2023年03月21日

「森のおくから」

「森のおくから --- むかし、カナダであった ほんとうのはなし」
(レベッカ・ボンド作)

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アントニオ少年は、森の中の小さな町に住んでいた。
近くに子どもがいなかったので、アントニオの友だちは、おかあさんがやっているホテルで働く大人たちだけ。
ホテルの周りは深い森で、森のさらに奥にはたくさんの動物たちが住んでいる。

アントニオが5歳の夏、日照りが続き、森は乾ききっていた。
ある日山火事が起き、たちまちあたりに燃え広がった。

もう、逃げるところはみずうみしかない。
町のすべての人がみずうみに入った。

やがて火が迫ってくると、森から動物たちが逃げてきた。
キツネやウサギ、ヤマネコやアライグマ...
オオカミ、シカ、ヘラジカ...クマまでも。

小さな動物や大きな動物、みんな次々とみずうみに入った。
動物も人間も、みんな触れあうほど近くに立っていた。
どのくらいの時間がたったのか、アントニオにはわからなかった。

やがてとうとう山火事はおさまり、人間も動物もみずうみを離れることができた。
ホテルは奇跡的に燃えていなかった。

アントニオは、あの山火事のことをずっと忘れなかった。
人間と動物をへだてていたものがなくなっていた、あの夏のことを。
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アントニオは作者の祖父の名で、この話は祖父から語り継がれたものだそうだ。

みずうみが、人間と動物のいのちが助かる唯一の場所になった時、それぞれを隔てていたものがなくなった。

いつもなら、狩るものと狩られるものだった存在も、隣りあってそこにいた。

山火事のあいだ、みんながどこか遥かな別の次元に移されたような、肉体の耳には聞こえない和音のもとにひとつになっているような、不思議な厳かさだ。

山火事がおさまったあとは、人も動物も、またいつもの暮らしに戻ったことだろう。

「生きとし生けるものすべて」という言葉がふさわしい、いのちを共有しているものどうしの共振。
それは幼いアントニオ少年に深い刻印を残し、その子孫にまで伝えられたのだ。

ほんとうに体験された物語は、力づよく響き続ける。
 
posted by Sachiko at 21:59 | Comment(0) | 絵本
2023年03月09日

春到来

今年は春が早い。
以前は3月どころか4月に吹雪ということもあったけれど、近年はそういうことはない。
最低気温も氷点下を脱して、もう真冬日にはならないだろう。

道路に雪がなくなり最高気温が5度を超えたら、もう薄めのコートでいい。
一週間ほど前だったか、東京のテレビのお天気お姉さんが、厚手のコートにマフラーもしっかり巻いて寒そうにしていた。
気温は、9.3度.....!

深夜に近い時間帯で10度近くもあるのか...
冬に東京へ行ったときに、気温が10度超えで汗をかいたのを思い出した。
周りの人はみんな涼しい顔で冬の恰好をしていた。


体の温度感覚は、汗腺の数など、2歳半頃までに育った土地の気候で決まるらしい。
私は2歳半まで、夏でもめったに20度を超えないような寒い土地に住んでいたので、暑さには弱い。

単に暑さだけでなく、南方系の食べ物(トロピカルフルーツなど)も体に合わないことに気がついた。

マンゴーやマンゴスチン、ドラゴンフルーツなど、これぞ南!というものだけでなく、かなり昔から定着しているバナナ、パイナップル、キウイなども。

何かの症状が出るわけではないけれど、舌に甘くてもおいしいと感じないので、食べないほうがいいのだろうな、と思う。


道路以外のところに積もっている雪の山も、毎日目に見えて小さくなっている。明日の雨で一気に雪が融けて、もうすぐふきのとうが姿を見せるだろう。
雪の中から初めて新しい緑が現われると、一気に春がスピードアップする。

こうしてはっきりした四季があるのはいいものだ。
今年のイースターは4月9日、あとちょうど一か月♪

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posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | 季節・行事
2023年02月28日

少年は失敗から学ぶのか...?

優れた児童文学に登場する子供たちは、現実にはめったにないほど賢く描かれていることが多い。(もちろんそうではない場合もある)

そして、子どもたちの周辺にいて彼らを見守る大人たちも、めったにお目にかかれないほど賢い人々だ。(もちろんそうではない人々も登場する)

「グリーン・ノウ物語」の中の子供たちと、オールドノウ夫人。
「飛ぶ教室」の少年たちと、ベク先生や禁煙先生。
「夜のパパ」のユリアと、青年ペーテル。
これはまだ紹介していないけれど「ツバメ号とアマゾン号」の4人きょうだいとその両親など。
優れた作品は賢い大人が書いているので当然そうなり、それが作品の質を高くする。

けれど現実世界でも、表面的には見えない子どもの叡智というものは確かにある。
子供がまだ小さいからわからないだろうなどと思って、そばで大人が良からぬ話をしていたり、嘘をついていたり、両親が険悪になったりしているとき、子供はすべてわかっている。

幼いので大人が使う言葉そのものを、辞書的な意味で理解はしていないかもしれない。でも体の感覚、生命の感覚として、空気の中に満ちているものを感じ取る。
動物はある種の霊視力を持つと言われているが、幼い子供にはそれに似たものがまだある気がする。


こんな話を持ち出したのは、ここでリンクを貼っているブログ(ちなみに書いているのは男性)の中に面白い話を見つけたからだ。
転載自由とされているので書いてしまおう。

「・・・男の子は自分の行為の結果として、痛い目に遭わなければ学習しない生き物だからです。
だから、男の子は何でもかんでも(いいことでも悪いことでも)やってみようとするのです。」

「女の子の方は男の子よりも賢いので、やらなくても先が読めてしまうのです。」


別のところで似たような言葉を見たことがある。
例えば何かの犯罪などを犯してしまい、その行為の結果を引き受けるプロセスの中で学ぶという人生を選ぶ人がいる。
一方、実際にやってみなくても、見るだけで十分な人もいる、と。

女性は本来生命感覚に優れていて、女性の身体は宇宙生命に直結している。
女性は特攻隊などというものは思いつかない。
(近年の、男性そっくりになって男性と同じことをするのが平等だと思い込まされた女性たちはどうかわからない。)


男の子は痛い目に遭わなければ学習しない....男の子が大きくなった、大人の男性はどうだろう。
時々、それなりに地位もキャリアもある大人が、しょうもない犯罪(少額の収賄とか覗きとか)で、人生を棒に振ってしまうケースがある。先が読めなかったのだろうか。

かつてC・G・ユングは、「このまま男性原理の社会が続けば、人類は核兵器によって滅びるだろう」と言っていたそうだ。

少年時代に学習しないまま大人になったような人々が、大きな権力を手にして突き進んだ場合、たいてい結果を引き受けるのはその本人ではなく一般市民なのだ。
   
posted by Sachiko at 21:48 | Comment(0) | 未分類
2023年02月24日

銀河鉄道・・・

銀河鉄道と聞くと、次に来る言葉は何だろう。
「〜の夜」か「999」か。

昔、松本零士作品が好きで当時の単行本はほとんど持っていたが、今は一冊もない。
家を出るときに置いてきたら、親が近所の子供たちに配ってしまったのだ...( ̄∇ ̄;

私は初期作品を集めた「四次元世界」が好きだった。
以前「昆虫や星のこと」という記事で書いた内容は、たしかこの「四次元世界」のあとがきだったと思う。

「昆虫や星に惹かれる人は、人生の早い時期に、なにかとても悲しいものを見てしまった人だ....」

そのように、宇宙や昆虫の世界、貧しくも純粋な若者の切ない物語などが、何とも言えない透明感と、まだ可愛らしさの残る初期の絵柄で描かれていた。
今調べたらこれもプレミア価格になっている。やっぱり本はうっかり手放すものじゃない。


ある人が、手塚治虫は“太陽型”で、松本零士は“月型”だと言っていた。
そのとおりだと思う。あの情感は、太陽型には描けない。
そして長編型ではなく短編型、ストーリーテラーではなく詩人だ。

ハチャメチャな内容でも、最後のページに出てくる巻物の切れ端みたいな枠の中に詩のような言葉が書かれていると、それですべてが収まってしまうのだ。

ゆえに、エロス系もいやらしくなく、コクピットシリーズなどの戦争モノも、美化しちゃいけないけれどどこか幻影のようだ。

旅立った銀河鉄道はどこの星に向かったのだろう....
  
posted by Sachiko at 22:27 | Comment(2) | 未分類