グリーン・ノウ物語の中でも、私が特にお気に入りなのが第3巻「グリーン・ノウの川」だ。
オールドノウ夫人が旅行で屋敷を留守にした夏、ここを借りたのはビギン博士とミス・シビラという二人の婦人だった。
ビギン博士は、夏休みに難民の子どもたちを屋敷に招待することを思いつき、ハンガリー難民のオスカーと、ビルマで難民になった後イギリスにやってきた中国人の少年ピン、そして博士の姪の娘アイダがここですばらしい夏休みを過ごす。
この本の初版は1959年、ハンガリー動乱のあとだ。父親を殺されたオスカーの言葉が心に響く。
「考えというものは、鉄砲でも撃ち殺せないものだ。お父さんはそう言ったためにロシア人に撃ち殺されてしまった。でもお父さんのその考えは、撃ち殺されていないんだ。だって今、ぼくがその考えを受けついで、考えているんだもの」
これといった大きな物語の展開があるわけではないが、川辺の動植物の多様な姿、川で聞こえるたくさんの音、それらを全身で味わう子どもたちの感性.....
ほんのちいさな、けれど美しい情景と言葉たち。
木の枝から糸を引きながら降りてきたクモが、カヌーの舳先に糸をくっつけて戻っていったとき、ピンが言った。
「ぼくたち、つながれちゃったよ」
夏休みまっさかりになり、モーターボートや騒がしい人々によって、川は神秘的なところではなくなってしまう。
…川はあたりまえの場所―人間の遊び場になってしまった。川をほんとうのすまいにしている生きものたちは、みんな身をひそめてしまった。ほんとうのいのちはなくなって、水泳プールかお祭り場にすぎなくなってしまった…(本文より)
子どもたちは、人々がやってこない夜明け前に出かけることにする。そして、多くの変わった存在に出会い、しだいに物語は不思議な様相になっていく。
川の中の人目につかない島に住む世捨て人、別の島では、飛ぶ馬、太古の魔法、最後の巨人.....(ビギン博士は巨人の研究をしている)
騒がしい夏の客を避けて、ある日子どもたちは支流の奥の静かな池に着いた。鏡のような水には、すべてのものが逆さまに映る。水にもぐってはまた上がり、三人だけのすてきな日。
…池は、心の中のいちばんないしょの考えと同じくらいに、彼らだけのものだった…(本文より)
この日のことはずっと後まで、アイダが見るいちばんすてきな夢になった。
物語を通して煌めく、生き生きとした「不思議」の存在。
いかにも不思議なものごとだけではなく、川の情景や花などの現実のもの、そして子どもたち自身も、大きな「不思議」の一部を織りなしているのだった。
「グリーン・ノウの川」について、語り足りない細部については、またいつか別の日に。
posted by Sachiko at 21:18
|
Comment(2)
|
ルーシー・M・ボストン