2019年07月24日

贈り物・2

「プレゼントされなければ手に入らないものが確かにある。そんなとき、プレゼントされる者は、プレゼントを受けるにふさわしい態度をするだけでいい」(ミヒャエル・エンデ「オリーブの森で語りあう」より)

この話は、人間と高次存在とのあいだの話だ。
人間の力でどうあがいても事態が八方塞がりに見えるとき、不意に、ひとりでに生じたかのように何かが与えられることがある。

そのような贈り物があるのを信頼することは、忘れていた源とのつながりを思い出させる。

贈り物にまつわる、いくらか苦い思い出がひとつある。
昔、当時入院していた年長の知人から、私の誕生日にプレゼントを渡したいので取りに来てほしいと連絡があった。

相手は入院しているのだから、こちらも何か持って行かなくちゃ!と、私もプレゼントを用意したのだが、少々気合を入れすぎたようだ...(持って行ったのは、何組かの手描きのグリーティングカード)

結果、受け取りに行ったはずがなんだかプレゼント交換のようになってしまい、その時、相手がふっと寂しそうな表情になったのに気がついた。
私は完全に受け取らなければいけなかったのだ。

あらゆるものが商品になってしまった時代でも、贈り物を与え、受けとることは、もちろん「取引」とは違う次元にある。

ミヒャエル・エンデは最晩年にこんなことを言っていた。

「最も価値あるものは、すべて無償で与えられている」

大地、水、空気、エネルギー...
生命、存在そのもの、この世界の大いなるすべて....

古く賢い民族のように、感謝と畏敬をもって受けとり、返礼はそれらを祝うこと。そのようにして人類は幸せでいられたのではなかったか、と思う...
  
posted by Sachiko at 22:00 | Comment(2) | 言の葉
2019年07月23日

ブラックカラント

ブラックカラント(仏名カシス、和名クロスグリまたはクロフサスグリ)、1p前後の小さな実が房状になっていて、完熟するとほとんど黒に近い紫色になる。

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今年は実の当たり年で、ブラックカラントだけでなく他のベリー類も、リンゴもブドウも、たくさんの実をつけている。

ベリーの木を見回りながらの短い時間に起こること....
早朝に摘むタイムのひと枝、足元から飛び立つ小さな蝶、葉っぱに残る朝露、空には白い下弦の月、草の中から聞こえる虫の音....

それらと共にあるときは、日常の時間の外にいるような気がする。
そして「こんなことをしている場合じゃない、忙しいんだから!」などと思ったとたん、神秘の魔法は消え失せる。

ほんとうは神秘のほうが当たりまえで、むしろそれらが見えなくなっている時が、悪い魔法にかかった状態ではないのか、と思う。

ブラックカラントはジャムやソース、シロップにして、パンケーキにかけたりヨーグルトに入れる。鮮やかな赤紫が美しい。

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〈光射す野辺で〉  https://fairyhillart.net

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posted by Sachiko at 22:08 | Comment(0) |
2019年07月22日

星の時間

ある種の小さな昆虫の中には、寿命がわずか1、2日というものがいる。羽化して、出会い、卵を産んで果てる。

今は医療技術などによってずいぶん長くなっているが、人間の元々の寿命は70〜72歳だそうだ。(日本で健康寿命の平均と言われているのがこのくらい)

プラトンの宇宙年と呼ばれる、地球の歳差運動により春分点が黄道上を一周する時間---約26000年、これを365で割ったものが人間の寿命だという。

人間の一生は、宇宙の1日。
小さな虫の一生は、人間の1日...

宇宙時間から見ると、小さな昆虫と同じようなわずか1日〜1日半くらいのあいだに人生というものがあって、いろいろなことが起こっているわけだ。

人間は便宜上、あらゆる時間を地球人間界を基準に計っている。
1年が365日というのも地球基準で、他の惑星ならまた違う時間になる。

さらに、太陽が銀河系の中心を回る周期がある。これも銀河系時間で、銀河系の倍の直径があるアンドロメダ銀河では、星々はまた違う周期を持つ。

全宇宙の共通時間というものはあるだろうか。何かの原子を基準にした時間など....?
いずれにしても、こうした計測できる時間は外的な時間だ。
それぞれの内的な時間には、それ自身の生命の横溢があるだろう。

ミヒャエル・エンデの「モモ」で、時間の国のマイスター・ホラの家には数えきれないほどの時計があり、それぞれ違った時間をさして、別々の音が絶えず鳴っていた。
けれどそれらの音全体は、夏の森で聞こえてくるような、規則正しい気持ちのよい響きなのだった。

あの時計の群れは、小さな昆虫や人間、遥かな銀河まで、存在がそれ自身であるときに奏でる、内的な時間の壮大な響き合いなのではないか、と思った。
  
posted by Sachiko at 22:42 | Comment(0) | 宇宙
2019年07月20日

木の時間

「NATURE BEINGS」(Margot Ruis著)から。

木のディーバたちは長い年月を生きるが、彼らは私たちとは違った時間の概念を持っている。

木を生かし続けるために300年ものあいだ一つ所に立っていることは、痺れを切らすほど退屈に思えるかもしれないが、それはエルフたちにとってはまったく違った経験なのだ。

二本の菩提樹がある。一本は700年を経た巨木で、そのディーバは60歳くらいの女性の姿に見え、力強く母性的なオーラは、始原の母なるものという印象を与える。

もう一本は庭の若い菩提樹で、植えられた時、そのディーバは14歳くらいの少女に見えた。その後彼女は木とともに成長し、輝く若い女性になった。

彼女は地球のエネルギーを樹冠から流し、枝を通して環境の中に導く。彼女の木の下と周りは、すばらしい波動を持つ特別な空間だ。

齢を経た木と若い木がともに具現化していることは、彼らが属する種の木の智恵だ。地球に木が存在するようになって以来、木の智恵は成長し続けている。
木のエルフが若くても、彼女は先祖の智恵につながっている。

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樹種にもよるけれど、多くの木は人間よりもはるかに長い時を生きる。しかも木は動かずにそこに立ち続け、成長し、昆虫や鳥や小動物などを養う。齢を経た巨木は特別なエネルギーを持つ。

人間はあらゆるものの時間を人間時間(時計の時間)で計ろうとするが、木のディーバは人間とは違う時間の中に生きている。

日常ではこのような時間のことを思うのは稀だ。
でも他のどんな存在もまたそうなのだろう。時計では計れない、それぞれに内在するそれ自身の時間がある。

ごく短い寿命に見える生きものでさえも、内的な時間から見れば、長い命を持つものと変わらない宇宙的な質を生きているのではないかという気がする。
   
posted by Sachiko at 21:28 | Comment(2) | 樹木
2019年07月18日

「The Lost Words」

「The Lost Words」(ロバート・マクファーレン ジャッキー・モリス)

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----あるときから、子どもたちの言語から言葉が消えはじめました...
はじめは誰も気づかないうちにそっと消えてゆき、やがてある日、それらはなくなっていました....

しかし、欠けたものを見つけ、消えたものを呼び戻すための古い魔法があります。正しい呪文が唱えられたら、失われた言葉は戻ってくるかもしれません----


失われたのは、子どもたちの周りの自然界に関する言葉だった。
それも、そう珍しいものではなく、かつてはごく普通に身近に見ることができたはずのものたち....
こんなものまで失われてしまったのか?と思う。

ドングリ、ブルーベル、シダ、タンポポ、ヤナギ、ツタ....

だが...私が子どもの頃には、すでにこれらの言葉はそっと消え始めていた。
約27p×38pのこの大型本には、植物だけでなく鳥や小動物の名前も出てくるのだが、地域が違うということを考慮しても、都心に近いところに住んでいた私は、野鳥や野生動物は身近に見たことがなかった。

ヒバリ、カワセミ、ムクドリ....

カエルの卵やオタマジャクシも、かろうじて遠足に行った先で見たことがあるだけだ。


この本では、失われた言葉を取り戻すために、それぞれの名を冠した詩(正しい呪文)と、美しい絵が描かれている。
そして、読んでいるうちに、失われたのはここに出てくる生きものの名前だけではないことに気づく。

朝露、夕焼け、陽だまり、木陰....
三日月、半月、一番星....
うろこ雲、入道雲、霧雨、夕立....

こうした言葉は今、子どもたちの生活の中にあるだろうか。
人々がもっと自然に近いところに暮らしていた時代には、空模様を読むことや月のフェイズを見ること、動植物の名前を知っていることはあたりまえだったはずだ。

失われた言葉に気づくとき、それらへの関心が戻ってくる。意識を向けられたものはこの世界に居場所を持つようになる。ここにある詩や絵は、その場所へ導く小道のようだ。

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posted by Sachiko at 22:38 | Comment(2) | 絵本