2018年05月31日

エニシダの妖精

少し古い写真になってしまったけれど.....
帽子をかぶり、マントを着て、白い長い髭を生やした妖精(?)の姿。
正体は、エニシダ(Broom)の枯れかけた花だ。
そう思って見ると、もう妖精にしか見えなくて、枝いっぱい妖精だらけ♪だった。

ちょうど今頃の季節に、クルーニーの庭に咲いていた。
ホウキをBroomというのは、この枝で作られていたからだそうだ。
昔の魔女の箒もこれだったのだ。

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posted by Sachiko at 22:12 | Comment(2) | フィンドホーン
2018年05月30日

「魔法の学校」

…と言ってもホグワーツではなく、ミヒャエル・エンデの短編で、「望みの国」という、まだ少しは望みがかなう国の学校のお話。

子どものために書かれたやさしい言葉づかいだけれど、これがけっこう手ごわい。

ここの魔法の学校では、魔法薬も魔法の杖も使わない。
入れるのは、とても強い『望む力』を持っている子どもたちだけ。

魔法を使おうとする者は、自分の中の「ほんとうの望み」を知らなければならない。そしてほんとうの望みは、自分自身のほんとうのお話を生きるときだけに見つかる。

『望む力』の規則は、これだ。


1.ほんとうに望むことができるのは、できると思うことだけ。

2.できると思うことは、自分のお話に合うことだけ。

3.自分のお話に合っているのは、ほんとうに望んでいることだけ。


…手ごわい。そして数々の名言...

「ふつうの国」では、自分のお話を生きたことがいちどもない人がほとんどだ」

「それが別の人のお話から出た望みなら、けっして自分のお話を生きることはできないだろう」

「悪い魔法使いの言うとおりになるのは、自分の本当の望みを知らないし、自分自身でもない人たちだけだ」

「『望みの国』では、ううん、たぶん世界中で、ほかの物とつながりが全然ないものは一つもないってことなの」

「作りだしたものは、どんなものでも、作った者まで変えてしまうんだよ」


『望む力』の規則を、ここ「ふつうの国」でも、子どもの頃に教わりたかった。
それとも…

…ふつうの国でも、古い時代の賢い人々は、この規則を知っていた気がする。ふつうの国と、望みの国は、ひとつだったのだ。悪い魔法を解いて自分のお話を思い出し、そろそろ帰らなければ...ね。

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posted by Sachiko at 22:53 | Comment(2) | ファンタジー
2018年05月29日

「よるのきらいなヒルディリド」

名作なのだけれど、今では古典に近く、手に入りにくいらしい。
(図書館にならあるかもしれない)


 丘の上に住むヒルディリドばあさんは、夜が大きらい。
 きらいな夜を追い出そうと奮闘する。

 ほうきで掃いたり、袋に詰めて捨てようとしたり。
 なべで煮る、ひもでくくる、こぶしを振りあげ、踏んだり蹴ったり...

 あの手この手を使っても、夜を追い払うことはできない。
 一晩じゅう格闘して、夜が明けるころ、ヒルディリドは
 疲れきって、ベッドに入って眠ってしまう。
 夜がきたら目をさまして、またケンカするつもり.....


悪と戦うとか、ネガティブを排除とか、暗いのはイヤとか、そこらへんで見かける話に似ているような。

「ひるまをたのしめばいいものを」と、絵本には書かれている。
そうだ、そして同じように、夜も楽しめばいい。

闇を背景に、花火は美しい。蛍の光も、月明かりも、満天の星空も。
ちょうど今と真逆の、暗さを増す、クリスマスを待ち望む季節には、美しいキャンドルの灯りが、あたりの闇を変容させる。
嫌って、戦って、排除しようとしなければ、夜ならではの威厳ある美しい姿を見せてくれる.....


「なぜ闇も光と同じように神聖なものではありえないんでしょうか。
光と闇と両方がなければ色彩が生じえない。
光だけで成り立つ世界というのは、闇だけで成り立つ世界と同じように、何も見えない、知覚できない世界ですよ」
 (by ミヒャエル・エンデ)

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posted by Sachiko at 22:39 | Comment(2) | 絵本
2018年05月28日

聖なる水

憧れのターシャ・テューダーのドキュメンタリー映画「静かな水の物語」を観たのは去年の春だった。

「スティルウォーター教」という、ターシャが家族といっしょにお遊びで作った宗教がタイトルの元になっている。
静かな水のように穏やかな暮らしを大切にすることがその信条だそうだ。

私は、水に映った景色が大好きだ。
たださかさまに映っているだけなのに、美しさに不思議さが加わって、どこか別の世界のように見える。

魂が静かな水のように在るなら、そうした魂が創りだす暮らしも、水鏡の風景のように、不思議さが日常を美しくしていただろう。そんなことを思わせる映画だった。

もうひとつ、水の話。

フィンドホーンの、クルーニーの庭にある小さな池の傍で、みんなで水を浄化する祈りを唱えたことを思い出す。(池のほとりには「聖なる水」と、なぜか日本語で書かれた札が立っていた)

 水よ、私はあなたを愛します
 水よ、私はあなたに感謝します
 水よ、私はあなたを敬います

静かな水、聖なる水....

都市生活では、生きた水を意識することはほとんどなくなってしまった。
けれどいのちは水と不可分であり、あらゆる生きものの中に、私の中に流れる。

水への祈りは、植物にも私にも、きっと有効だ。
あの祈りを思い出してよかった。
   
posted by Sachiko at 22:45 | Comment(2) | 暮らし
2018年05月27日

妖精の花:ブルーベル

ブルーベルも、妖精と縁が深いと言われている花の代表格で、イギリスあたりでは、一面のブルーベルが咲く森があるらしい。

ブルーベルが咲きだすと、季節は初夏に移っている。
北海道では早春の次の季節は初夏だというのはまったくその通りだ。

我が家の小さな庭でも、雪解けのスノードロップから始まって、チオノドクサやプシキニア、そして水仙、チューリップ....その間に桜が咲いて散り、ライラックの木の下でブルーベルが咲く。

ブルーベルは、木洩れ日が揺れる木陰が似合う。
木の根元の暗がりは、妖精がひそんでいそうな雰囲気が充分なのだ。

どこかの言い伝えには、ブルーベルの森に入った子供は戻ってこない、という話があるという。
妖精の国へ連れて行かれてしまうのだろうか。

この小さな青いベルが鳴るとしたら、子どもの笑い声のような澄んだ音をたてる気がする。
   
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posted by Sachiko at 22:19 | Comment(2) | 妖精