2018年09月13日

自然の時計

自然魔術の本(あ、あやしい...?)の、ふと開いたページのこの言葉が目にとまった。

「自然の時計」
なんてすてきな響きだろう。

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その昔、人間はもっと自然に近いところで生活していた。太陽と月の動きにしたがって働き、四季折々の自然なリズムを守り、成長と休息を交互にくりかえした。現代の私たちは、電気による照明を頼りに働き、移ろいゆく季節の恵みではなく店で買ってくる野菜や果物を食べているうちに「自然の時計」を失ってしまった。(本文より)
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このように、自然魔術は、ほんとうはあやしくはない。
人々が今よりもずっと自然に近く暮らしていた時代に、普通の人々のあいだで用いられ、伝えられていた知恵だった(私が親しみを感じるのはどうしてもこういう時代だ)。

技術も、かつては自然のはたらきに負っていた。水車、風車、帆船....水を読み、風を読む...それらもまた「術」だったのだ。

現代の都会暮らしでも、小さな季節の恵みを感じることはできるだろう。
鉢に植えたハーブの一枝、その季節でなければ実らないベリー類、土から抜いてきた大根やビーツ...

それらは、新芽、新梢、開花、結実等、そこに起きる変化を時間をかけて観察することができる。「自然の時計」がゆっくりと巡っていく。

気をつけて見れば、自然の時計は日々いたるところに見いだせるはずだ。月のフェイズ、星座の位置、雲のかたち、植物が繁っては枯れていくサイクル、庭を訪ねてくる昆虫の種類の変化、昼と夜の長さの変化....
これらはみな、人間の本質ととても親しいものだった。

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私たちは周囲の世界の情報に踊らされ、その不自然な様式をとりいれるうちに、魂や心や内面の感情に鈍感になってしまった。こうして感受性を失ったがために、他人の気持ちや望みがまったくわからなくなり、孤独で絶望に打ちひしがれる人々が増えてしまった。(本文より)
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この先も、人間が人間としてこの地球上で生きて行きたいのなら、現代にふさわしいかたちで、失われた糸を手繰り寄せ、自然との親しい関わりを再び見出さなくてはならないだろう。…もうあまり時間がない気がする。

自然魔術はあやしくない。
手に負えないほどあやしげなものを作り出してしまったのは、現代人のほうなのだ。
  
posted by Sachiko at 22:06 | Comment(2) | 自然