2018年07月16日

正しさを作らないこと

自由なコミュニティであるフィンドホーンについて語られたことの中で、いちばん印象に残っている言葉がこれだった。基本的に自由で特にルールもないこの場所に、たったひとつだけルールがあるとしたら、それは、

「正しさを作らないこと」

何かを“正しい”と言ってしまったとたん、“正しくないもの”をも同時に作りだしてしまう。だから、正しさを作らない。

たしかに、この次元はそのようにできている。
何かを作れば、その真逆のものも同時に存在するようになる。何かを「ポジティブ」というためには「ネガティブ」が存在しなくてはならず、一方だけでは成り立たない。それらは表裏一体なのだ。

日常の中では、たとえば歌の音程をはずしたりダンスのステップを間違えたら、それは「間違い」ではなく「バリエーション」と呼ぶそうだ^^

正しさを作らないことは、何でもありの混沌という意味ではない。
あるものと、その真逆のものとを同時に見る位置に立ち、ジャッジしないことで、双方は等価の尊厳を得る。

フィンドホーンが知られるようになってから、世界各地で似たようなコミュニティが幾つも作られては消えていったという。本家が創設から半世紀以上たった今も続いているのは、このたったひとつのルールによるところが大きいのかもしれない。

他には、創設者が教祖様扱いにならなかったこともあるし、もうひとつ感じるのは、組織が個人の上に君臨しないことだ。ひとりひとりの意思や気持ちが大切にされ、「全体」の力がそれを押さえつけることがない。

「パラダイス」と呼んだ人もいたけれど、私はそこまで理想化はしていない。
新しい在り方の場を作ろうとすれば、ひとつ間違えるとカルト化する危険と背中合わせの、危ういバランスの上を歩くことになるのだと思う。
たったひとつのルールはシンプルだけれど難しい。

フィンドホーンが世界中に知られるきっかけになった、40キロもの巨大キャベツが採れなくなったあとも、そこへ行けば奇跡が起きると言われた時代はしばらく続いたが、近年はあまりミラクル話は聞かなくなった。時代が移るにつれて、テーマも変わってきているようだ。

それでも私が見た花は普通よりずっと大きく、菜園の野菜は生き生きとしていた。
完全無農薬なのに虫食い跡がほとんどなく、ジャガイモの、ふつうなら枯れてしまうはずの双葉が、つややかな緑のまま20〜30センチほどに大きくなっていたのには驚いた。
自然のスピリットたちは、まだ息づいているらしかった。
 
posted by Sachiko at 22:49 | Comment(2) | フィンドホーン
2018年07月15日

エルダー

今年のエルダー(ニワトコ)の花は長雨の中で散ってしまったので、写真は去年のものだ(これはまだ咲きかけのつぼみ)。

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地植えだと大木になるそうなので鉢植えにしてある。
エルダーのドイツ名ホルンダーは、グリムのメルヒェンに出てくる「ホレおばさん」の名前から採られたとか(それともホレおばさんの名前がホルンダーからとられたのだったか...?)。
ホレおばさんの原型は、地母神的な豊穣の女神だったらしい。

ホレおばさんは、私が子どもの頃一番好きだったグリム童話で、何度もくりかえし読んだ。
ホレおばさんが羽根ぶとんをふるうと、下界では雪が降る。ヒロインは井戸に飛び込んでホレおばさんのいる世界へ行ったのに、地下ではなく天上になっているようなのが不思議だった。

精霊が棲むので枝を切ると祟るなど、メルヒェン以外にもこの木には伝説が多い。
イエスが磔にされた十字架も、ユダが首を吊ったのも、ニワトコの木だと言われる。

アンデルセンの童話には「ニワトコおばさん」というお話がある。
ニワトコのお茶を飲んでお話を聞いた男の子が、ニワトコおばさんが姿を変えた少女といっしょに美しい旅をする話だ。男の子にお話を聞かせた独り者のおじいさんは、アンデルセン自身を連想させる。
ひとつの木、ひとつの花の背後に、たくさんの言い伝えや物語がある豊かさ!

エルダーフラワーのハーブティーは風邪などに効き、香りのいい花から作るシロップはとてもおいしいという。一度作りたいと思っているけれど、小さな鉢植えではまだシロップを作れるほどたくさんの花が咲かないのだ。
 
posted by Sachiko at 21:48 | Comment(2) | ハーブ
2018年07月14日

「おもいだしてください あの子どもたちを」

「おもいだしてください あの子どもたちを」(ほるぷ出版)

この写真絵本は、私の絵本コレクションの中では異色の1冊で、楽しくもなければ牧歌的でもない。

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写真に写っている子どもたちは、普通に学校で学び、、教会で祈り、友だちと遊び、普通に暮らしていた。けれどあのときから、胸に“Jude”と書かれた星のかたちのアップリケをつけさせられた。

学校は閉じられ、教会は焼かれ、住む家も奪われて、ときには家族から引き離されて遠い土地へ送られ、死に追いやられた。
写真に写っているのは、殺された子どもたち、そして、生きのびた子どもたちだ。

中に1枚、子どもたちではなく、ハーケンクロイツの小旗を振って広場を埋め尽くす群衆の写真がある。

私は、大ぜいの人間がいっせいに同じ格好をして同じ声をあげるのを見るのが苦手だ。たとえよき意図による場合でも。そこに“なにか”が忍び込むのを感じてしまうからだ。

ナチス時代を生きた女性の話を何かで読んだことがある。
戦前のドイツでは厳格な教育が行われ、特に女性は、優しく親切で従順であることを求められ、怒りや憎しみなど“わるい”感情を持つことは許されなかった。
ヒトラーが現れてユダヤ人を迫害し始めたとき、彼女の中から、それまで抑えられていた激しい感情が噴出した。ユダヤ人に対してだけは、憎みたいだけ憎んでもよかった。
「そのようにして、わたしはナチスに加担しました」とその女性は語っていた。

抑圧された影、内なる悪。
またしても、ひとりひとりの人間の内面の問題に帰ってくる。「内なる悪」を、外側に追いやってしまわずにいることは、簡単ではないけれど。

「そう、わたしたちは、あの子どもたちをおもいださなくてはならないのです」(最後のページより」
 
posted by Sachiko at 22:39 | Comment(2) | 絵本
2018年07月13日

西の魔女の言葉

「サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」

いつかある時、こんな風に言ってくれる人が欲しかった。
シロクマもハワイに適応してウミガメのようになるべきだ、根性だ、気合いだ!という人々もまた多かったのだ。それほどまでに、みんなほんとうにウミガメだったのかはわからない。

ずっと思っていた。人間は人間以外の動植物に対しては、けっこう適材適所を心得ている。

サボテンは砂地に植え、水生植物は水辺に植える。
コアラがユーカリしか食べないからといって、偏食はダメ!などと言わない。
(草食動物の牛に肉を食べさせた愚かな事件はあった。経済動物として扱うとこんな事件も起きる。)

「深く生まれついた自分の心が命ずるままに存在し成長し生き死ぬことが許されていないような、哀れな呪われたものは、地上にはたった二つしか存在しない。人間と、人間によって慣らされた家畜だけだ」(ヘルマン・ヘッセ)


「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。」

そんな場所を求めるシロクマは、北極を目指して旅する。道すがら、西の魔女の言葉やそれに類するものに出会うかもしれない。それらを送り込んでくるのはきっと「深く生まれついた自分の心」なのだ.....

posted by Sachiko at 21:33 | Comment(2) | 言の葉
2018年07月12日

フィンドホーンの時間

フィンドホーン滞在中に、2、3人一組でキッチンの手伝いをすることがあった。いっしょに行くことになった仲間が、「少し早めに行ったほうがいいよね」と言うので、私たちは10分前に行ったところが、「10分早い」と言われて帰された。
5分ほど経って、「そろそろいいよね...」と行くと、また「あと5分ある」と。

そして仕事はきっちり定刻に、アチューンメント(みんなで手を繋ぎ、エネルギーを同調させる)して始まった。フィンドホーンではとても時間に正確だ。

一般に日本人は時間に正確だと言われる。が、早く行った私たちは、あの10分のあいだ何をしていたかというと...時間をつぶしていただけだった。
たぶん、早めに行って帰された日本人は、私たちだけではなかっただろう。(余談:ラテン系の人たちの場合は何が起きるのか興味がある)

「早めに行かなくてはいけない」という思いは、どこから出てきたのか.....

ほかにも、毎日の仕事の途中で、朝10時半から30分間のティータイムがあり、ぴったり10時半に、「ティータイム!」とスタッフが知らせに来る。この時も、庭仕事をしていた私たちは、もう少し区切りのいいところまで…などと思って手を休めず、二度呼ばれたりした。
このように、仕事を終える時も同様だった。どうも、ぴったり定刻に始めて定刻に終わるということに抵抗があるのに気がついた。

日本社会では、定刻に始めて定刻に帰る人は(職場の方針がそうでないかぎり)あまりいないだろうし、そうした場合、いい評価は受けないだろう。残業をする一番多い理由が、みんなが帰らないから、だと聞いたことがある。

ともかくこの日本的感覚はフィンドホーンでは通用せず、定刻より早めに行って遅く帰ろうとしても、それでいい人に見えるわけでは全くなかった。

フィンドホーンの時間は、メリハリがあって効率がいい。別に効率主義ではないのに。
思えばなんだか奇妙な話だけれど、当たり前と思っていたことがそうではないことに気づくのは、目が覚めるような感じだった。
 
posted by Sachiko at 21:37 | Comment(2) | フィンドホーン