先日、クリスマスの12日の話を書いたけれど、12月25日から1月6日までは13日ある。
24〜25にかけての夜を除くのか、6日のエピファニーを除くのか、ここはどうしても12にしたいらしいが、イブを入れて13聖夜という呼び名もあるのだ。
13という数字はキリスト教では忌み嫌われている。そのために、キリスト教国ではない日本でも、なんとなく縁起の良くない数字のように思われているだろう。
シュタイナーは、13というのは本来は聖なる数だと言っていた。
この次元の基本数である12(時計、カレンダー、12進法などがある)から一段階上がった高次の世界を表すそうだ。
古代マヤには13の月の暦があったというし、ケルトの樹木暦も13の月がある。
この13番目が、どうもキリスト教にとって邪魔だったらしい。
13という数を忌み嫌い怖れるようにというのは、教会という権力が人間を高次元に上がらせないための策略だったのか...?
こんなメルヒェンがある。
昔あるところに王さまとお妃さまがいた。
ふたりには12人の男の子がいたが、王さまは、13番目に生まれてくるのが女の子なら、12人の王子たちを死なせて王国を女の子ひとりのものにすると言った。
お妃はひそかに王子たちを森へ逃がす。
やがて自分に兄たちがいたことを知った王女は、兄たちを探して旅に出る。
だが兄たちは、自分たちは女の子のせいでこんな目にあったのだから、どこの子であろうと女の子を見つけたら殺すことにしていた...
最後は王女が兄たちを救い出すのだが、このパターンの話には類話がいくつかある。
待ち望まれた13番目は、女性なのだ。古い世界を救済する役割なのか...
メルヒェンを解釈的に見るのはあまり好きではないけれど。
シュタイナーは「キリストとはバランスのことだ」と言っているのに、伝統的なキリスト教があまりに男性原理に傾いてバランスを欠いているのは腑に落ちない。
タブーとされた13番目は女性で、古い世界から迫害されながらも、最後にはそれを救うという物語は、これからの時代に起こることの予見のような気がしている。
2018年12月29日
13という数
posted by Sachiko at 20:56
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