2019年03月31日

「秘密のノーム」

「ノーム」の続編の、「秘密のノーム」

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この話は、二人のオランダ人がノームの世界に足を踏み入れ、彼らの生活を知り、それを書き記したもの、ということになっている。「ノーム」出版から5年後、今度はノームたちから招待されたのだ....

「今回も、会えば会うほど、わたしたちは、かれらがどれだけ進んでいるかを思い知らされました。
ノームの生きてきた世界は、わたしたちの世界よりずっと古く、完成された世界です。かれらは、わたしたちが過去にも未来にも聞くことのできない声に、耳をかたむけています。」(本文より)

不思議な方法でノームそっくりに小さくなった二人は、ノームたちと生活を共にしながら彼らの暮らしをより詳しく紹介している。

今回紹介されるノームのテクノロジーもすごい。
水力による圧縮空気を利用した掘削装置やエアーコンプレッサー、エレベーターにロック・ドア....

ノームの子育ては、安心感が基本になっている。
「…大地と一体だという感覚と安心感が、宇宙と地球がひとつにとけあっているという感覚を生み出します。これは人間には、めったに起こらないことです」

「自然との調和ということは、ノームにとっては身体にしみこんでいることなので、人間たちの侵略欲や残酷さについては、見当もつきません」

「ノームは必要なときしか急ぎません……ノームたちは長生きなので、時間がたっぷりあるのです……それに、長生きなのは急がないからなのです」


このシリーズの翻訳者のひとりが遠藤周作だ。シュタイナーの哲学に親しみ、晩年は「私はもう無意識の世界のことしか書かない」と言っていた。
「秘密のノーム」のあとがきにはこのように書いている。

「…これからの科学をつきつめた人はやがて科学の向こうにある神秘に頭をたれるだろう。……神話や童話が生きていた頃、人間と自然や大地は交流していた。……だがエセ科学のおかげで、それらは人間が「観察し利用する」ための存在にすぎなくなり、「共に語りあい、共に交流する」ことのできる存在ではなくなったのだ……ノームは、我々がふたたび、かくありたいと思っている存在なのである。」

この物語の中のノームも、ウルスラ・ブルクハルトのリアルな自然霊との交流の記録も、人間をある確かな方向に導いている。
期せずして、小川が合流してひとつの川になる地点を見たような気分になった。
 
posted by Sachiko at 21:35 | Comment(2) | 絵本
2019年03月30日

「ノーム」

これも古典に近くなった「ノーム」、近年になって新装版で再販されている。

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ここに登場するのは元素霊のノームそのものではなく、ファンタジーのノームだが、ちゃんと肉体を持った小さな生き物だ。
自然の中で暮らす、このノームたちのライフスタイルは豊かで智恵に満ちている。

亜麻を育てて糸を作り、布を織る。アザミの冠毛を梳いて編み物をする。
たくさんの種類の薬草が、それぞれ何に効くのかを知っている。自ら作った道具類を使って家を建て、家具を作り、美しい装飾を施す。

植物染料で布を染め、かごを編み、ミツロウからロウソクを作り、天然の粘土で陶器を焼き、石英を溶かしてガラスを作る。

宇宙の振動に基づいた、独特の方法で時間をはかることができ、天気を正確に予想できる。

自然のエネルギーを使った、製粉や製材用のテクノロジーも持っている。

まだまだたくさんの、工夫された暮らしがあり、歌やダンスやゲームなど楽しいことがあり、野生動物とのつきあい方があり、伝統文化がある。

ノームはとても長生きだが(400歳くらい)、寿命が終わる頃になると老夫婦は、人間の目には見えない“死の山”に向かって旅に出る。渡り鳥が目的地まで運んでくれる。ふたりが死ぬと、彼らの誕生記念樹が枯れ始める....


どれも、まったく見知らぬものではない。いつかある時、人間が持っていて、いつしか手放したものばかりだ。

ノームは“しあわせ能力”が高い。それはどうやら遺伝子に組み込まれているようなのだ。
 
posted by Sachiko at 21:41 | Comment(2) | 絵本
2019年03月29日

妖精たち−子ども時代

ウルスラ・ブルクハルト「Karlik−Encounters with Elemental Beings」から。

ウルスラは盲目に生まれついたが、子どもの頃から霊的な存在を知覚でき、ドワーフやエルフたちと遊ぶのが好きだった。

そうした「別の世界」の存在の話に、大人たちは耳を傾けてくれたが、少し大きくなると状況は変わった。
大人たちは、想像と真実を区別するように説得し始めた。大人たちにとって「別の世界」は真実ではなかったのだ。

「聖書には、エルフやドワーフのことは何も書かれていない、聖書にないものを信じるのは罪深いことだ。」

彼女は霊的存在たちをただ信じていたのではなく、実際に出会っていたのだが、それは許されないことで、大人の言うことに従わなければならなかった。

「別の世界」の友人たちはまだそこにいたのに、彼らと関わることに罪悪感を感じてそのことを忘れようとしたり、気を逸らしたりした...

「そうして彼らとはほとんど会わなくなり、私は元素霊たちとの真の友情にたどりつけませんでした」

こうして彼女は内なる体験については沈黙するようになり、再び「別の世界」との関わりが戻ってくるのは何年か後のことだった....


ヨーロッパでは早い時期に、キリスト教によってそれ以前の自然信仰や妖精たちの存在は駆逐されてしまった。

かろうじておとぎ話の中では生き延びることを許されていたので、「子どものおとぎ話」であるかぎりにおいて、大人たちは幼い彼女の話に耳を傾けてくれたのだろう。

でも近年、自然界の霊的存在を知覚するヨーロッパ人は増えているらしく、この本を探している時も、似た傾向の本が他にたくさん出ているのを見つけた。

自然霊に関する本は、日本では人智学系以外ではほとんど見かけないが、新しい時代には、どうしても彼らと再びつながらなければならないだろう。
 
posted by Sachiko at 22:22 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2019年03月28日

「ホレおばさん」異譚・4

娘が井戸を通ってホレおばさんの家に着く前に、野原でパン焼き窯とリンゴの木に出会う。

このパンとリンゴについて、「メルヘンの世界観」(ヨハネス・W・シュナイダー著)では、それらは地上生活を通して内面にたくわえられた、人生の実りだと言われている。
しかもそれは、天上界よりもさらに高次の存在たちの糧として差し出される贈りものであるとされる。

地上で働き者だった娘は、かまどからパンを取り出し、木からリンゴを揺すり落として、高次元の糧を用意することができたのだ。

この働き者というのは別に、毎日何時間残業したかというような話ではないだろう。
シュタイナーは「愛を持って為すなら、すべての行為は倫理的である」と言っていて、逆に、仕事をするとき「仕事だからと割り切ってやる」というやり方が一番いけないのだ、とも言っている。

これは以前フィンドホーンの話で触れた、LOVE IN ACTION−「愛を持って為す」ということにもつながる。

地上に実る作物が人間の糧になるように、人間の魂の実りは、天使や高次存在にとっての糧になるのか....

人間が高次の世界に糧をもたらすことができなくなれば、地上もまた荒廃するだろう。
人間の使命は、この世の物質的な活動だけにあるのではなく、高次の世界にも関わっている。

メルヒェンを読むときに感じる独特の気分は、単に「おもしろいおはなし」を読むのとは違っている。
無意識のうちに、はるかな天上の世界から降りてくる響きを魂が捉えるからだろうと思う。
 
posted by Sachiko at 21:15 | Comment(2) | メルヒェン
2019年03月27日

「ホレおばさん」異譚・3

しばらく間が空いてしまったけれど、ホレおばさんの話の続き....

このメルヒェンは人間の運命を表している。地上での生き方によって、次に地上に戻ってくるとき、黄金に覆われるか、コールタール(不運)を浴びるか、という話だった。

コールタールの運命と黄金の運命。完全にどちらか一方だけという人間はいないだろう。
ほとんどの運命は、さまざまな割合で、黄金とコールタールが入り混じっている。

メルヒェンにおける黄金には二種類あるという。
世界のはじまりから存在していた古い黄金と、地上での生活を通して新たに紡ぎだされた黄金と。ホレおばさんの黄金は、新しい黄金だ。

大きな輪で見るなら、運命は公正なのだ。
外面的に一見不公平に見えようと、宇宙的な秩序の元に運命は作られている。

カルマに良い悪いはなく、運命は命を運ぶと書くので、ほんとうの意味では悪いようにはしない、という話を聞いたことがある。
ではコールタールを黄金に変える方法はあるのだろうか。

ここでまたもうひとつ別のおとぎ話を思い出す。
「美女と野獣」で、美女が野獣をそのままの姿で愛したとき、魔法が解けて、野獣は王子に変わる。

張り付いたコールタールの運命を、これでよかった、と受け入れ愛したときに、変容が起こる気がするのだ。
 
posted by Sachiko at 22:21 | Comment(2) | メルヒェン