2019年05月03日

機械の霊・2

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

生命あるものすべてから切り離されたように見える、機械の中の、元素霊に似た存在...

「…私は彼らの働きに感謝し、心に留めておくよう努めなくてはいけないのですが、他の元素霊の場合のように自然にはそうなりません。」

ウルスラがこう語ったように、私も機械の霊に対し、草木の霊と同じように親しみを感じるのは難しい。

神話やメルヒェンの中でイメージやシンボルとして登場する、井戸、かまど、糸車なども、人工物には違いない。
それらは人間がまだ見えないものを見る能力を失っていなかった古い時代から、千年単位の時間を超えて、人々とともにあった。

テクノロジーの産物は、それが発明されてから普及、発展するまでわずか数十年。外的な変化のスピードに合わせて、深層の魂はそんなに早く変われない。
テクノロジーの産物が内的イメージにならないというのは、そういうことなのだろう。

シュタイナーの未来像の中には、こんな話もある。
遠い未来に、物質界が克服されてエーテル宇宙になったとき、物質界で霊性を帯びなかった人工物が、異様なゴミの山として現れる、という話だ。
たとえば工場から出荷された後、一度も人の手に触れることなく廃棄されてしまうような物がたくさんある。そういった物だ。

フィンドホーンでは、自然界と調和する生き方を主体にしているが、テクノロジーも使いこなす。
掃除機などの電化製品にも名前をつけていて、またガーデンスコップなどの道具類も、意識を持つもののように(実際持つのだが)、使い終わったあとは感謝してきれいに磨く。
そうするといっそうよい働きをしてくれるのだという。

古代の人々は、あらゆるものに霊性を見ていた。文明はこうして螺旋を描くように、ずっと前からあったものにまた新しい形で到達するのかもしれない。
物質の中に閉じ込められた霊性を救い出す、これもひとつの方法のように思う。
  
posted by Sachiko at 22:20 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト