2019年09月14日

小さい秋の収穫

種から育てたミニカボチャと、すっかり色づいたミニリンゴ。

applepumpkin.jpg

リンゴは虫に食われたり鳥に突つかれたのもあるが、今年はたくさん実った。スペースがないので大きなものは植えられないけれど、小さな収穫も楽しい。こうして少しずつ秋が深まっていくのを感じる。


電気のメーターに付いていた小さな蜂の巣がなくなっていると思ったら、カラになって下に落ちていた。

beehive.jpg

少し前まで出入りしていた蜂たちはどこへ行ったのだろう。
とても小さな軸1本の先でくっついていた巣は、使われているあいだは雨でも強風でも落ちなかったのに、蜂がいなくなるとこんなふうに落ちる、これも不思議だ。

人間の家が、空家になったとたんに壊れ始めるのと同じようなことが、蜂の巣でも起きているのだろうか。
ほんとうに自然界は計り知れない。
  
posted by Sachiko at 22:15 | Comment(1) | 自然
2019年09月12日

「道」

昨日の「役に立つかどうか」という話で思い出すのは、もはや古典の映画、フェリーニの「道」だ。

ざっくりした話は、旅芸人のザンパノが、仕事の道連れの女性が死んだので、その妹で少し頭の弱いジェルソミーナを代わりに連れていく。

二人はいっしょに旅をするが、ザンパノの素行の荒さにジェルソミーナは不満だ。あるところで知り合ったサーカス団の青年に、彼女はこう言う。

「私は彼の役に立っているのかしら...」

青年は小石を拾い上げ、答える。

「どんなものも、何かの役に立ってる。ほら、この石ころだって。だから君も、きっと役に立ってる」

「石ころはどんな役に立ってるの?」

「ぼくは知らない。神さまだけが知ってる」


この短い会話は、映画のハイライトのひとつだと思う。
どんなものも存在する限り、神にみとめられた意味がある、その静かな安堵感。

古い時代のイタリア映画は、なんともいえない人間臭さに溢れている。現代物にはない土の匂いや血の温かさのようなものだろうか。粗野なザンパノも、けっして冷酷な男ではない。

ラストシーンを好きな人が多いが、私は、眠っているジェルソミーナを置き去りにするときのザンパノの表情がとても印象に残っている。

悲しい物語なのに、暗く湿った暖かい場所にすべてが包まれているようで、イタリアは“母”の国なのだと感じる。
  
posted by Sachiko at 22:03 | Comment(0) | 映画
2019年09月11日

詩人の役割

「文学は何の役に立つのか?」という質問に対して、ミヒャエル・エンデがこう答えている。

「飢えている子がベートーヴェンのコンサートに興味を持つとは思えません。食べ物の方がいいと言うでしょう。
しかし食事を取った後、つまりその基本的な身体的欲求が満たされた時には、人間には内面もあるということを思い出すべきだと思います。」

ものごとを“役に立つかどうか”で見る価値基準はいかにも今日的で、それ以外の基準を思い起こすのが難しいくらい蔓延している。

そうした中で、「飢えた子どもを前にしたとき、詩が何の役に立つのか」という命題は古くからあった。
かつてある日本の詩人が、飢えた子どもたちの上に文学全集を落としてやったところで何になるだろう、と悩んだのちに、こんな答えを見出した。

「詩人がいなければ、飢えた子どもはただの統計数字になってしまう」

無機質な統計数字の中から、詩人は生きた人間を救い出し、いのちをよみがえらせ、存在を立ち上がらせる。
それはまるで、無彩色の世界から固有の色彩が鮮やかに立ち現れるようだ。

数字信仰は、現代の悪と呼ばれるものの中のひとつだ。
何でも、本来数値化できないはずのものさえも、それが真実であるかのように「こういう数字が出ています」と突きつける側は、まるで印籠を出すような態度をとる。

ちなみにその日本の詩人は、故・辻邦生氏だ。

「役に立つかどうか」という目で見たとたん、見えなくなるものがある。
むしろ見えなくなるもののほうが多く、何よりも存在の本質そのものが見えなくなってしまうだろう.....と、この世的にはあまり役に立っていない私は思う。
  
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | 言の葉
2019年09月09日

ヒマラヤの青いケシ

青い花つながりで、今日はこれを....
メコノプシス、またはヒマラヤンブルーポピーとも呼ばれる。

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これが咲いていたのは、フィンドホーンのパークのガーデンだった。
創設メンバーたちが住んでいたトレーラーハウスが今も残っていて、その近くの庭だったと思う。

おお、ブルーポピーだ、さすがスコットランド!と思ったが、みんなは興味を示さず先に行ってしまったので、急いで1枚だけ写真を撮ったのだ。

ヒマラヤに自生する花で、耐寒性はとても高いが暑さに弱く、日本の気候ではまず育たない。

実は二度ばかり栽培に挑戦したことがある。
つぼみが付いた頃には気温が上がり、日陰に置いたり、暑い日にはクーラーボックスに避難させたりしたのだが、つぼみが開くことなくお亡くなりになってしまった。

昔の札幌なら6月に何とか咲いたかも知れないが、今はもう気温が高すぎる。稚内とか釧路とか、めったに20度を超えないようなところなら大丈夫かもしれない。

今年の北ヨーロッパの夏はとんでもない熱波に見舞われたようだ。スコットランドの北のはずれにあるフィンドホーンはどうだったのだろう。

青いケシは今年も咲いていただろうか。
楚々とした澄んだ水色の花よ、どうかご無事で...と思うのだった。
  
posted by Sachiko at 21:55 | Comment(0) | フィンドホーン