2019年07月17日

アカハナカミキリ

赤褐色のアカハナカミキリ。

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これも全国どこにでもいる普通種らしいが、体長2センチほどの小さな虫なので、見つけようとしなければ見つからない。

それにしても、甲虫の仲間のつややかな翅は美しい。この色合いは漆細工のようだ。フォルムも美しい。
長い触覚が牛の角に似ているので、カミキリムシは漢字で「天牛」と書く(別の漢字も幾つかある)。

カミキリムシも、かつてはどこにでもいて誰でも知っている虫だったと思う。

それにしても、空き地で遊ぶ子どもの姿を見なくなって久しい。空き地に見える場所も実は誰かの所有地で、入ってはいけないという考えが徹底したのか、空き地で遊ぶほど暇ではないのか、それよりもゲームなのか...

小さな自然でさえこんなに生き生きと美しいのに、それらに触れることは命を強めてくれるのに、ゲームで時間をつぶすのはもったいない。

春はタンポポ、夏はシロツメクサの花輪を作った空き地、作り方を教えてくれたのは誰だっただろう。たぶん年上の子どもたちが代々伝えていったのだ。

都会のささやかな自然だった場所も激減し、クワガタもセミの抜け殻も見つからなくなり、昆虫同様、昆虫少年も稀少種になってしまったらしいのは寂しいことだ。
  
posted by Sachiko at 21:52 | Comment(2) | 自然
2019年07月16日

贈り物

「植物と叡智の守り人」(ロビン・ウォール・キマラー)より。

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アメリカ先住民の血を引く植物学者の女性によるこの本の中には、くりかえし「贈り物」という言葉が出てくる。
大地からの贈り物、人間同士が贈りあう贈り物....

「贈り物か、商品か....それをあなたがどうやって入手したかによってその性質はすっかり違ったものになる......贈り物の本質とは、それがある関係性を築くということだ。」(本文より)


あるささいなきっかけで、この贈り物の話を思い出したのだ。
時々、誰かにちょっとしたプレゼントを渡したときに、相手が一瞬、困惑した表情を見せるのに気づいてしまうことがある。

こんな例もあった。ある小さな集まりで(特に親しくはない、たまたま集まった人々)、誰かが途中で みんなの分のアイスクリームを買ってきた。ひとりがすぐにその人にアイスの代金を払おうとし、他の人もそれに続こうとした。

買ってきた人は慌てた。「そんなつもりじゃないんです!」。
ほんとに100%そんなつもりではなかっただろう。こうして、贈り物は商品になってしまうところだった。
(お金自体が悪いわけではない。お金が最も適切な贈り物になる場合もある。)

この「受け取り下手」はどういうことなのか?答えになりそうな、ある人の言葉があった。

「私はずっと、与えることは“良いこと、強いこと”で、受けとることは“悪いこと、弱いこと”だと思っていた」

これはたぶん、多かれ少なかれ日本人のDNAに染みついている観念のような気がする。受けとると、相手に対し負債を負うような気分になるのだ。

だから大急ぎでお返しをしたり対価を支払ったりして、負債を帳消しにしなくてはならない。そうでなければ“悪い側、弱い側”になってしまう....

一瞬困惑して受け取れないのも、すぐにお金を払おうとするのも、こういうことなのだろうか...と思う。

「この世界のすべてが商品なのだとしたら、私たちはとても貧しくなる。この世界のすべてが手から手へと移りゆく贈り物なのだとしたら、私たちはどんなに豊かになることか。」(本文より)

実験的に贈与経済のスタイルをとった無料食堂の話がどこかにあった。そこの食事は無料で、それは前の人からの贈り物なのだ。

食事をした人は、自分が食べた分に対してではなく、次に来る人のために支払う。お金があればお金を、なければ、皿洗いとか何かのパフォーマンスとか、別のかたちで何かを贈る。そうして、贈り物は循環していく。


自然界は、受けとろうとするほど豊かな姿で現れる。そのことは、ごく小さな私の庭からさえも感じとれる。
(奪うのではない。奪えば、ほどなく枯渇する。現在の地球に見て取れるように。)

先住民たちは、自然界からの贈り物を、所有して売買しようとは考えなかった。
でも今のこの文明は、理由あって必要だったのだろう。ただし一時的にで、永久にではない。これは永続しない形態だ。

ほんとうの贈り物が手から手へと渡っていく世界は豊かだ。ここから、次の文明のヴィジョンを思う。
  
posted by Sachiko at 22:19 | Comment(2) | 言の葉
2019年07月15日

ジンガサハムシ

やっと写真を撮ることができた。
透明な丸い陣笠をかぶったように見える、ジンガサハムシ。

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画像ではわかりにくいが、亀のような形の模様が本当に金色に輝いている。最初に見たときは、なんとも不思議な虫に見えて感動だった。
個体差があり、頭の部分だけが金色で、模様は黒いものもいる。

その後調べてみると、特に珍しい種類ではなく、普通にいる虫だとわかったが、小さくて見つけにくいために、一般にはあまり知られていない。

食草はヒルガオで、繫殖力旺盛で厄介な雑草だが、この虫のために少し残しておこうと思う。そう思わなくても根絶するのは難しいけれど...
ほんの少しでも根が残っているとそこからまた生えてきて、放っておくと周りの植物に絡みつき覆い尽くしてしまうのだ。

毎年夏の初めにこの美しい虫を見かけると、「ああ、今年も会えたね」と思い、夏の気分が高まってくる。どこか厳粛な儀式のような瞬間だ。
  
  
posted by Sachiko at 22:02 | Comment(2) | 自然
2019年07月13日

コキマダラセセリ

この蛾に似た姿はセセリチョウ科だと思って調べたところ、コキマダラセセリの♂だった。♀は表翅の模様がかなり違う。

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この画像で検索してみたら「skipper」と出てきた。
これは蝶とも蛾ともつかない姿をしているセセリチョウを指すらしい。

セセリチョウの仲間は時々何種類か見かけるが、なかなか写真に撮れない。北海道で普通に見られるコキマダラセセリは、本州では高地でなければ見られないそうだ。

ほんの短い時間飛んできてはまたどこかへ行ってしまう蝶とは、いつも一期一会だ。
小さな虫も、植物も星も、見ようと思わなければ気づかずに通り過ぎてしまう。どれほど多くの美しいものを見逃してきただろう?と時々思う。

でも注意を向ければ、日々姿を変えながら成長する植物があり、名前のわからない虫たちが思いがけない姿を見せる。
小さな庭では花が終わりかけ、実の季節に移りはじめた。
  
posted by Sachiko at 21:51 | Comment(2) | 自然
2019年07月12日

マリオン

今朝早くメールボックスを開いたら、フィンドホーン・フラワーエッセンスのニューズレターが届いていた。
タイトルが、Death of.....え!?

フィンドホーン・フラワーエッセンス創設者のマリオン・リーが亡くなったという知らせだった。


ある時、庭の花の剪定方法を検索していたら、フラワーエッセンスのサイトに行き着いた。アロマの一種か?と思ったけれどどうも違うらしい。その中に、フィンドホーン・フラワーエッセンスというのがあった。

そこで、ずっと前に読んだ「フィンドホーンの魔法」という本を思いだした。あのフィンドホーンが今はこういうものも作っているのか....

その後、なぜかフィンドホーン関連のイベント情報が次から次へと目の前に現れ始めた。その中のひとつが、マリオン・リーによる個人セッションとプラクティショナー養成講座だった。
世界中で講座を開いているマリオンが、「今までで一番小さなクラス」と言った、少人数での数日間だった。

静かな場所ではあったが、瞑想の時間、近くでビル工事をしている音が聞こえていた。
瞑想のシェアの時、マリオンがこんなことを言ったのを憶えている。
「人は、働かなくてはいけないのだろうか。歌って、ダンスをして、庭を歩いて暮らしてはいけないのだろうか....」

指輪物語のエルフの暮らしのようだな...と思った。
フィンドホーンの人々も、畑仕事をしたり建物を作ったり焼物を作ったり、各種セラピーなどの仕事を個人的に持っていたりするが、それは以前書いたような「LOVE IN ACTION」なので、毎朝の瞑想や歌や夜のダンスなどの時間と離れていない、ひとつながりに見える。

最後の日、食事会も終わって別れ際に、私はその時は何の当てもなかったのに、「次はフィンドホーンで会いましょう」と言ってしまった。マリオンは「ほんとに?」という顔で笑った。


パークの農園の裏手にある、カラーンハウスと呼ばれる大きな家がマリオンの家で、農園ではエッセンス用の花も育てられている。

グループでマリオンの家を訪ねたとき、マリオンは私を憶えていてくれるだろうか...?と思ったが、玄関で私を見つけてハグしてくれた。変わらずにふんわりと優しい表情だった。


まだ亡くなるような歳ではなかったはずで、突然だったようだが、穏やかに逝ったとレターには書かれていた。


ガーデンで見せてもらった、フラワーエッセンスに使われるスコティッシュプリムローズ。とても小さい可憐な花だ。

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マリオンの庭のフェアリー

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posted by Sachiko at 22:11 | Comment(0) | フィンドホーン