2019年04月25日

〈グレート・ノーム〉

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

カルリクは、過剰に知的な人々が来ると退いてしまう。そして去り際に親指で鼻に触れるのだが、もちろん知的な来訪者たちは気づかない。それはこういう意味なのだ。
「気にするな、彼はいつも自分が正しいと思っているが、彼のすべてがいつも正しいわけではない」

やがて戻って来たカルリクは、〈グレート・ノーム〉について話をした。〈グレート・ノーム〉はカルリクの友であり、カルリクのように元素霊たちのリーダーだ。
〈グレート・ノーム〉がこう言っていたと、カルリクはいたずらっぽく笑った。

「講釈したがる連中は、結局疲れてやめなくちゃならない。聞いているみんなが飽きるのと同じようにね」

カルリクは“賢い”人々の前でこの〈グレート・ノーム〉の言葉を繰り返し、愚か者をからかう。

ウルスラもある時、努力して“賢い”人になろうとしたことがあるが、いっしょにいたカルリクは激怒した。

心理学の本を読んでいた彼女がカルリクに「この著者はあなたを元型として分類するでしょう」と言ったとき、カルリクはそれを冷たく形骸化した考えと感じ、彼らの住む領域への無意識の疑いのようなものを見つけたのだ。

もう一度そんなことを言ったら去っていくと脅したカルリクの怒りは彼女を震え上がらせた。

「自分はイメージではなく、実在だ。あなたはその本を真剣に考えるのでなく、内容を理解するだけでいい」と彼は言った。彼にとって「真剣に考える」とは、現実として捉えることを意味した。

彼女も、他の人々を自分なりに作ったイメージとして見ることがあり、その場合彼らの真の姿を見抜くことはめったにない、と言った。それから彼らはまた仲直りしたのだ。

カルリクは、彼女が本を読みながら形づくった思考を受けとることで、間接的に本を読む。彼は本のことを「思考の箱」と呼んだ。もちろん内容の薄い本は問題外だ。


賢いノームたちにとっては、人間の知性など愚か者のレベルでしかないのかもしれなかった。
元素霊たちがそれほど賢いのなら、なぜ地球を治めることを任されたのが彼らではなく人間だったのか。

やはり人間には、今は忘れてしまっているとしても、この世界のために人間でなければ為すことのできない任務があるのだろう。

カルリクが彼女の思考を通して間接的に本を読む話は興味深い。
肉体を離れた魂に、霊的な内容の本を読んであげるという供養の仕方がある。声に出す必要はないけれど、その人が目の前にいるつもりで読んであげると、相手の魂は喜び感謝するのだという。

地上に生きている人間は、そのように肉体を持たない存在たちに働きかけることができる。離れて見えるのは肉体だけで、魂の奥は遠くまでつながっているということを思い起こさせてくれる。
  
posted by Sachiko at 22:08 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2019年04月24日

スプリング・エフェメラル

スプリング・エフェメラル−直訳すれば“春の儚いもの”、一般には「春の妖精」と呼ばれる、春先にほんのみじかいあいだ咲く小さな花たちのことを指す。
カタクリ、エンゴサク、キバナノアマナ、イチゲ、フクジュソウetc...

カタクリ満開、エゾエンゴサクは少し終わりかけている。
市内某所
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これは数年前の写真だけれど、咲き始めのエゾエンゴサク
富良野・風のガーデン
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エゾエンゴサクの澄んだ淡い水色はほんとうに美しく、大好きな花だ。

早春にいち早く咲くのは、他の植物が大きく葉を広げたり木々が繁ってしまうと、小さなものたちには太陽の光が当たりにくくなってしまうからだ。

そうして短いあいだに種をつけ、地下の根に養分をたくわえる。周りの植物が大きくなるころには、地上部はすっかり枯れて、姿を消してしまったように見える。

秋から冬には、次の春いちばんに起きだせるように、土の下で着々と準備をしている。長いあいだ地面の下ですごし、地上で花を目にすることができるのはほんのわずかな期間。ある種の昆虫のようだ。
このあたりも、妖精と言われる所以なのだろう。

かつては山野に群生していたこれらの花も、自然の状態で見ることのできる場所はとても少なくなり、今は公園などで守られて咲いている。
自然の中で一面に咲く姿は見事だっただろうに、小さく美しいものは儚く去ってしまうことが多くなった。
 
posted by Sachiko at 22:18 | Comment(2) | 自然
2019年04月23日

ノームの友

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

ウルスラとカルリクは互いに属しあっているので、互いの友人知人にお互いを紹介することがある。カルリクは時間や空間の制約を受けないので、彼女とともにいながら、自分の仕事を続けることができる。

カルリクは特に子どもたちが好きだ。彼女が「ノームのカルリク」のお話をするとき、彼はいつも楽しんで子どもたちをファンタジーの世界へ連れていく。

彼は大人たちとはそううまくいくわけではないが、愛することのできる人々や、情熱をもって何かに打ち込むことのできる人々を愛している。

またカルリクは、真の苦難の中にいる人々には大きな愛情を向けている。彼が助けたいのは本当に苦しんでいる人々であって、小さな痛みを大騒ぎしたり、自分を哀れむことに溺れて、それを取り除こうとせずにいつまでもかまけているような人々とは区別している。

本当に必要な人々から助けを求められるとき、彼は嬉しく思う。それは彼の仕事のひとつなのだ。


メルヒェンでは、よい心持ちの人々が困った時に小人たちの助けを受け、そうでない人々はからかわれたりひどい目にあう話がよくある。
メルヒェンの中の単純明快な道徳性は、人々が他の領域の存在たちを知覚することができた古い時代の叡智に基づく。

いくらか不思議に思えるのだけれど、自然界にはまだ「愛」はないとシュタイナーは言っている。自然霊たちの方向性は、人間に依拠しているのだ。でもいつか未来において、人間が自然界に愛をもたらす、と。

これに似た話が、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」の中にあった。ファンタージエンには愛はない、でもいつかずっと先に、人間たちがファンタージエンに愛を持ってきてくれるときがくる、という予言の話だ。

人間のはたらきの意味は、この世の活動の中だけにあるのではない。行為だけでなく心情の在りようも、宇宙的な意味を持っているということをすべての人間が意識するようになれば、文明の姿は一変するだろう。
自然界の同胞たちは、きっとそれを待ちこがれている。
  
posted by Sachiko at 21:36 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2019年04月22日

ルパンの故郷

以前「廃駅」という記事(3月16日付)で紹介した根室本線のうち、釧路−根室間は花咲線と呼ばれる。ここも存続危機路線だ。

先日亡くなった、ルパン三世の作者モンキー・パンチ氏の出身地である浜中町は、この路線にある。近隣の他の町同様、人口数千人の小さな町だ。

かなり前、ルパンではなく他の作品だったような気がするが、このあたりの海辺の景色が出てきて、そこに登場した女子高生が霧多布(きりたっぷ)高校の生徒という設定だった。

その時は、霧多布にそんな高校あったかな?まあ創作だろう、などと思ったのだが、先日のニュースで、高校は実在し、しかも氏の母校だと知った(失礼しました)。

この地域は文字通り霧が多く、夏でも気温が上がらない。平らで何もないが海岸線は美しく、どこか日本離れしても見えるだろう。ジブリの「思い出のマーニー」の舞台も釧路湿原から霧多布岬あたりだ。

「ルパン三世」の、あの日本離れしたキレのいいセンスの持ち主の原風景がここだというのは、不思議でもあり、同時にわかる気もする。

ちなみに私は石川五ェ門が好きで、原作本のほうでお気に入りのエピソードがある。
何かの事件でルパンと次元が「時間はあとどのくらいあるんだ!?」と焦っている時、五ェ門がおもむろに懐から小さな日時計を取り出し、「俺の日時計ではあと15分...」などと言って「今どき日時計なんか流行るかっ!」と一喝されるのだ。あのアナクロニズム(>▽<)♪

珍しく五ェ門が主人公だった「ロシアより愛をこめて」では、ロシアの寒村の人々の言葉が北海道弁だった(>▽<)♪

実は私はごく幼い頃、この花咲線沿線の某所に短いあいだ住んでいた。ほとんど断片的な、かすかな記憶しかないけれど、白っぽくてあまり色彩のない景色のイメージが浮かぶ。

地味な風景の中を色鮮やかなルパントレインが走る様子は、奇妙な夢の中の光景にも見えそうだ。
   
posted by Sachiko at 21:13 | Comment(2) | 北海道
2019年04月21日

イースターサンデー

今日はイースター。
朝、庭と家の周りに、四大エレメント(地水火風)とエーテルのエッセンスを撒き、「妖精の家」と呼んでいる場所にキャンディとチョコレートを置いておいた。

隣のアンズのつぼみが幾つかふくらんでいると思ったら、夕方にはもう6、7輪咲いていた。公園の桜もじき咲きそうな気配だった。
水仙はかなり咲いてきて、チューリップにはつぼみがついた。

茶色かった庭はかなり緑に覆われてきて、ライラックの葉っぱも大きくなっている。
春の空気は明るい。花が咲きはじめ蝶々が飛んでいる空間には、物理的な光とはまた別の、観測できない“輝き”が満ちているのを感じる。
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「人々は、いかに自然がしだいに変化・変容していくかを体験しました。彼らは、意識が自然現象と結びついていることによって、自然の変化をともに生きたのです――人々は感情を込めて祭りに向き合います。その感情に、心魂は満たされました...」

古い時代における人間の季節の体験について、シュタイナーはこのように語っている。

「…季節の体験は、単なる見聞ではありませんでした。それは全身で体験したものが精神に貫かれることだったのです。」
(『自然と人間の生活』より)

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自然霊たちは、遠い過去に人間たちとともに祝った祭りを記憶の中に持っているのだろう。
現代人はもう、過去と同じ方法で祭りを通して宇宙と結びつくことはできない。けれど今、新たなかたちで宇宙と結びつくことを、人間も自然界も必要としている。

現象しているものの背後にある元素霊や妖精たちの働きが、今年のイースターは特にリアルに感じられる。

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ゆで卵♪食用の天然色素使用。

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posted by Sachiko at 22:38 | Comment(2) | 季節・行事