2019年04月05日

最後の雪

このあやしい物体は....庭の最後の雪。

lastsnow.jpg

明日中には消えてしまうだろう。
次に雪が積もるのは、たぶん7か月くらい先だ。
なんだか名残惜しい...

冬のあいだ毎日雪が降り続いて、うず高く積もった雪はもうこのまま溶けないのではないかという気分になることがある。
それでも春が来ると、あんなに大きかった雪の山が毎日少しずつ小さくなり、やがてほんの一握りほどになって、ある日、なくなっている。

冬に雪を力ずくで溶かそうとすると大変なエネルギーを要するが、春になれば何の努力もなしに、ひとりでに融けていく。
ものごとは、こんなふうなのだろうと思う。
無理強いではなく、自然に、軽やかに変化していく時があるのだ。

まだほとんど色彩のない春。
一年中何らかの花や葉っぱが見られる地方から見ると、これは春には見えないかもしれない。

でも、あたり一面真っ白ではなくなり、固い冬芽が割れて、雪のあいだから最初の花が咲き、最低気温が氷点下を脱したのだから、間違いなく春だ。
 
posted by Sachiko at 22:06 | Comment(2) | 季節・行事
2019年04月04日

元素霊と出会う方法

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

元素霊たちとの出会いがどのようなものかを言葉で説明するのは、おそらくとても難しいのだと思う。
ウルスラ・ブルクハルトは、シュタイナーの行法に従って、三つのステップで説明している。

1.イマジネーション

それは魂の体験であり、その霊的存在に無私無欲に共感するほど、それは自分の主観ではなく、その存在そのものを反映するようになる。
個人的な願望や、本や何かのイメージを交えないようにしなくてはいけない。
シュタイナーも、「こういうものを見るはずだ」という期待や先入観を持つことは妨げになると言っていたと思う。

2.インスピレーション

元素霊との会話について。
彼らは声を持っていないし、時空にも制限されない。それはひらめきのように起こり、内側に残り続ける。

文章のかたちをとらずに内側に語りかけてくるものは、言葉に翻訳され、自分自身の考えのようになっていく。ノームたちは、それが自分の中の考えになるような方法で伝えてくるのだという。
古いメルヒェンや伝説の語り手は、このように伝えられたものを描写し表現したのだろう、とウルスラは語る。

3.直感

元素霊たちとの体験は、互いが互いの中に浸透しあうようなかたちを取るという。自分の物質性ではない部分が、それらと結びつくのだ。
その一体感は、オーケストラに例えられている。様々な楽器の音が調和してひとつになり、同時に個々の音としても残る。
霊的存在たちは心の中の像のように体験され、内的に語るのだ。

「元素霊たちと仲良くなりたい人は誰でも、愛をもって彼らに近づき、彼らの喜びや悲しみに参加し、鉱物や植物、動物、そして人間同士と同じように共に暮らさなければなりません。……元素霊たちは人々との出会いを強く願っているので、私は私の描写によって、彼らの世界への道を示すことを試みようと思います。」


この次元の時空に制限されないところから語りかけてくる声をとらえるのは難しいと感じる。けれど注意深く観察すると、それに似たような体験はありそうだ。

例えば「着想」というものはどこから来るのだろう。
それはやはり、かたちにならないものが一瞬入り込んできて、そののちに言葉や文章という、なじみのかたちに整えていく。
それを送ってきたのは誰か....先入観を外せば、案外見えない存在たちはいつも近くにいて、人間に手を伸ばしているのかもしれない。
 
posted by Sachiko at 22:22 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2019年04月03日

イメージを形にすること

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。


ウルスラが作った蝋人形を見た人たちは、それはノームだと言った。そのように、人々はノームのイメージを持っている。

けれどウルスラが語る実際のノームは、測定できる大きさを持たず、目には見えず、触れることもできない。場所をとらず、場所というものに拘束されない。
にもかかわらず、彼女はそれを自分の体験の表現として形づくることを試みた。

元素霊を描写しようとするとき、まるでそれが希薄な物質であるかのように想像すると、人は誤りやすい。それは霊的ではなく、幽霊のようなものになってしまう。

7歳の少年とのエピソードが語られている。
彼女は少年に、小さなノームの蝋人形を渡した。彼は頻繁にノームと話をして、あるとき母親に言った。
「ママは知ってるよね、これはただの人形だよ。ほんとうのノームは心の中の向こう側にいるから、ぼくたちは会えないんだ」

少年はイメージを通して、見えない向こう側に住む者と自分自身をつなげることができた。
大人はそのように自然に、イメージと“存在”を見分けるのは難しいだろう。大人は、自分たちがすでに知っている情報を即座に持ってきて当てはめてしまう。

「わたしたちは、共感的な知覚を日々訓練しなくてはなりません。それは、生きて成長するもの、自然界の見えないはたらき、そして霊的存在たちの隠された世界との出会いを導く力となります。」


イメージと存在の本質を見分けること....
これについては、「天使体験」の話を思い出す。ほんものの天使体験談には、絵に描かれたような姿 − 白いローブに白または虹色の翼 − をした天使を見たという話はほとんど出てこない。

翼の生えた天使のイメージは一般的なものとして「すでに知っている情報」なので、天使の存在を信じない人でも、その姿を描くことはできる。
でも天使存在の本質を体験したときには、イメージという姿がなくても、それが天使のはたらきだとわかるらしい。

元素霊も、そういうことなのだろう。物質界に質量のある姿を持たず、空間的な場所にも拘束されない存在を描写する試み...
そして、彼女が作った姿は人々からノームだと認識された。
ウルスラはおとぎ話の挿絵などを見たことがないのだから、その姿は、元素霊の体験から導きだされたものだったのだ。
 
posted by Sachiko at 21:50 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2019年04月02日

芽吹きの春

今年は春が早いと思っていたら、その後毎日雪が降ったり気温が低かったりが続いている。
それでも春は日々新しい姿を見せてくれる。

真っ白な雪に覆われ凍りついた冬を経て現われる、光が歌い上げるような春は格別だ。

今年一番早く緑の芽を見せたのはグースベリー(左)
バラも、日曜日に冬囲いを外したら、すでに新しい芽が出ていた(右)

gooserose.jpg


水仙(上)とチューリップの芽(下)

daffoturip.jpg


早春という季節は意外に長い。
でもひとたびスピードアップすると、あとは一気に加速する。

スノードロップが終わる頃、チオノドクサやプシキニア、シラー・シビリカなどの小さな青い花が咲き、次いで水仙が咲く。そしてチューリップが咲き終わるころにはもう初夏だ。
 
posted by Sachiko at 21:46 | Comment(2) | 季節・行事
2019年04月01日

内と外−見ること

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

この本は、きちんと1ページ目から順を追って読んではいないので、話が飛び飛びになるが....

子ども時代のウルスラが、大人たちに禁じられて元素霊や妖精たちとの関わりを封印してしまってからしばらく後の学生時代、アイルランドのキリスト教と自然界との密接な関係を学んだことから、解放がおとずれた。
森でノームに出会ったのは、その後のことだ。

そして彼女は、元素霊たちとの出会いに確信を持ち、より親密な関係を築きはじめる。エルフや水の精よりも、ノームはより強く人間たちとの友情を望んでいるようだった。

彼女はそうした体験を他の人々と分かち合いたかったが、大人たちはおとぎ話をまじめに捉えてはいなかった。
元素霊と人間の世界とをふたたびつなぐことは容易ではないと、彼女は思う。


見えるとか見えないとかいうのは、どういうことだろう。肉体的な視力を持たない人々が皆、ウルスラのように元素霊を知覚できるわけではないだろう。それにはまた別の条件が必要なのかもしれない。

それでも現代人は、あまりに外向的になりすぎたために、内的な視力をほとんど失ったようにみえる。
そしてそのことに気づかず、肉体の目で見える外側だけが現実だと思うようになった。

元素霊たちとの出会いがどのように知覚されるのかについても書かれているが、それはまた今後続けていく。
目次と前書きを除くと50ページほどなので、思ったより早く読み終えられるかもしれない。

高校の時の夏休みの課題に、英語の原書を一冊読むというのがあった。本は自分で選ぶことができた。

当時これくらい気を入れてやれば、もう少し何か違ったかもしれないと思うが、宿題とか勉強という名前がつくと、とたんに向かい風に押し戻されるような気分になるのはどうしてか....(-_-;
ものごとは“楽しみ”にしたほうが、よほど効率がいいのではと思うこの頃。
 
posted by Sachiko at 22:51 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト