2019年01月31日

オホーツクの人々

ムーミン谷の冬のかがり火の話から、オロチョンの火祭りというのを思い出した。

これは冬ではなく夏に行われる網走市主催のイベントで、実際の伝統祭りとは関係なく、かつてオホーツク地域に住んでいた少数民族の文化に思いをはせるイベントだそうだ。

北海道にはアイヌの他にもウィルタやギリヤーク(今はニヴフというらしい)という少数民族がいると、たしか小学校の頃に習った。
アイヌ以外は先住民ではなく、戦後サハリンなどから移住させられたのだが、長くなるのでこのあたりの話は省く。

その人たちはどうなったのだろう。
ウィルタの長のゲンダーヌさんは、昔テレビで見たことがある。
どうやら、最後のひとりも亡くなり、民族はとだえてしまったらしい。固有の言語もあったようだが、それも失われてしまった。

シャーマンを持ち、自然と共に生きる人々は、なぜ世界のどこでもいつの時代にもこのような運命をたどるのか...
強い力を振るい、大きな国土を手に入れ、さらに多くを得ようとする人々によって、どれほどの小さな文化圏が失われたり、失われかけているのか....

消えてしまったオホーツクの人々....
なぜか少数民族に心惹かれる。たぶん、自分がこの世の少数民族のような気がしているからだろう...
 
posted by Sachiko at 21:21 | Comment(2) | 北海道
2019年01月30日

冬のかがり火

「ムーミン谷の冬」より。

トゥティッキは今晩、冬の大かがり火を燃やすという。
「あんたのお日さまは、あしたかえってくるはずよ。」

北欧でかがり火といえば夏至祭りを連想するが、冬にもあるのだろうか。それも太陽が戻ってくる前日に?....と調べてみたが見つからなかった。
トゥティッキは、冬の大かがり火は千年も前からあると言っているが、これはトゥティッキらしい創作なのか。

戻ってくる太陽を迎える大かがり火....。オーロラや極夜など、ムーミン谷はずいぶん高緯度地域にあるらしい。

ムーミン家の庭の壊れたベンチも、大かがり火のたきぎになってしまった。大きい影や小さい影が、火の周りで踊り、姿の見えないトンガリネズミたちが歌っている。

すべてが燃えつきて燠になったとき、モランがやってきて残り火の上に座ると、火が消えてしまった。
トゥティッキは言った。

「あの人は、火をけしにきたんじゃないの。かわいそうに、あたたまりにきたのよ。でも、あたたかいものはなんでも、あの女の人がその上にすわると、きえてしまうの。」

さらにモランはムーミンの石油ランプのところへ行ったが、それもまた消えてしまった。

この場面は、後に「ムーミンパパ海へ行く」の中で、モランがランプの明かりを求めてやってくるところを思い起こさせる。そこでムーミンが示した友情を喜んで、モランはあたたかくなったのだ。

ムーミンが、見慣れない奇妙な生きものたちがうごめく冬というものを受け入れたことが、後にモランを受け入れることにもつながっていく。
太陽の出ない暗い冬をくぐり抜けることで、ムーミンは、美しい夏のムーミン谷だけでは得られなかった深みを知った。

ところで初めて雪が降ってくるのを見たときのムーミンの驚きは楽しい。

「雪って、こういうふうにふってくるのか。ぼくは、下からはえてくるんだと思っていたけどなあ。」

地面に積もっている雪だけを初めて見たら、それがどのようにしてそこにあるのか、わからないかもしれない。
降りしきる雪にうっとりしながらムーミンは思った。

「これが冬か。そんなら、冬だってすきになれるぞ。」
  
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | ムーミン谷
2019年01月29日

ドルイド

時々、このようなことが起こる。
何かの本を読んでいると、あるキーワードが出てくる。しばらくたって全く別ジャンルの本の中に同じワードが出てくる。さらにまた別のジャンルの本の中に....

「ドルイド」という言葉はこのようにやってきた。
植物に関する本、歴史の本、児童文学....5冊目くらいになったときに、いったいこれは何なんだ!と思った。

古代ケルトの神職で、植物と深い関係があるらしいけれど、調べようとしても当時はあまり文献がなかった。
たぶん今でも正確に伝えているものは少ないのではないかと思う。ドルイドの秘儀は口伝によるもので、そもそも書き残された歴史がない。

それでも何か人を惹きつけるものがあり、一頃は日本でもケルトブームというのが起こっていた。
ケルト人はなぜ滅ぼされたのか、という話で、人類史上必要な使命を果たして役目を終えたからだという説もあるが、本当のところはどうなのかわからない。

滅ぼされた、あるいは滅びかけている民族の智恵は、現代人にとっては、わずかに残された目醒めの薬一滴のようにも思える。

興味深い話を聞いたことがある。
現代においてシュタイナーの人智学を受け入れた魂は、いつかある時どこかで、詩や伝説や物語など、何らかのかたちでドルイドの教えに触れたことのある魂だ、というのだ。
こんな話自体も、なんだか伝説めいている。
 
posted by Sachiko at 21:51 | Comment(2) | 神話・伝説・メルヒェン
2019年01月28日

王冠

マリア・グリーペ「鳴りひびく鐘の時代に」より。

ヘルメル王は占星術師たちに囲まれ、星座のお告げを聞き集めた。話は思いがけない方向に発展していた。アンナ王妃にとってはとんでもない話だったが、これで多くのことが解決しそうに思われた。

ヘルメル王から促される前に、アルヴィドは自ら退位の意思を告げた。

ヘルメル王から聞かされた話にヘルゲは驚いた。
…こんなことにまで星が口出しするとは.....この話はヘルメル王と、今は天国にいる母さんだけにしか、かかわりがなさそうなのに....

エリシフの運命は当然アルヴィドに結びついていると思ったのは誤りだったと、ヘルメル王は言った。


儀式の間で、アルヴィドは臣下たちを忠誠から解き、王の象徴である剣や王笏を外した。そして最後に王冠を頭からはずし、ヘルゲの頭にかぶせた。
みんなの喜びの波が高まってヘルゲを取り巻いていた。
アルヴィドはもう注目の的ではなくなっていた。役目は終わった...

王国はうまくやって行けるだろう。
物語は、アルヴィドとエンゲルケの静かなシーンで終わる。ふたりとも、この先どうなるのか何のあてもないけれど.....


重厚で奥深い物語なので、こんなふうに表面を撫でて終わるのはしのびない気もする。
太陽や月や星々が、今とは違った意味を持って人々を照らしていた時代の香り。

アルヴィドを引きつけてやまなかったのは、永遠の生命を持つ、目には見えない高い真実の世界だった。
彼は、太陽をあこがれてやまない月の気持ちが、痛いほどよくわかった。月のあこがれは、アルヴィドの魂が永遠をあこがれるのと同じはげしさを、もっているにちがいなかった。


人間は、太陽型と月型に分かれるらしい。さらに、月型には二種類あって、太陽に憧れる月と、耽美、頽廃の世界に沈んでいく月とに分かれるのだとか。
これは、満ちていく月と、欠けていく月との気分の違いに似ているかもしれない。

明らかに太陽型のヘルゲとエリシフ、月型のアルヴィドとエンゲルケ。どちらにしても、この若者たちは、地上で眠る人間たちを超えたところで輝きを放っていた。
 
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | マリア・グリーペの作品
2019年01月27日

道化王

マリア・グリーペ「鳴りひびく鐘の時代に」より。

夏至祭には一日だけ、誰かがこっけいな道化王の役を演じるのが、昔からのしきたりだった。これまでその役は道化のアトラスが務めてきたが、なんとアルヴィドは、その役をヘルゲに務めさせることにしたのだ。

パレードの山車の上に、けばけばしい道化の衣裳を着て、鈴のついた冠を頭に乗せた道化王が座っていた。
人々は、本当の王には言えない日頃の不平不満を、道化王に向かってはきだし、思いきりからかってよいのだ。

これまで道化王を務めてきたアトラスは、何といっても庶民の側の者で、下品な冗談を浴びせてもよかった。だが今年の道化王は....

道化の衣裳を着ていても、この道化王の態度は気高く誇らかで、少しもこっけいなところがなかった。人々が戸惑う中、ひとりの農夫が、みんなが感じていたことを言ってのけた。

「あそこで冠をかぶっとるやつは、まあ....わしらの王さまより、ずうっと王さまらしいわい。」


ヘルゲにこの役を演じさせたアルヴィドの意図は何だったのか....
少し前、アルヴィドはふたたび変装して城を抜け出していた。ヘルゲと話したときにひらめいた奇妙な直感から、首切り役人ミカエルに会わなければという思いに促されたのだ。

ミカエルは、漁をするための小舟にアルヴィドを誘った。それが王であることはすぐにわかった。ふたりは長いあいだ話し込んだ。
事のしだいが、ようやく明らかになった....


王、道化、死刑執行人....タロットの絵のようだ。
マリア・グリーペは、ホイジンガの「中世の秋」に触発されてこの物語を書いたという。
私が特に心惹かれる時代や場所は多くはなく、中世のドイツと、古代のケルト・スカンジナビア文化圏くらいだ。

中世の街並みと称される場所の、オフシーズンのどんよりと暗い小路などでは、古い時間の層が実際の重さを持って降りかかってくるような感じに襲われたことがある。頭上で鐘が鳴ったりするとなおさらのこと。

現代の量子物理学は、中世の神秘主義的世界観との類似性を認めつつあるらしい。別の側面から眺めれば、宇宙も別の顔で顕れるのだろう。


昔のしきたりでは、道化王は仕事がすむと実際に首をくくられたが、今はまねごとだけだった。
絞首台から落ちて横たわっているヘルゲのそばにエリシフが現われ、額にくちづけをした。
やがて歌や音楽とともに、“死の舞踏”の波が進んでいった....
 
posted by Sachiko at 22:04 | Comment(2) | マリア・グリーペの作品