実在しない、イメージの中の家だった。そしてある時気がついた。私の描く家には電気が通っていない。
明かりはランプやロウソク。かまどの火で煮炊きをし、暖炉の火で温まる。水は井戸や泉から汲んでくる。
いつの時代のどこなのかわからないけれど、産業革命以前であることは確かだ。
たぶん、私は今回、産業革命後の地球に来たのは初めてなのだ。そして、いまだに慣れないでいる。
道路を走っている車が、実は存在しない幻のように思えたり....
などと言いながら、家電もコンピュータも使っているけれど、ほんとうには自分と親和していないのを感じている。
ミヒャエル・エンデの言葉を借りれば、それら文明の利器は「内的イメージ」にならないのだ。
先日紹介したドロシー・マクレーンの「大地の天使たち」の中にこんな記述がある。
「産業革命の始まりとともに、西欧文明は物質世界にのみ関心を集中して、目に見えない存在はただの想像の産物にすぎない、知性を持つのは人間だけだと主張しはじめました。」
西欧文明とあるけれど、このことは西欧だけでなくほぼ全世界を覆ってしまった。そして、古い民間信仰の中にいた、自然神、自然霊、妖精たち小人たちは、おとぎ話の中に追いやられていった。
それでも....現代人はもう産業革命以前の暮らしには戻れないだろう。私も戻れない。
不便さに戻るという話ではなくて、失った「つながり」を取り戻すということなら?
自然霊たち、目に見えぬものたち、人知を超えた叡智とのつながり。
それらを取り戻すことは、物質的に便利なあれこれを求め続け、所有をめぐって競争し続けることより、ずっと根源的な安らぎに還れると思うのだけど.....
