように、分離し、分断し、判断したがる人間のマインドは、ふたつの違う性質のものがあると、“どちらが”上か下か、良いか悪いか、優れているか劣っているかなどを決めずにはいられない。

「…陰と陽のすばらしい融合は、成熟した人格を特徴づける。彼らは性別から独立していて、一方の性が他方を支配するような考えは彼らの世界では異様に思える。」(本文より)

個別に分かれて見えるのは物質存在だけで、命や魂のオーラは虹のスペクトルのように、色が互いに混ざり合い、境界線のないグラデーションをなしている。

ジェンダーの見え方は、一般には、たとえばオークは男性的で、シラカバは女性的に感じられる。野バラやラズベリーなど、バラ科の低木は若い少女のようで、大きなヤナギは老人を連想する。

これらのイメージは単に人間の想像から生まれたものではなく、無意識のうちにそれぞれのディーバの姿を感じとっていたのかもしれなかった。
   
posted by Sachiko at 22:00 | Comment(2) | 妖精