2019年05月31日

続・虹の話

とても古い時代には、人間の色彩に対する認識はあいまいなものだったらしい。現代人は虹といえばあの美しい色彩を思い浮かべるけれど、虹という言葉は多くの言語で、色よりも弓形の形に基づいている。

英語、ドイツ語では「雨の弓」Rainbow、Regenbogen、、フランス語では「空の弓」Arc en ciel...
虹という漢字も、虫篇がついているのは蛇のような細長いかたちをしているからだ。

虹の色よりも形のほうが印象的だったというのは、現代人の感覚からは不思議に思える。
子どもの頃、くっきりと鮮やかな虹を見たときの畏怖の気分は、美しいを超えてどこか恐怖に似たものだった。

旧約聖書のノアの洪水の話に、最初の虹が登場する。
ノアの一族が新しい陸地にたどり着き、神は契約の虹を立てた。

地球の大気の組成が変わったために、このとき初めて虹という現象が可能になったのだ。
アトランティス時代の大気は、霧のように濃密だったという。

北欧神話に出てくる霧の国ニッフルハイムはアトランティスを指し、アトランティス時代から次の時代への移行を表わすものとして、天と地をつなぐ虹の橋ビフロストが描かれている。

長い宇宙時間の中で、地球の様相がまた大きく変化することがあるだろうが、地上に虹がかかるかぎり、この時代の神の契約はまだ続いているということだ。
  
posted by Sachiko at 22:33 | Comment(0) | 自然
2019年05月30日

虹の話

昨日、空に不思議な虹色を見た。
“環水平アーク”というものらしいが、カメラを取りに行っているあいだに薄れてしまい、うまく写真が撮れなかった。

何とか画像の彩度を調整して虹色部分を浮かび上がらせてみたのだが、わかるだろうか...(真ん中より少し下部分)

arc.jpg

彩雲は何度か見たことがあるが、これは初めて見た。
太陽の周りに見えるこれらの虹に似た現象にはそれぞれ名前があり、雨上がりの「虹」とは別の呼び方をするそうだ。

以前ムーミン谷の冬の話で、「オーロラはほんとうにあるのか、それともそう見えるだけなのか...」という話があった。

虹という物質はないし、雨粒が虹というわけでもない....では虹はないのか?といえば、確かに見えている....

太陽を背にして立った時、太陽と自分を通る直線上に虹の中心がある。
つまり、隣に立つ人といっしょに虹を見ていても、実はそれぞれ微妙に違う位置の、自分だけの虹を見ているという不思議...

シュタイナーの「色と形と音の瞑想」(風濤社)の中には、虹と四大元素霊の話が出てくる。
地の精、水の精、風の精、火の精たちは、虹の色の中から現れてはまた消えていく。それは元素霊たちのすばらしいダンスなのだという。
  
posted by Sachiko at 22:00 | Comment(0) | 自然
2019年05月29日

四大霊と植物の形成

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。
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植物はすべてのエレメントがいっしょになって形づくられるので、元素霊たちは互いに協力して働いている。
植物が発芽し、花を咲かせ、実を結ぶとき、4つのグループの自然霊が活動している。

根を形成するためにはノームが必要だ。彼らの動きは植物に根を作り、大地から上に向かう能力を与える。

葉っぱや茎を流れる樹液の中では、水の精、ニンフたちが活動する。
光と空気が植物と出会う場所、光合成の化学プロセスが起るところでは、エルフたちが働いている。

火の精サラマンダーは暖かさをもたらし、花が種と実を形成することに関わっている。

それぞれが自分自身の任務を持った4つの精霊グループは、植物が生きてくことができるように協力しあっているのだ。

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植物を形成するたくさんの元素霊たちのはたらきを意識するときと、植物を単に物質的存在として外形だけを眺めるときとでは、魂に映るその姿は全く違っているはずだ。

根を見る時にはノーム、葉っぱや茎にはニンフ、花にはエルフ、種や実にはサラマンダー....

葉っぱが茎の先端で花に変容するとき、花が散って実がふくらんでいくとき、精たちはどのように交代していくのか、想像してみると楽しい。

種がはじけて飛ぶときは、またエルフたちがやってくるのだろうか。地面に落ちた種は、ノームが受け取り、芽を出すまで地中で守っている?

そうして植物はさまざまな形態をとりながら、季節の中を循環していく。
循環....元素霊たちは繰り返しが好きだと、ウルスラ・ブルクハルトは言っていた。

循環するものの美しさ....夥しい精たちがそれぞれのダンスを踊り、その踊りの姿が移り変わっていく様子を思う。たった一本の草花の周りにも。
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〈SWING〉   https://fairyhillart.net

swing-1.jpg
  
posted by Sachiko at 21:58 | Comment(0) | 妖精
2019年05月27日

火の精

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。
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最後に火の精サラマンダー、これは小さな両生類の名前ではなく、ギリシャ語で「あちらこちらに揺れる」ことを意味する言葉から派生している。霊視者は火の精サラマンダーを、燃えさかる激しい動きとして知覚する。

火が燃えるとき、彼らは巨大になり、火が消えるときは、見えないエレメントの世界に還っていく。
火の精は燃える火の中だけにいるのでなく、自然界の中で熱のプロセスがあるところどこにでも働いている。

例えば花が昆虫の世界と接触するとき、または植物が花を咲かせて太陽の暖かさの中で実を結ぶとき、そこに彼らはいる。

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今日は湿度が低めだったのか、体感的にはさほど猛暑と感じなかったが、後で34度だったと知った。
ここ数日、まだ5月だというのに火の精が巨大化していたようだ...(-_-;A

子どもの頃はまだ、枯葉や枯れ枝などで焚火をすることもあった。薪が燃えるときの炎の動きはとても不思議で、生きものが動いているように感じられ、ずっと見ていても飽きなかった。

灯油ストーブの火は安定していて、あまり不思議さはない。セントラルヒーティングになると、もう火は見えない。
暖炉や囲炉裏、かまどの時代には、火の精はとても身近にいたのだろう。

メルヒェンや伝説では、地の精や水の精に比べると、火の精の話は少ないように思う。
熱というのは固体、液体、気体に先立つ原初のエレメントで、擬人化しにくいのだろうか。
  
posted by Sachiko at 21:35 | Comment(2) | 妖精
2019年05月26日

空気の精

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。
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空気の精、あるいはエルフは、空気や風を住処とする。
トウモロコシの茎が揺れる時、柳の花がゆらゆら揺れて花粉を撒き散らす時、月の光と霧がゆるやかで神秘的な踊りを踊る時、エルフたちはそれらの中にいる。

ゲルマン神話では、光のエルフと闇のエルフを分けている。
ホレ小母(ホルダ)は、しばしば空気の女神として崇拝された。

多くの人々にとって光のエルフは別の名前で知られる。アイルランドではフェアリー、デンマークではエレフォーク、イタリアではフォレッティ、ドイツではフェー、として。

エルフたちは人間にとって目に見えない助け手として知られるだけではない。ある種のエルフは、ハンの木の王(※ゲーテの「魔王」)のように、人間を魅了し誘惑して彼らの世界に引きずり込む。

『ナイトメア(夢魔)』は、眠っている者の上に乗っかる邪悪な霊やゴブリンを表わす古英語の「メア」から派生している。
『パニック』という言葉もまた、ギリシャの森の神である「パン」に由来する。

これらの名前は、我々が十分に目覚めていないとき、自然霊たちは我々の気分に深く影響し、人間の魂生活に働きかけ得ることを示唆している。

それはエルフたちだけでなく、すべての種類の自然霊たちにおいてそうなのだ。ある子どもは、かんしゃくを起こしたことを両親にとがめられてこう言い返した。「僕じゃないよ、怒ったノームがやったんだ!」

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草木が風に揺れる時、そこにエルフたちがいる。彼らの踊りからは、喜びが伝わってくる。
自然界のすべては彼らの働きで織られていて、それが世界のほんとうの姿なのだ。

それを忘れて、すべてはただ物質だけで成り立っているという考えに閉ざされているのは、どれほどいのちを苦しめてしまうことだろう。

>「我々が十分に目覚めていないとき、自然霊たちは我々の気分に深く影響する...」

エンデの『はてしない物語』の中に、こんな話があった。
…虚無に飛び込んだファンタージエンの生きものは、人間の世界では“虚偽”として、人間の魂を毒するものになる....

そういえば日本語でも「魔が差す」という言葉があるように、邪悪な霊たちが意識されないままでいると、「魔」として人間の中に入り込んでしまうのだろう。
  
posted by Sachiko at 21:40 | Comment(2) | 妖精