ミヒャエル・エンデの名作「モモ」。
Zeit ist Leben.は、日本語版で「時間とは生活なのです」と訳されている。故・子安美知子女史は、全体に素晴らしい翻訳だけれど、この部分だけは「時間とはいのちなのです」と訳してほしかった、と言われていた。
「人間が時間を節約すればするほど、生活(いのち)はやせ細って、なくなってしまうのです。」
Life,Leben,Vie,Vida.....
多くの言語で、「暮らし」と「いのち」は、同じ言葉だ。
人間に時間を与える、時間の国のマイスター・ホラは言う。
「人間というものは、ひとりひとりがそれぞれの自分の時間を持っている。そしてこの時間は、ほんとうに自分のものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ」
「心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。」
灰色の男たち(時間どろぼう)は、まず大人たちの時間を奪い、さらに子供たちにも手を伸ばす。
時間をむだにせず、役に立つことを覚えるために。そうして子供たちは、あることを忘れていった。それは、楽しいと思うこと、夢中になること、夢見ること.....
まだやれたのは、騒ぐことだけ。それも、腹立ちまぎれのとげとげしい騒ぎ....
灰色の男は言う。
「人間なんてものは、もうとっくに要らない生きものになってる。この世界を人間の住む余地もないようにしてしまったのは、人間自身じゃないか」
『モモ』が書かれたのは1973年(日本語訳は1976年)で、もう45年も前のことだ。
日本では一頃、女性タレントが「モモ」が愛読書だと言ったのがきっかけで少し話題になったことがあったが、それも「忙しさにかまけてばかりでなく、時間を大切にしましょう」という表面的な話に終わってしまい、この物語の真実に迫るには至らなかった。
そのこと自体が、灰色の男たちの陰謀のようだ。そして彼らの力はますます強まっているように見える。
マスメディアが煽る「時短」、そして「暮らし」の軽視。
生活感のない家がおしゃれだといって、いかに生活感を消すかを指南する専門家まで現れた。
いのち感のない、誰もそこで暮らしを営んでいないかのような家が、おしゃれ。誰に見せて、何を得るために?
モモを最後の重大な仕事に送り出すまえに、マイスター・ホラはこう告げる。
「おまえの人生の1時間、1時間が、わたしのおまえへのあいさつだ。わたしたちはいつまでも友だちだものね、そうだろう?」
ひとりひとりの中の内なるモモに贈られた、マイスター・ホラの言葉に希望を持とうと思う。
2018年07月07日
Zeit ist Leben(時間は、いのち)
posted by Sachiko at 22:19
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