2019年04月30日

人々へのメッセージ

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

この章のタイトルは「共通の友だち」だ。
ウルスラがカルリクを通して知った、エルフやドワーフの仲間など、目に見えない多彩な存在たち。

彼らについて、ウルスラはこう語る。
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「私は元素霊たちについて、自然科学者のようには、あるいは精神科学のようにさえも、伝えることはできません。
私は私の経験が示す限りにおいて、彼らの世界を知っているのです。

私は、彼らについて何も知らない人々、あるいはそうした存在たちが私たちの愛と注目を必要としていることを考えたことすらない人々に代わって、彼らが私たちに与えてくれたすべてに対し、愛情とともに感謝することが私の義務だと考えます。

物語を語ったり像を形造ることによって、私は人間の世界から元素霊たちへの架け橋を築くことができるように最善を尽くします。

何度も何度も、ある人々は善意をもってこの橋を渡り、そして彼らの思考や感情の中で、自然の霊性に近づきます。
私の目に見えない友人たちはそれに気づき、そのことは彼らを喜ばせるのです。」

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これは、その架け橋をまだ知らない多くの人々への呼びかけでもある。

折しも今、自然界は花の季節。花の周りで踊るエルフたちや、たくさんの自然霊の仲間の働きによって、春は毎年美しく巡って来る。
例えば花を見るときに、彼らに意識を向けてみよう。
橋の向こうで、見えない友人たちが待っている。
  
posted by Sachiko at 21:47 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2019年04月29日

桜の不思議

近くの公園の桜が満開になっている。

sakura.jpg

ソメイヨシノは咲いているあいだも絶えずハラハラと散っているが、エゾヤマザクラはなかなか散らない。
そして花と葉っぱが一緒に出るので、枝に桜餅(※)がくっついているような感じなのだ。

(※桜餅は、関東風の小麦粉のものではなく、道明寺粉の桜餅。北海道で桜餅といえばこれ!)

お花見の元々の意味は、桜の精霊のためのお祭りだったのではないかという話は、きっとそうなのだろうと思う。今ではずいぶんかけ離れた姿になってしまっているけれど。

桜のディーバからのメッセージ:
「…この喜びの季節、私たちはすべてを包み込みます。この時期は私たちが広がってゆく時です。……今は春、私たちは地上を美しく飾り、私たちを見る人々に喜びをもたらしています。」
(ドロシー・マクレーン「樹木たちはこう語る」より)

桜のディーバはさらにこう続ける。
「人間の考えや感情は、多くのレベルの生命に強い影響を与えています。あなた方が、今私がいるレベルへやってくることはほとんどありません。これはとても残念なことです。多くの人間が集まっているもっと重くて低いレベルよりも、ここのほうがあなた方のほんとうの故郷であるからです。」

惑星との関係では、桜は月と照応している。
バラ科の植物の多くは金星のもとにあるが、なぜか桜は月だ。同じバラ科の木でも、錬金術によればリンゴは金星の管轄になっている。そのためか、リンゴの花には桜のような妖しさは感じない。

月と桜...いかにも日本的な絵に見える。日本の桜には、古い時代からの人々の情念が深く入り込んでいるからだろうか。

草木染めで、桜の花びらを使って染めても桜色にはならないが、冬の枝を使って染めると花のようなピンク色に染まる。花が現われる前段階の枝の中に、花の色が秘められている。
やはり桜は不思議。秘すれば花....
  
posted by Sachiko at 21:49 | Comment(2) | 自然
2019年04月28日

エルフの仲間たち

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から

エルフは驚くほど多種多様で、それぞれの種の植物には決まったエルフがいる。

さらに、個々の部分において働く、形のエルフ、香りのエルフ、そして、花が咲いてから萎れていくまでを見届ける花びらのエルフ、植物が穏やかな自然の音楽を歌うのを助ける音のエルフもいる。

これらのエルフたちの上には、植物を導くスピリットがいて、スピリットたちの上にはグループリーダーがいる。その中に、薬用植物のリーダーであるカルリクがいる。
さらにこれらの上には、季節の天使たちに至るまでのさまざまな高次存在たちがいる。

同じように、多くの水の妖精たちもいるが、カルリクはそれらとは関わらないことが多い。そのためウルスラは水の精についてはほとんど知らないが、雨、小川、樹液、海や湖の中などに、さまざまな種類の水の精たちを想像することができる。

異なる種類の元素霊たちのあいだには、特定の元素にあてはまらない境界のグループがある。
“水跳ね小人”は、ゴブリンと水の精の両方に属している。また、ノームのようでもあり蝶のようでもある“青の翼人”、そしてヨハネ祭の時期の、翼のあるドワーフもいる。
“苔小人”や “つぼみ小人”が、ノームとエルフのどちらにより多く属しているかは決めがたい。


おとぎ話を総動員したような、多彩な妖精たちの世界。
現象の背後の、現代人が見ることができなくなってしまったところに、こんなにも豊かな世界があるのだ。

フィンドホーンの創設メンバーであるドロシー・マクレーンが伝えている、植物のディーバたちの話とも一致する。やはり、実際に彼らとコンタクトをとり、体験した人々の話は力強いものがある。

それらは、まだ霊的存在たちを見ることのできた時代の人々の体験から汲んできた、古い真正なメルヒェンや伝説の持つ力強さにも通じる。
  
posted by Sachiko at 21:39 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2019年04月27日

ドワーフの仲間たち

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

ノームの領域には、多種多様な存在たちがいる。
種族全体に名前を与えるとりわけ賢いノームには威厳があり、人間がノームに分類している、たえず悪戯を仕掛けるゴブリンなどとは違っている。

ドワーフは、岩石や植物や金属の領域に棲む。彼らは賢明ではあるが、危険なほど利巧すぎて、しばしばゴブリンのような悪ふざけをして遊ぶ。

ドワーフは特に人間と友だちになりたがるので、おとぎ話にも描かれやすくなっている。ドワーフは、彼らのオーラを表わすとんがり帽子によって見分けられる。

ドワーフ族にも、森の小人、山の小人、家の小人など、多くの種類があり、それぞれ違った風景の中に、特定の種類のドワーフがいる。
小さな根の精は、根を司る自然霊であり、本来のノームとは別種である。(植物の種類によって、大きいのも小さいのもいる)

さらに、土の工匠と呼べるような地の小人がいる。ミミズの親しい友として、土を軟らかくしたり硬くしたり、大地で巧みに作業する。ノームの指導者たちは、大地の叡智をもって、土の工匠たちとともに働く。

彼らのような存在が性別に分けられるかという問いについては、もちろん分けられない。
人間が彼らを絵画的に擬人化して表現するなら、より力強い存在は男性的に見え、より穏やかな存在は女性的に見えると言うことができる。


自然霊たちの仲間は、思った以上に種類が多く、夥しい数の群れがいるようだ。
そして、地方によって違う名前を持つ少しずつ違った種類の小人たちがいたり、おとぎ話では必ずとんがり帽子をかぶった姿で描かれていることの裏付けも、ここに知ることができる。

軟らかいミミズが硬い土の中を自在に動き回れるのはノームたちが働いているからだという話や、大勢の自然霊たちを率いるリーダー的な役割をする存在がいるという話は、シュタイナーの妖精論の中にもあった。

この章は楽しい。妖精たち小人たちについて、いわゆるフォークロアとしての研究例は幾つかあるが、ウルスラ・ブルクハルトの場合は、彼女自身の体験として書いているので、彼らはいっそう生き生きとした実在に感じられる。
単に民俗学的な事例として扱ったら、カルリクは怒りだすだろう。
  
posted by Sachiko at 21:20 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2019年04月26日

“あいだ”の話

ある時ふと、“空間”ってなんだろう、と考えていた。
地球上では、空間に見える場所も空気や水蒸気で埋まっているが、宇宙空間には何もない。

では空間とは何?広がり、距離....
物体はあちらとこちらに分かれているが、空間はひとつだ。
もしも自分の意識を空間の側に置いたら?

意識が地球上にある場合は、他の星までは遠い距離があると思う。
でも“空間”が私なら?地球も他の星々も、同時に「ここ」にあるのだ。

空間をなくしていくと、物質はすさまじい高密度に圧縮され、ブラックホールになる。近年(といっても宇宙規模の時間)宇宙の中でブラックホールは増えているという。

天地創造というのは、物質を創ったのか、それとも個々の物質を分かつ「空間」を創ったのか。それらを同時に作り、同時に分けたのか?
天地創造の前半は、ひたすら分けている。
光と闇を分け、海と大地を分け....

言葉は人間より賢いというのは、きっとそうなのだ。
「時間」「空間」「人間」、どれも“間”がついている。

“間”に意識を置けるかどうかで、すべての見え方が違ってくる。

もしも右手と左手のあいだにある胴体が見えなかったとしたら、両方の手は分かれた別物に見えるだろう。対立し、戦うかもしれない。
左右の脳の“あいだ”の回路に損傷が起きると、右手と左手が相反する行動をしてしまう、という症例がある。

地上の二元世界に生きている人間は、この状態にあるように見える。
左右の手のように全体の中で対になっているものを離れた別物としか認識できずに、対立し、片方を排除しようとし、戦う。
光と闇、善と悪、正と邪、自と他....

それらの“あいだ”は、右でも左でもない中道とか、白でも黒でもない灰色といった、同じ平面上の中間地点のことではない。
地上で、昼でも夜でもない黄昏時に立つのではなく、宇宙空間から地球を見る感覚だ。

昼と夜は、そして北半球の冬と南半球の夏も、地球の全体性として同時に存在する。

やはり古い真実が収まりがいい。
色即是空 空即是色.....
  
posted by Sachiko at 21:58 | Comment(2) | 宇宙