昨日からの泉つながりで....
オーバーバイエルンのどのあたりだったか、Kaltenbrunn(カルテンブルン)という小さな駅を通過したことがある。
Kaltenbrunn・冷たい泉、素敵な名前だ、と思った。
特に観光地でもなんでもない町(村?)なのだろうが、小さな白い駅舎の窓や柱には、たくさんの赤いゼラニウムが飾られていた。
オーバーバイエルンの田園風景は、絵本のページを見るように美しかった。
エクスプレスが通過する駅は他にもあったはずなのに、美しい名前のせいで、あの小さな駅だけを憶えている。
ドイツ語圏にはbrunn(泉)のつく地名はたくさんあるけれど、そこで時を過ごしたわけでもない小さな駅...何が印象に残るかわからないものだ。
泉は、生命に不可欠な水の源であり、生きた水の魔力は古くから知られていた。自然魔術によれば、泉や井戸にはそれぞれの守護精霊や女神がいたという。
イギリスには、井戸を花で飾るWell Dressing(井戸祭り)の伝統がある。これは元はケルトの祭りらしい。
古いメルヒェンにも、泉の出てくる話は多い。人間にとっての元型のひとつなのだと思う。
ほんものの泉にはめったにお目にかかれなくなってしまったが、澄んだ水の湧き出る泉をイメージすると、生命も魂も喜ぶ気がする。
2018年11月30日
泉の話
posted by Sachiko at 21:16
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| ドイツ・オーストリア
2018年11月29日
「古い泉」
ハンス・カロッサの「古い泉」
私の一番好きなドイツ詩だ。
特に最後の3行、これを最初に読んだのは十代の頃だった。
誰の訳だったかも忘れてしまったし、記憶も確かではないけれど、こんな感じの訳だった。
おお、喜べ、おまえはここに独りいるのではない
あまた旅人が、遥かに星空のもとを旅している
そうしてまだ、おまえに向かう者もいる
O freue dich, du bleibst nicht einsam hier.
Viel Wandrer gehen fern im Sternenschimmer,
Und mancher noch ist auf dem Weg zu dir.
まだ人生が始まったばかりなのに、私に向かう者などどこにいるのか?と斜めになっていた頃。それでも星あかりに照らされて旅する多くの旅人のイメージは美しく、私に向かう旅人への、かすかな望みが重なった。
当時、この3行だけが何かの本に載っていたのだと思う。全体を読んだのはもっと後だった。
夜に響く、古い泉の水音....この音も情景も、なぜか知っている町のようにリアルに感じられた。
ところで高校生の頃、同じ学年の中で詩の同人誌が3誌も出回っていた。かなりの詩人がいたようだけど、たまたまあの年だけだったんだろうか...
以下、片山敏彦訳で、詩の全体。
-------------------------------------
古い泉
君の明りを消して眠れ!古い泉の
いつも眼覚めている水音だけが鳴りつづける。
しかしこの屋根の下に客となった者は誰でも
この音には直ぐ馴れるのを常とする。
君が早や夢のさなかにいるときでも
おちつかぬけはいが家をめぐり流れて
堅い靴が踏むために泉のそばの砂利がきしむこともある。
噴泉の明るい音が急に途絶えて
そのため君が眼覚めても驚かなくていい。
星々は充ち溢れるように風光の上に光っていて、
そしてただ、旅びとが一人大理石の水盤に歩み寄り
泉からたなごころのくぼみに水を椈んだだけの事なのだ。
その旅びとは直ぐに去る。泉は鳴る、いつものとおり。
喜びたまえ―君はここにいても孤独ではない。
たくさんの旅びとが星々の仄かな光の中を遥かに歩きつづけているし
そしてあまたの旅びとは、これから君の許へ来る道程にいる。
Der alte Brunnen
Lösch aus dein Licht und schlaf! Das immer wache
Gesplätscher nur vom alten Brunnen tönt.
Wer aber Gast war unter meinem Dache,
Hat sich stets bald an diesen Ton gewöhnt.
Zwar kann es einmal sein, wenn du schon mitten
Im Traume bist, daß Unruh geht ums Haus,
Der Kies beim Brunnen knirscht von harten Tritten,
Das helle Plätschern setzt auf einmal aus,
Und du erwachst, − dann mußt du nicht erschrecken!
Die Sterne stehn vollzählig überm Land,
Und nur ein Wandrer trat ans Marmorbecken,
Der schöpft vom Brunnen mit der hohlen Hand.
Er geht gleich weiter. Und es rauscht wie immer.
O freue dich, du bleibst nicht einsam hier.
Viel Wandrer gehen fern im Sternenschimmer,
Und mancher noch ist auf dem Weg zu dir.
私の一番好きなドイツ詩だ。
特に最後の3行、これを最初に読んだのは十代の頃だった。
誰の訳だったかも忘れてしまったし、記憶も確かではないけれど、こんな感じの訳だった。
おお、喜べ、おまえはここに独りいるのではない
あまた旅人が、遥かに星空のもとを旅している
そうしてまだ、おまえに向かう者もいる
O freue dich, du bleibst nicht einsam hier.
Viel Wandrer gehen fern im Sternenschimmer,
Und mancher noch ist auf dem Weg zu dir.
まだ人生が始まったばかりなのに、私に向かう者などどこにいるのか?と斜めになっていた頃。それでも星あかりに照らされて旅する多くの旅人のイメージは美しく、私に向かう旅人への、かすかな望みが重なった。
当時、この3行だけが何かの本に載っていたのだと思う。全体を読んだのはもっと後だった。
夜に響く、古い泉の水音....この音も情景も、なぜか知っている町のようにリアルに感じられた。
ところで高校生の頃、同じ学年の中で詩の同人誌が3誌も出回っていた。かなりの詩人がいたようだけど、たまたまあの年だけだったんだろうか...
以下、片山敏彦訳で、詩の全体。
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古い泉
君の明りを消して眠れ!古い泉の
いつも眼覚めている水音だけが鳴りつづける。
しかしこの屋根の下に客となった者は誰でも
この音には直ぐ馴れるのを常とする。
君が早や夢のさなかにいるときでも
おちつかぬけはいが家をめぐり流れて
堅い靴が踏むために泉のそばの砂利がきしむこともある。
噴泉の明るい音が急に途絶えて
そのため君が眼覚めても驚かなくていい。
星々は充ち溢れるように風光の上に光っていて、
そしてただ、旅びとが一人大理石の水盤に歩み寄り
泉からたなごころのくぼみに水を椈んだだけの事なのだ。
その旅びとは直ぐに去る。泉は鳴る、いつものとおり。
喜びたまえ―君はここにいても孤独ではない。
たくさんの旅びとが星々の仄かな光の中を遥かに歩きつづけているし
そしてあまたの旅びとは、これから君の許へ来る道程にいる。
Der alte Brunnen
Lösch aus dein Licht und schlaf! Das immer wache
Gesplätscher nur vom alten Brunnen tönt.
Wer aber Gast war unter meinem Dache,
Hat sich stets bald an diesen Ton gewöhnt.
Zwar kann es einmal sein, wenn du schon mitten
Im Traume bist, daß Unruh geht ums Haus,
Der Kies beim Brunnen knirscht von harten Tritten,
Das helle Plätschern setzt auf einmal aus,
Und du erwachst, − dann mußt du nicht erschrecken!
Die Sterne stehn vollzählig überm Land,
Und nur ein Wandrer trat ans Marmorbecken,
Der schöpft vom Brunnen mit der hohlen Hand.
Er geht gleich weiter. Und es rauscht wie immer.
O freue dich, du bleibst nicht einsam hier.
Viel Wandrer gehen fern im Sternenschimmer,
Und mancher noch ist auf dem Weg zu dir.
posted by Sachiko at 22:05
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| ドイツ・オーストリア
2018年11月28日
あるタンポポの話
タンポポが季節外れに咲くことはよくある。
暖冬の年には、雪のないスキー場でタンポポが咲いている話がニュースになることも珍しくない。

時期外れのタンポポの話ではないけれど、ある時、バス停でバスを待っていた。
雨除けシェルターの脚のそばに、小さなタンポポが咲いていた。
それを見た瞬間、飛び込んできたものがあった。
“このタンポポ以外の全宇宙が、今ここにこのタンポポを存在させている”
これをどう説明していいのかわからない。
ずっと後になって、エーテル体験というものの話を聞いた。
エーテル体験は、一瞬なのだという。
一瞬飛び込んでくる直感とかひらめきとかいうものも、それがやってくる源はこの物質界ではないのだろう。
その一瞬を言葉で説明しようとすると、妙に小難しいものになってしまいそうだ。
タンポポを存在させている宇宙には、私も含まれている。私を存在させている宇宙には、このタンポポが含まれている。
そうすると、私とタンポポの違いはとても僅かなものだ。
ある存在は、他のすべての存在と、互いに属しあい、創造しあっているのだ。
…などと言葉で説明すると、やはり何かがずれてしまう気がする。それよりも、葉っぱの先から雫が一滴落ちるときの感じ、というほうがまだ近いような....
エーテル体験の話を聞いたとき、あのタンポポのことを思い出したのだった。
暖冬の年には、雪のないスキー場でタンポポが咲いている話がニュースになることも珍しくない。

時期外れのタンポポの話ではないけれど、ある時、バス停でバスを待っていた。
雨除けシェルターの脚のそばに、小さなタンポポが咲いていた。
それを見た瞬間、飛び込んできたものがあった。
“このタンポポ以外の全宇宙が、今ここにこのタンポポを存在させている”
これをどう説明していいのかわからない。
ずっと後になって、エーテル体験というものの話を聞いた。
エーテル体験は、一瞬なのだという。
一瞬飛び込んでくる直感とかひらめきとかいうものも、それがやってくる源はこの物質界ではないのだろう。
その一瞬を言葉で説明しようとすると、妙に小難しいものになってしまいそうだ。
タンポポを存在させている宇宙には、私も含まれている。私を存在させている宇宙には、このタンポポが含まれている。
そうすると、私とタンポポの違いはとても僅かなものだ。
ある存在は、他のすべての存在と、互いに属しあい、創造しあっているのだ。
…などと言葉で説明すると、やはり何かがずれてしまう気がする。それよりも、葉っぱの先から雫が一滴落ちるときの感じ、というほうがまだ近いような....
エーテル体験の話を聞いたとき、あのタンポポのことを思い出したのだった。
posted by Sachiko at 22:30
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| 宇宙
2018年11月27日
妖精の花・プリムローズ
なぜこの季節にプリムローズかって....
咲いているからだ(~_~)

先日の雪はすっかり溶けてしまい、季節はずれのプリムローズが咲いている。
プリムローズ・・・直訳すれば「最初のバラ」。バラには似ていない...日本名のサクラソウのほうが、形には合っていると思う。
これは本来、早春に咲く花だ。今年は本格的な冬があまりに遅いので春と間違えたか?
プリムラ属はその可憐な姿に似合わずとても強靭だ。
春先に売られている色鮮やかなプリムラ・ジュリアンなどは、いかにも室内用鉢花のイメージがあるけれど、地植えにすると手入れも要らず、何年でも冬を越す。
プリムローズはカウスリップと同じ仲間で、どちらも妖精国の扉を開く鍵の花とされている。
プリムローズは、正しい本数の束で開けると埋まっている宝を見つけることができるが、本数を間違えると破滅の門を開けてしまうのだとか。(正しい数が何本なのかは不明...うっかり開けないことにしよう)
丸く放射状に花が付く姿が、鍵束に似ているからということで、プリムラの仲間はドイツ語では文字通りSchlüsselblume (鍵の花)というそうだ。
咲いているからだ(~_~)

先日の雪はすっかり溶けてしまい、季節はずれのプリムローズが咲いている。
プリムローズ・・・直訳すれば「最初のバラ」。バラには似ていない...日本名のサクラソウのほうが、形には合っていると思う。
これは本来、早春に咲く花だ。今年は本格的な冬があまりに遅いので春と間違えたか?
プリムラ属はその可憐な姿に似合わずとても強靭だ。
春先に売られている色鮮やかなプリムラ・ジュリアンなどは、いかにも室内用鉢花のイメージがあるけれど、地植えにすると手入れも要らず、何年でも冬を越す。
プリムローズはカウスリップと同じ仲間で、どちらも妖精国の扉を開く鍵の花とされている。
プリムローズは、正しい本数の束で開けると埋まっている宝を見つけることができるが、本数を間違えると破滅の門を開けてしまうのだとか。(正しい数が何本なのかは不明...うっかり開けないことにしよう)
丸く放射状に花が付く姿が、鍵束に似ているからということで、プリムラの仲間はドイツ語では文字通りSchlüsselblume (鍵の花)というそうだ。
posted by Sachiko at 21:55
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| 妖精
2018年11月26日
愛と力
鈴木大拙「禅」から...
愛は物を人に変える〈ちから〉であり、
力は人を物に変える〈ちから〉である。
「禅」が出版されたのは1965年で、その最後に「愛と力」という章がある。
現代文明、現代社会がどれほど荒廃してしまったかということが嘆かれていて、精神的価値、何よりも“愛”が切望されている、と書かれている。
この本から半世紀以上が過ぎて、ますます「力」が暴走している様相に見える。
アボリジニの古い伝承にこんな話があるらしい。
「宇宙の初めにはすべてが人間だった。その後いろいろなことが起きて、植物や動物が人間から分かれていった....」
この話は、シュタイナーの宇宙論によく似ている。
宇宙進化の過程で、植物や動物は、人間を先へ進化させるために、あえて自分たちは進化を断念し低い次元に留まった...というのだ。
だから人間は、植物界や動物界の存在たちに対し、「あなたがたのおかげで私たちは今のように在ることができる」と、深く頭を垂れるべきである、と。
メルヒェンには、悪い魔法によって人間が石に変えられてしまう話がよくある。現代人はまさに石に変えられているので、他の存在たちを物質としてしか認識できずにいる。
メルヒェンのように、“愛”によって魔法を解くことができたら、石(物質)になっていたあらゆる存在が「人」に戻ることができるだろうか。
人間を進化させるための植物や動物の宇宙的な犠牲が無駄にならないように.....
愛は物を人に変える〈ちから〉であり、
力は人を物に変える〈ちから〉である。
「禅」が出版されたのは1965年で、その最後に「愛と力」という章がある。
現代文明、現代社会がどれほど荒廃してしまったかということが嘆かれていて、精神的価値、何よりも“愛”が切望されている、と書かれている。
この本から半世紀以上が過ぎて、ますます「力」が暴走している様相に見える。
アボリジニの古い伝承にこんな話があるらしい。
「宇宙の初めにはすべてが人間だった。その後いろいろなことが起きて、植物や動物が人間から分かれていった....」
この話は、シュタイナーの宇宙論によく似ている。
宇宙進化の過程で、植物や動物は、人間を先へ進化させるために、あえて自分たちは進化を断念し低い次元に留まった...というのだ。
だから人間は、植物界や動物界の存在たちに対し、「あなたがたのおかげで私たちは今のように在ることができる」と、深く頭を垂れるべきである、と。
メルヒェンには、悪い魔法によって人間が石に変えられてしまう話がよくある。現代人はまさに石に変えられているので、他の存在たちを物質としてしか認識できずにいる。
メルヒェンのように、“愛”によって魔法を解くことができたら、石(物質)になっていたあらゆる存在が「人」に戻ることができるだろうか。
人間を進化させるための植物や動物の宇宙的な犠牲が無駄にならないように.....
posted by Sachiko at 22:01
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| 言の葉