2019年05月07日

地球の進化

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

ウルスラはカルリクと知り合ってから、地球がなぜこのように堅固なものになったのかを聞きだしたいと思っていた。
なぜ、彼女の意識が身体から解き放たれたときに体験したように、光輝き、生命に浸透されて躍動するものではありえなかったのか。

彼女はカルリクに、地球は何か違ったふうになることはできなかったのか尋ねた。「できなかった」と、答えが返ってきた。
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「あるとき母が私にジャム作りを手伝ってくれるよう頼みました。私はストーブのそばに立ってかき混ぜました。カルリクは鍋の取っ手の上に陣取っていました。

ジャムが冷めて固まってくると、彼は踊りながら叫び始めました。『こういうことだ!こういうことなんだよ!』
『どうしたの?』と私は尋ねました。
『地球もそういうことなんだ!』楽しいことを思いだしたように、彼は叫びました。『ちょうどこういうことだって、君はわかっただろう。』」

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ウルスラはカルリクが喜んでいることが嬉しかったが、彼が何を伝えたいのかはしばらくの間理解できなかった。

その後彼女は科学的思考で書かれた人智学の本で、カルリクが地球の進化について比喩的に示そうとした内容を発見した。
思考と比喩とが互いに補い合って、真に生きた知識に導くのは美しいことだった。
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「この発見のきっかけは、台所での実際的な作業でした。私たちはみな学ぶためにここにいるのだと、今私は理解しました。」

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地球がまだ柔らかかった頃のことについて述べられているものは、私も読んだことがある。
その頃地球は宇宙の影響下にあり、地球全体が一種の植物のようだったという。

今日、植物が死滅すると鉱物になる(石炭など)ように、かつて植物だった地球が鉱物になったのだ。(「自然と人間の生活」R・シュタイナー)

ジャムが冷えて固まるようすは、過去の地球の比喩になった。
「野菜のお祭り」の話のように、台所での日常的な仕事も宇宙的な物事の思考に繋がっていった。
鍋の取っ手はカルリクのお気に入りの場所らしい。それも素敵なことだ。
  
posted by Sachiko at 22:11 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2019年05月06日

逆さまの植物

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

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「ある時私が森にいると、枝が私の顔と髪をこすりました。
『木が足で君に挨拶しているよ』と、カルリクは笑いました。」

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彼女はカルリクが何を言おうとしているのか理解できなかった。
カルリクは、ノームにとって人間は逆さまの植物であり、植物は逆さまの人間なのだ、と説明した。

植物の根は彼らの頭で、つまり頭は地面の中にある。植物は、頭から空に向かって成長する。樹冠と呼ばれるものは、彼らの足なのだ。

このように見ると、人間は天から地へと逆に成長しなくてはならない。小さな子供たちは、すでによく発達した大きな頭を持ち、これを根と見なすなら、彼らは足のほうへ成長すると言える。
でもほんとうに人間は天から地へ成長すると言えるだろうか?

カルリクはこう答えた。
「人類は天の世界を地上に持ってくることになっている。だから人間は足のほうへ成長しなければならない。」
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「後になって私は、ルドルフ・シュタイナーの著作の中で、人間を逆さまの植物として言及しているのを見つけました。カルリクは、彼がすでに他の方法で知っていることが書かれた『思考の箱』(※カルリクは本のことをこう呼んだ)に、とても満足していました。」

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人間は逆さまの植物であるという話は、私もシュタイナーの本の中で読んだことがあるが、何の本だったか忘れてしまったので、今ここで詳しいことは語れない。
人間の思考する頭が、植物の場合は根に相当するという図に、妙に納得したのは憶えている。

天と地のあいだのメタモルフォーゼについては、シュタイナー本人の著作ではないが、人智学系自然科学に基づく別の本の中にこのような話がある。

「地上のもの」と「地下のもの」は鏡像の関係にある。
植物の中でデンプンは分解して糖になり、上方では花の色や香り、蜜、オイル、薬効成分などになる。

下方へ向かうと、固化と鉱物化が進む。
こうして地下でできたコールタールなどから、人間の知性は、合成香料、合成色素、合成薬品などを作り出した。
この地下領域は、宇宙がダイナミックに創造するものの「鏡像」となって現れている。
(参照:「放射能とは何か」佐々木和子著)

この地下領域には、計算可能な出来事があるだけであり、緑に溢れ、花咲き、実りをもたらす現実のものとして現れることはない、と本は結ばれている。

人間の頭(知性)が根として地下領域に照応するならば、知性による計算可能な領域だけが肥大した文明は、根だけが肥大して花を咲かせない植物のようなものだろうか。

「人類は天の世界を地上に持ってくることになっている。」
カルリクの言葉が導きの糸のように響く。
  
posted by Sachiko at 22:11 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2019年05月05日

リラの花咲く頃

ライラックの花が咲き始めた。

lilac.jpg

「家ごとに リラの花咲き札幌の 人は楽しく生きてあるらし」

と、吉井勇の歌に詠まれたように、ライラックが植えてある庭はとても多く、満開の時期には通りを歩けば香りが漂ってくる。

ドイツ語ではフリーダー(Flieder)、春のウィーンの通りや公園にたくさん咲いていた。気候は札幌に似ているが、冬がさほど寒くない分、ライラックが咲くのは早いようだった。

札幌のライラックは、市内の伝統あるミッションスクールの創設者である女性宣教師がアメリカから苗を持ち込んだのが最初で、気候が合っていたためにその後広く栽培されるようになったと言われている。

わが家のライラックも、アメリカ産らしい「プレジデント・リンカーン」という品種だ。青みの強いライラックがほしくてさんざん探し回って見つけたのだが、後に、あのターシャ・テューダーの庭にもこのライラックがあることを知って嬉しかった。

以前は5月末から6月初旬に咲いて初夏を告げる花だったのに、年々開花時期が早くなっている。
庭の最後の雪が消えて4週間、今日の最高気温は24度で半袖で過ごした。

「リラの花咲く頃」というシャンソンは、宝塚のテーマソング「すみれの花咲く頃」の原曲でもある。


   
posted by Sachiko at 21:32 | Comment(2) |
2019年05月04日

元素霊たちとの協働

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

ウルスラは仕事の問題を抱えていた。大人のための学校で教えていたのだが、職場環境は冷ややかで、人々は楽しみも興味もなしに学んでいた。さらに、近くには建築現場があり、騒音に悩まされていた。

すっかり勇気を失ったと感じていた時、カルリクが窓の下を見るように言った。そこには香りのある花が咲いていて、エルフたちが踊りながら羽ばたいていた。カルリクは尋ねた。

「彼らがまだここで踊っていて、この場所に花を咲かせているとき、君は本当に勇気を失うことができるかい?」

都会の環境の中で、元素霊たちは永遠に彼らの最善を尽くしている。ウルスラは彼らとともに辛抱強く働いていくことを決心して仕事に戻った。
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「正しい方法で近づくと、元素霊たちとの接触は、この世界から遠のいたり夢見がちになるのでなく、人生に対処する能力をもたらします。」

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そのように、地球で働く見えない存在たちを認識することは、夢ではなく、より本来の現実へと導くのだと思う。

むしろ、「そんなものはいない」と嘲笑したり、彼らを認識できずに人間の都合だけで世界に関わるほうが、眠ったまま車(あるいはもっと危険なもの)を操作するようなことに思える。

正しい方法でなく近づいた場合の危険は、ある種のフワフワ、キラキラしたスピリチュアルのようなものか、あるいはこの本の前半で出てきた、ドラッグ効果のような内的な分裂を引き起こすことだろうか。
やはり「バランス」だ。
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「元素霊たちとの接触を適切に深めることは、そこから新しい何かを学ぶことを意味します、それゆえ、私たちの共通の任務の遂行にますます適っていくのです。」

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人間と元素霊たちとが協働して生きる、それが本来そうあるはずの地球の姿だったはずだ。

都会の騒音の中でさえ、花が咲いているところにはエルフたちの働きがある。彼らがまだここで踊っている……それはほんとうに勇気をもたらしてくれる。
  
posted by Sachiko at 21:16 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2019年05月03日

機械の霊・2

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

生命あるものすべてから切り離されたように見える、機械の中の、元素霊に似た存在...

「…私は彼らの働きに感謝し、心に留めておくよう努めなくてはいけないのですが、他の元素霊の場合のように自然にはそうなりません。」

ウルスラがこう語ったように、私も機械の霊に対し、草木の霊と同じように親しみを感じるのは難しい。

神話やメルヒェンの中でイメージやシンボルとして登場する、井戸、かまど、糸車なども、人工物には違いない。
それらは人間がまだ見えないものを見る能力を失っていなかった古い時代から、千年単位の時間を超えて、人々とともにあった。

テクノロジーの産物は、それが発明されてから普及、発展するまでわずか数十年。外的な変化のスピードに合わせて、深層の魂はそんなに早く変われない。
テクノロジーの産物が内的イメージにならないというのは、そういうことなのだろう。

シュタイナーの未来像の中には、こんな話もある。
遠い未来に、物質界が克服されてエーテル宇宙になったとき、物質界で霊性を帯びなかった人工物が、異様なゴミの山として現れる、という話だ。
たとえば工場から出荷された後、一度も人の手に触れることなく廃棄されてしまうような物がたくさんある。そういった物だ。

フィンドホーンでは、自然界と調和する生き方を主体にしているが、テクノロジーも使いこなす。
掃除機などの電化製品にも名前をつけていて、またガーデンスコップなどの道具類も、意識を持つもののように(実際持つのだが)、使い終わったあとは感謝してきれいに磨く。
そうするといっそうよい働きをしてくれるのだという。

古代の人々は、あらゆるものに霊性を見ていた。文明はこうして螺旋を描くように、ずっと前からあったものにまた新しい形で到達するのかもしれない。
物質の中に閉じ込められた霊性を救い出す、これもひとつの方法のように思う。
  
posted by Sachiko at 22:20 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト