2018年12月31日

ジルベスター

“ジルベスター”は、ドイツの大晦日。
ジルベスターコンサートでおなじみですが、日本とはかなり違って、この日は花火を打ち上げたりして大騒ぎするらしいです。
私は静かな日本の大晦日のほうがいいな、と思います。

2018年春にひっそりと始めた小さなブログを訪問してくださった皆さま、ありがとうございました。

ほぼ日刊(地震による停電で2日休んだので“ほぼ”になった)で書いてきましたが、2019年もほぼ日刊になるかどうかは不明です(かなりネタ切れ中)。

お正月は5日までお休みし、6日から再開します。
皆さまよいお年をお迎えください(^o^)/
 
posted by Sachiko at 10:22 | Comment(2) | 季節・行事
2018年12月30日

「トムテ」

冬の絵本の中でも、これは特別だ。
19世紀のスウェーデンの詩人リードベリの詩と、20世紀の画家ウィーベリによる「トムテ」

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しんしんと冷えこむ冬の農場で、すべてが眠りにつく中、小人のトムテだけが目をさましている。

トムテは長い年月、こうして農場の夜番をしている。
トムテには、ながいこと頭をなやませ考えていることがあった。

「わしにはよくわからん、むずかしすぎる」

トムテは仕事にとりかかる。
牛や馬、羊やニワトリの小屋を見まわり、母屋へ入って主人夫婦を見まわる。

最後に子どもたちを見るのが、トムテのいちばんの楽しみだ。トムテはずっと昔から、こうして子どもたちを見守ってきた。

だが人は、どこから来て、どこへ行くのだろう。

「わしには、やっぱりよくわからん」

トムテは長年、納屋の屋根裏で暮らしている。春にはツバメが帰ってきて、遠い国の話をしてくれる。

外ではすべてが凍りついている。トムテは呟く。

「どこへながれていくのだろう、みなもとは、どこだろう」

真冬の夜空に星がまたたき、月は積もった雪を照らしている。
眠らないのは、トムテただひとり。

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赤い帽子をかぶった、家や農場付きの小人は、スウェーデンではトムテ、ノルウェーやデンマークではニッセ、フィンランドではトントゥと呼ばれる。

クリスマスイブには、小人のためのおかゆを出しておくという。
ちなみに我が家でも、イブには家の妖精のために、バターをのせた麦のおかゆを玄関に置いておく。

絵本の中の、星空や月明かりに照らされた冬の農場の景色が美しい。
しんしんと凍てついて澄みわたる空気が感じられるだけでなく、トムテの目線の先にある「永遠」に心を向かわせる。
 
posted by Sachiko at 21:58 | Comment(2) | 絵本
2018年12月29日

13という数

先日、クリスマスの12日の話を書いたけれど、12月25日から1月6日までは13日ある。
24〜25にかけての夜を除くのか、6日のエピファニーを除くのか、ここはどうしても12にしたいらしいが、イブを入れて13聖夜という呼び名もあるのだ。

13という数字はキリスト教では忌み嫌われている。そのために、キリスト教国ではない日本でも、なんとなく縁起の良くない数字のように思われているだろう。

シュタイナーは、13というのは本来は聖なる数だと言っていた。
この次元の基本数である12(時計、カレンダー、12進法などがある)から一段階上がった高次の世界を表すそうだ。

古代マヤには13の月の暦があったというし、ケルトの樹木暦も13の月がある。
この13番目が、どうもキリスト教にとって邪魔だったらしい。
13という数を忌み嫌い怖れるようにというのは、教会という権力が人間を高次元に上がらせないための策略だったのか...?


こんなメルヒェンがある。

昔あるところに王さまとお妃さまがいた。
ふたりには12人の男の子がいたが、王さまは、13番目に生まれてくるのが女の子なら、12人の王子たちを死なせて王国を女の子ひとりのものにすると言った。
お妃はひそかに王子たちを森へ逃がす。
やがて自分に兄たちがいたことを知った王女は、兄たちを探して旅に出る。
だが兄たちは、自分たちは女の子のせいでこんな目にあったのだから、どこの子であろうと女の子を見つけたら殺すことにしていた...

最後は王女が兄たちを救い出すのだが、このパターンの話には類話がいくつかある。

待ち望まれた13番目は、女性なのだ。古い世界を救済する役割なのか...
メルヒェンを解釈的に見るのはあまり好きではないけれど。

シュタイナーは「キリストとはバランスのことだ」と言っているのに、伝統的なキリスト教があまりに男性原理に傾いてバランスを欠いているのは腑に落ちない。

タブーとされた13番目は女性で、古い世界から迫害されながらも、最後にはそれを救うという物語は、これからの時代に起こることの予見のような気がしている。
 
posted by Sachiko at 20:56 | Comment(2) | 神話・伝説・メルヒェン
2018年12月28日

「白い森のなかで」

アメリカの詩人ロバート・フロストの詩が絵本になった「白い森のなかで」

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元は、“Stopping by Woods on a Snowly Evening”(雪の晩、森の傍に佇んで)という、フロストの詩の中で最もよく知られているといわれる詩だ。

短い詩なので、見開きページに1〜3行ほどの言葉が、優しく柔らかい日本語訳で書かれている。

あとは、すばらしい絵だ。人物の服などにほんの少し色が使われているだけで、ほかはモノクロの雪景色が続く。
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 ほかにはやさしい風の音
 吹きすぎる風の音ばかり
 
枝々が雪に覆われた深い森、白樺とフクロウ、ウサギやテンやリス、雪の中からのぞいている立ち枯れた草、そして、あたり一面どこまでも、ひたすら降りしきる雪.....
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 森はしずかにくれてゆく
 くらく やさしく かげふかく


Whose woods these are I think I know.
His house is in the village though;
He will not see me stopping here
To watch his woods fill up with snow.

My little horse must think it queer
To stop without a farmhouse near
Between the woods and frozen lake
The darkest evening of the year.

He gives his harness bells a shake
To ask if there is some mistake.
The only other sound’s the sweep
Of easy wind and downy flake.

The woods are lovely, dark and deep,
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.

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 約束をまもるそのために
 もういかなければなりません
 眠りにはいるそのまえに

 もういかなければなりません
 眠りにはいるそのまえに


絵本のことばは優しいけれど、眠る前に、まだ数マイルの道のり....

フロストの時代、ニューイングランドの冬はとても厳しかったことだろう。自然も、暮らしの状況も。

それでも詩人の魂は、美しい雪の森を見る。
降りしきる雪のなかの、暗く、深く、静かな森。
 
posted by Sachiko at 22:48 | Comment(2) | 絵本
2018年12月27日

冬の守り人

「ムーミン谷の冬」より。

冬眠から目覚めてしまったムーミンにとって、冬に出あうものは見慣れないものばかりだ。

(たったひとりでも、ぼくがむかしから知っているものがいるといいんだがなあ…だれか、ふつうの生きもので、やっぱり目がさめて、さびしく思っているものがさ。)

ムーミンは、そんな見慣れないものたちのことを気にかけている。

「だって、あの人たちのことは、ぼく、なにも知らないんだものね....」

「…それはこういうわけなのよ」

と、トゥティッキは話し出した。この世界には、夏や秋や春には暮らす場所をもたないものがいるのだ....

「…みんな、とっても内気で、すこしかわりものなの。ある種の夜のけものとか、ほかのひとたちとはうまくつきあっていけない人とか、だれもそんなものがいるなんて、思いもしない生きものとかね....」

その人たちは一年中隠れていて、ひっそりした冬になると、やっと出てくるのだという。

ムーミンは、夏のムーミン谷のことを、「ほんとうの世界」と呼ぶ。でもトゥティッキは言う。

「だけど、どっちがほんとうの世界だか、どうやってわかるの。」

ムーミン谷は魂の中の世界のようだ。
だとすれば、冬の生きものたちは、ふだんは深いところに隠れていて意識の上に上ってこない、その魂の持ち主さえ、それが自分のものだと思えないような魂のはたらきにも見える。

トゥティッキはそうした生きものたちを知っていて、そっと見守り、姿が見えなくなったトンガリネズミたちといっしょに暮らしたりもする。

トゥティッキは、どこかスナフキンに似ている気がして、スナフキンの女性版のようにも見えるのだが、一方でまったく対照的でもある。
スナフキンは人の世話などまっぴらで、誰にも邪魔されずに自由でいたいと思うだろう。

スナフキンが南へ旅立ったあとの冬、トゥティッキは水浴び小屋に住んでいる。春には、スナフキンが帰ってくる前に、手回しオルガンを弾きながら谷間のむこうへ去ってしまった。
2人が顔を合わせることはない。もし会ったらどうなるのか、気が合うのか合わないのか、あまり想像がつかない。
 
posted by Sachiko at 20:04 | Comment(2) | ムーミン谷