自由なコミュニティであるフィンドホーンについて語られたことの中で、いちばん印象に残っている言葉がこれだった。基本的に自由で特にルールもないこの場所に、たったひとつだけルールがあるとしたら、それは、
「正しさを作らないこと」
何かを“正しい”と言ってしまったとたん、“正しくないもの”をも同時に作りだしてしまう。だから、正しさを作らない。
たしかに、この次元はそのようにできている。
何かを作れば、その真逆のものも同時に存在するようになる。何かを「ポジティブ」というためには「ネガティブ」が存在しなくてはならず、一方だけでは成り立たない。それらは表裏一体なのだ。
日常の中では、たとえば歌の音程をはずしたりダンスのステップを間違えたら、それは「間違い」ではなく「バリエーション」と呼ぶそうだ^^
正しさを作らないことは、何でもありの混沌という意味ではない。
あるものと、その真逆のものとを同時に見る位置に立ち、ジャッジしないことで、双方は等価の尊厳を得る。
フィンドホーンが知られるようになってから、世界各地で似たようなコミュニティが幾つも作られては消えていったという。本家が創設から半世紀以上たった今も続いているのは、このたったひとつのルールによるところが大きいのかもしれない。
他には、創設者が教祖様扱いにならなかったこともあるし、もうひとつ感じるのは、組織が個人の上に君臨しないことだ。ひとりひとりの意思や気持ちが大切にされ、「全体」の力がそれを押さえつけることがない。
「パラダイス」と呼んだ人もいたけれど、私はそこまで理想化はしていない。
新しい在り方の場を作ろうとすれば、ひとつ間違えるとカルト化する危険と背中合わせの、危ういバランスの上を歩くことになるのだと思う。
たったひとつのルールはシンプルだけれど難しい。
フィンドホーンが世界中に知られるきっかけになった、40キロもの巨大キャベツが採れなくなったあとも、そこへ行けば奇跡が起きると言われた時代はしばらく続いたが、近年はあまりミラクル話は聞かなくなった。時代が移るにつれて、テーマも変わってきているようだ。
それでも私が見た花は普通よりずっと大きく、菜園の野菜は生き生きとしていた。
完全無農薬なのに虫食い跡がほとんどなく、ジャガイモの、ふつうなら枯れてしまうはずの双葉が、つややかな緑のまま20〜30センチほどに大きくなっていたのには驚いた。
自然のスピリットたちは、まだ息づいているらしかった。
2018年07月16日
正しさを作らないこと
posted by Sachiko at 22:49
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